⑥それから
ディオンにはっきりと、あたしはディオンにとって特別な存在じゃないって言われた。
今までだって結構ひどいことは言われて来てるんだけど、今日は笑ってやり過ごせなかった。自分自身がこんなにナーバスになってたなんて、この時になって初めて気づいた。
……ディオンが今から陛下に会いに行くからかも。陛下にはさ、上辺だけでも笑顔で優しいことをささやくんだ。
ほんとに上辺?
結局、ディオンにとっての特別は陛下だけなのかな。
それがすごく羨ましい。
みっともない話なんだけど、あたしはしばらくそのままメソメソしてた。
すぐに頭が切り替えられなくて。
エセルがあたしのこと捜してたっぽいけど、パルウゥスのみんなが匿ってくれたというか、適当にあしらわれてた。エセルだってディオンのお供に行くのに見送りもしなくてごめんね。
多分、ひどい顔をしているだろうあたしがようやく立ち直りつつあると、ヴェガスはそっと気遣うように笑ってくれた。
「大丈夫かい?」
「う……ん」
目もとを擦りながら、ひく、としゃくり上げる。ちょっと頭が痛い。
ヴェガスは小さく嘆息した。
「ミリザがこんなにも泣くなんて、原因はディオンくらいのものだろう」
う。ヴェガスは察しがいい。
困った顔をしたあたしの頭を、子供にするみたいにして分厚い手の平でよしよしと撫でる。でも、それで少しだけ心が落ち着いた。ヴェガスの柔らかな雰囲気が傷心のあたしを包み込んでくれるみたいだった。
「いいよ、泣いて。そうして、気が済んだらこの先のことも少しずつ考えよう」
この先?
それって、この気持ちに整理をつけるってこと?
できるのかな、そんなこと。ディオン以外の人を好きになることが今後あるのかな。
今はまだ、そんな気持ちになれないけど、いつかはちゃんとふっきれるといいのに。
あたしが別の人を好きになったとしても、ディオンはやっぱりまったく複雑な気持ちにはならないんだろうな。厄介事がひとつなくなったって、平然とそれはよかったな、とか言うんだ。
そんなことを思ったらまた悲しくなった。だから今は何も考えない方がいいんだって思えた。
泣きながら去ったあたしをディオンが追いかけて来るわけでも、立ち直るまで待っていてくれるでもなくて、ディオンはそのまま船を降りたんだ。
いつものように陛下への献上品を用意して、ゼノンとエセルを引き連れて陛下にお会いしに行く。今回は特に力を入れて用意したから、陛下もきっと喜んで下さると思う。
じっとしていてもつらいだけだから何かをしようと思って、あたしは動き出した。いくら船が停泊中でも、探せば仕事なんていくらだってある。とりあえず、厨房の床でも磨こうかな?
中途半端な時間だし、今日は作らなくちゃいけない食事の量も少ないから、厨房にファーガスさんとマルロはいなかった。あたしはタワシと水を入れた桶を手に、床にしゃがみ込む。
ガシガシガシガシ。
一心不乱に床を磨いた。
頭を空っぽに。それだけを唱えて。
――でもね、それであたしの気が紛れたとしても、この問題はそれだけじゃ終わらなかったんだ。厨房の床は皮肉にも綺麗になったけどね。
それから、思ったよりもずっと早くに海兵姿のゼノンとエセルは戻って来た。晩餐会なりなんなりで晩御飯はいらないと思ってたから、二人の分はないよ。……なんて、そんなこと今はどうでもいい。
二人の顔はとんでもなく強張ってて、何か尋常じゃない事態なんだってすぐに感じた。
「ファーガス、大事な話がある」
食事の支度をするあたしとマルロを気にしつつも、二人はファーガスさんにだけ事情を伝えたいみたい。そんなに、あたしたちには聞かせたくない?
ファーガスさんは、その緊張感の中で言った。
「何があったんだ? ここでわかるように説明しなさい」
ファーガスさんはあたしたちをのけ者にしないでくれた。あたしたちだって気になる。その配慮が嬉しかった。
エセルは眉間に皺を寄せ、ゼノンは困った顔をした。でも、二人は顔を見合わせると息をついた。それから、エセルは明らかにあたしのことを気にしてた。それにあたしが気づいた時、ゼノンが自分を落ち着けるようにまぶたを閉じてから言ったんだ。
「ディオンが投獄された――」
それは、あたしにはまるで予測もつかなかったひと言だ。