⑬やっぱり危機
ふぅ、今日も疲れた。
トントン、と肩を叩きながらあたしは医務室へ向かった。あそこの寝台硬いけど仕方ない。
ゆっくり寝て、また明日に備えなきゃ。
あたしは眠たくてあくびをしながら扉を開いた。キィ、と蝶番が軋む音がする。扉を閉めて中に入った。前は外からしか鍵がかからなかったけど、気づけば中に簡単なスライド式の鍵をつけてくれてあった。ゼノンさんかな? それをちゃんと施錠する。鍵がしっかりとかかったのを確認して、薄暗がりの中、あたしは部屋の奥へ向かった――途端に後ろから抱きすくめられた。
「!!」
悲鳴を上げる前に口を塞がれた。
「こんばんは」
エセル!
もう『さん』づけなんてしてあげない! 部屋の中に潜んでるとかあり得ないし!!
「昨日は来なかったから油断してた?」
昨日はあたしもここにいなかったから知らない。
あたしが手の下で唸ってると、エセルはあたしの耳もとでため息をついた。
「ほんとはこういうスマートじゃないことしたくないんだけど」
じゃあするな! って突っ込みたいけど喋れない。
あたしはためらいなく後ろに足を蹴り上げた。どこを狙ったのかはご想像にお任せします。
エセルがうわっとあたしを放して慌てて飛び退く。ざまーみろ!
よっぽどびっくりしたのか、エセルの顔にいつもの余裕はなくなって、引きつってた。そりゃあそうか。
「世の中の女性は、いかに自分がか弱いかをアピールするものなんだけどね?」
「あらやだ、初耳ですわ」
ホホホ、とわざとらしく笑ってやったら、エセルは何かすぅっと雰囲気を変えた。うわ、なんかマズイ?
「そうだなぁ。そういうか弱いフリが得意なだけの女には飽きてたんだ。楽しめそうだね」
げ。
じりじりと再びにじり寄るエセルに、あたしは部屋の奥へ追いやられて行く。
この間みたいにゼノンさんが来てくれても、鍵かけちゃったから扉が開かない。
そんな内心の焦りを覚られないようにエセルを睨みつけていると、扉の向こう側からノックする音がした。ゼノンさん?
そのノックにエセルが気を取られた隙にあたしはエセルの脇を通り抜けて扉に向けて手を伸ばした。でも、エセルがとっさにあたしの足を払ってそれを阻止する。
「誰か――っ」
そんな言葉も大きな手の平に再び遮られた。床に叩きつけられることはなかったけど、その代わり床に押しつけられた。背中に乗るな!
ノックした人はドアノブをカシャカシャ回したけど、鍵がかかってるから開かない。中にいることは今の物音でわかってくれたと思うけど、合鍵をもらいに行ってくれるかな? ――って、ここの鍵、スライド式だった。合鍵なんてない。
ガン、って思い切りのいい音がして、鍵が壊れた。何か硬いもので殴ったみたい。壊れた鍵がぷらんぷらんにだらしなく下がった。しかも、その人はドアを蹴って開けた。
あっぶな! あたしの顔にかするところだった!
いや、もうなんでもいいや、助けてもらえたら。
あたしがそんなことを思ってると、部屋の前にいたのはディオンさんだった。薄暗い部屋の中で床に押しつけられているあたしと目が合う。それからディオンさんは顔をしかめてエセルに向けて低い声を発した。
「エセル」
「風紀が乱れるからやめろ?」
「そうだ。お前なら女には不自由してないだろ」
「陸へ上がればね」
「じゃあ、それまで我慢しろ」
ディオンさんが嘆息すると、エセルはあたしの首筋を指でなぞった。ぞわ。
「陸に上がったらミリザは僕にくれる?」
エセルの言葉にあたしとディオンさんは唖然とした。
「なんでそいつにこだわる?」
心底理解できないって風にディオンさんが訊ねる。ちょっと失礼なんですけど。
「なんでって、溌剌としてて可愛いし。最初に見た時から気に入ったんだ」
うわぁ、びっくりするくらい嬉しくない。
深々とため息をついて、それからディオンさんはかぶりを振った。
「駄目だ。そいつはやれない」
え?
どきり、と胸が鳴った。あんまりにも予想外の答えだから、心構えがなかった。
エセルも驚いたみたいで、ちょっと体が強張った。
「今回の報酬は他に要らないよ。それでも駄目?」
ディオンさんはこくりとうなずく。エセルの声が少し尖った。
「なんだ、ディオンもミリザが気に入ったのか?」
「そういうことじゃない」
ああ、また嫌そうな顔した。だから、失礼だってば。
ただ――って、ディオンさんは続ける。
「パルウゥスたちがそいつを気に入ってる。今、パルウゥスたちの機嫌を損ねるわけにはいかない」
「は? なんでパルウゥスが?」
「ここに来てから、そいつが食事を運んでるからな」
エセルはそれを聞くと少し手をゆるめた。あたしはエセルを突き飛ばすようにして離れる。
あー、苦しかった。
「そういうわけだから、こいつには手を出すな。部屋もオレの隣に移す。いいな?」
船長のディオンさんに言われたら、エセルだってどうしようもないよね。面白くなさそうにぼやく。
「そんなこと言って、抜け駆けしないだろうな?」
すると、ディオンさんはイラッとしたように言う。
「オレは船の上で女は抱かない。それもこんなガキ――」
ガキ?
……いつか、ディオンさんは年増好みってどっかで穴掘って叫んでやる。
エセルは不機嫌を表に出して部屋を出て行った。とりあえずは助かったかな。一応お礼は言うべき?
暴言を吐かれたことは水に流してあたしは口を開く。
「危ないところをありがとうございます」
「お前の危機管理能力のなさが招いたことだ。そこは自覚しろ」
つまり、あたしも悪いと?
「危機管理って、あたしは普通にしてますよ」
「バスタオル一枚で廊下を歩くような女のどこに危機管理能力がある?」
「あれは緊急事態です」
一応弁明しておくけど、納得してくれてないな。
まあいい、なんてため息混じりに言われた。
「とりあえず、お前の部屋はオレの隣にする。ついて来い」
「はーい」
船長室の中にある扉のひとつはディオンさんの寝室。そのもうひとつは宝物庫かなって思ってた。
あながちハズレでもないんだけど、倉庫っぽい。ちょっと埃っぽいその場所にマットレスが入れてあった。ここで寝ろってこと。
「余計なものは触るな。ここでは寝るだけにしろ」
「はいはい」
値打ちのあるものもここにある箱の中には入ってるのかも。でも、ちょろまかしたらあたしが真っ先に疑われるんだから、それはしない。
「おやすみなさい」
あたしがそう言ってマットレスに乗ると、ディオンさんは無言で扉を閉めた。
あ、このマットレス、医務室の寝台より寝心地良さそう。