⑧お客様
そこからエセルは船員の回収、ゼノンは買出し。どっちにも人員をつけて動いた。その方が早く済むから。
それで、ヴァイス・メーヴェ号は少し手薄な状態だった。だからって下手に手を出して来るような人はいないんだけど。陛下の機嫌がいつ直ってディオンがお気に入りに返り咲くかわからないから、ここは日和見を決め込もうって人ばっかりだったんだと思う。
ただね。
主不在のヴァイス・メーヴェ号に堂々とお客様がやって来たわけよ。とんでもないお客様が。
誰の許しも必要としないって言うかのように、堂々と船内に乗り込んで来た。それも、船長室までまっすぐに。あたしとマルロは陰から様子を窺ってたけど、誰かがファーガスさんを呼びに行ってくれたみたいで、ファーガスさんはいつになく慌てて医務室からやって来た。あたしとマルロは顔を見合わせてその後に続いた。
あたしは最初、その二人組が誰なのかさっぱりわからなかった。ものすごくお似合いの美男美女にしか見えなかった。
男性は、二十代後半くらいかな。ちょっと仕立てのいい深緑色の上着を着てる。それが嫌味なくらいよく似合ってた。長身と筋肉質な体つき、でも顔立ちはどちらかと言えば柔和で、明るい金髪に飴色の瞳……どう見てもお貴族様。
で、その連れがまた綺麗な人。
二十代前半から半ばくらいかな。白い肌に凛とした青い瞳。絹糸みたいに艶やかな髪を三つ編みにして頭に沿って結い上げてる。飾り気の少ないワインレッドのドレスはそれほど上質じゃない。……だからね、そんな格好していても何かがしっくり来ないんだ。
この美人さん、明らかに身分が高いのに、町の中で浮かないように地味な服をわざわざ着て来ましたって言ってるようなものなんだもん。
そんな服装でごまかせないくらい、この美人さんは尋常じゃない空気をまとってた。日よけのレースたっぷりの日傘を錫杖みたいについて、彼女はふぅ、とため息をついた。
ファーガスさんを通り抜け、彼女の視線はその後をこっそりついて来ていたあたしに留まった。船長室の外、それも野次馬が集まる中の一人に過ぎなかったあたしだけを見据えている。
その眼差しに、あたしは縫い止められたみたいに動けなかった。頭からつま先まで、雷に打たれたみたいなんて言うと大げさだと思うかも知れないけど、それくらいの衝撃だった。
――なんて強い目をする女性だろうって。
そうして、彼女が熟れた果実のような唇を開いた次の瞬間に、あたしは彼女の正体を知った。
「そこのお前、こちらに来なさい」
ゾク、と肌が粟立つ。
間違いない。この声……一度だけ聞いた。
この方は、このルースター王国の女王陛下だ。
陛下があたしを呼ぶ。あんまりな出来事にあたしは体が震えたけど、陛下の瞳はあたしだけを捕らえていて、逃れられる気がしなかった。あたしはフラフラと吸い寄せられるように前に出る。ファーガスさんの心配そうな顔だけが目に入ったけど、そっちに顔を向けてる場合じゃない。
あたしは陛下とそのお供みたいな人の前まで来ると膝をついて頭を低くした。その途端、陛下はクスリと笑った。
「おや、このような格好でも私が誰だかわかるのか?」
だから、不自然なんだってば。そんなに威圧感放ってたらわかるよ。
「女王陛下とお見受け致します」
どくり、どくり、と心音がうるさい。でも、仕方ないよ。
下手を打てば首が飛んじゃう。あたしのはもちろんのこと、ディオンまで……。
極度の緊張で眩暈がするけど、そんなこと言ってる場合じゃない。しっかりしないと。
「顔を上げなさい」
い、嫌だけど、上げないわけにも行かない。どんな顔をしたらいいのかもわからないけど、あたしは覚悟を決めて顔を上げた。とんでもなく強張ってると思うんだけど。
顔を上げた先でさ、陛下は絶対零度の眼差しであたしを見下ろしてた。そうして、小さく息をつく。
「お前はいつからここにいる?」
嘘とかつくだけ不利になる。あたしは正直に答えるしかなかった。
「一年は経ちませんが、先のイーリスライトの騒動の時にはすでにいました」
「なるほどな」
そうつぶやかれて、陛下は続けて仰った。
「では、今すぐこの船から去れ。そうして二度と戻らぬように」
うわ……。
要するに、あれなんだ。どこかからディオンが女を船に乗せてるとかって噂が出て、陛下はそれを確認するためにこうしてやって来たんだ。だとするなら、ディオンが投獄されたのって、陛下があたしを追い払うまでの足止め?
なんとも思ってないって言われたばっかりなのに、そんなこと他人は何にも知らない。
「……そうしたら、ディオンは解放されるのでしょうか?」
思いきって、感情を抑えながら訊ねた。そうしたら、急に陛下の方が感情的になった。
「それはお前には関わりのないこと。身の程を弁えよ!」
キッと強く睨まれて、あたしは頭が真っ白になった。あたしもだけど、ファーガスさんたちも気が気じゃなかったと思う。
でも、そんな時、陛下の隣にいたお兄さんがぽつりと言った。
「陛下、いい加減になさいませ」
……え?
「一国の主が小娘相手にそう目くじらを立てるとは情けない」
へ、陛下相手にすごいこと言ったよ、お兄さん。
途端に陛下はあたしのことなんて忘れてお兄さんを睨んだ。
「ハワード!! お前は私の邪魔立てをするためについて来たのか!!」
「護衛のためだと申したでしょう? 貴方様の御身がどれほど重要か、ご自身で理解されるべきです」
「家臣の分際で私に意見するな!!」
怒ってる。怒ってるよ!
それにしても、ディオンと二人きりで話してた時と陛下の声のトーン全然違うんですけど。
お兄さん――ハワードさん? は、これ見よがしにため息をついた。
「さあ、目的は達したでしょう。そろそろ戻りますよ」
陛下は怒り心頭。でも言い返せない。なんだろう、この力関係……。
ハワードさんは『女王の恋人』の一人? いや、なんか違うような気もする。
放っておかれたあたしは、恐る恐る口を開く。
「あ、あの、ディオンはいつ解放して――」
すると、陛下はまたあたしをすんごい怖い目で見下した。
「何もできぬ小娘が! そんなに解放してほしければ自分で迎えに来てみせろ!」
……。
「陛下、公務に差し支えます。お早く」
陛下は苛立ちを足音で表現しながら去った。ハワードさんはその後に続くだけであたしたちに見向きもしなかった。
嵐が、去った――。
でも、嵐は雷を落とした。あたしはそのまま脱力して立ち上がれなかった。そんなあたしの横で、ファーガスさんが独り言のようにつぶやいてた。
「あれがハワード=プロキオン殿――『陸地で最も強い男』か」
よくわかんないけど、確かに陛下を黙らせる辺り、強い……?