⑬感謝
ぐるぐるぎゅー。
……おなかは空く。寝なくたって、動かなくたってお腹は空くんだよね。
あたしは白み始めた窓の外を見上げながらひもじさに堪えた。マルロなんてもっと食べれなかったんだから、つらかったよね。
あたしのおなかの音が聞こえたのか、神父さんは疲れた顔で嘆息した。お互い、一睡もしてないからね。
「食事を用意してもらわないとな」
「神父さん、少し戻って休んで来て下さいよ。空が明るいうちはあたしも不安じゃないし、夜にまた来てくれた方が嬉しいですから」
「けれど――」
「いいですって。いざって時に神父さんがフラフラじゃあたしも困ります」
はっきりそう言ったら、神父さんは言葉に詰まった。
そうしていると、戸口の方に誰かが立った気配がある。すぐに扉を開く音がした。死角で見えないけど、バースさんかマルロのお父さん。でっかい影だった。
あ、どっちかだと思ったら、両方だ。
「あ、おはようございます」
普通にあたしが挨拶したら、バースさんは厳しい顔を困らせた。
「お嬢さんの度胸には感服するけれど、無茶だよ」
まあ、そうかも。無茶は承知なんだけどね、他に方法が見つからなくて。
あはは、とあたしが苦笑すると、マルロのお父さんがそんなあたしの前に正座して、深々と頭を下げた。
「それでも、息子を救ってくれて感謝する。恩人のあんたのことも絶対に見捨てないからな!」
……やっぱり、この島の人はあったかい。あたしはこんな状態でもそれを感じた。
「うん、ありがとうございます」
あたしが笑ってみせると、マルロのお父さんは少しだけほっとしたみたいだった。
「マルロのヤツ、まだ朦朧としてるんだが、栄養と休息をしっかり摂れば回復するってルース先生に言ってもらえたよ」
「そうですか、よかった!」
憎まれ口を叩かないマルロなんて想像できないし。早く悪態つけるくらいに元気になってほしいな。
マルロのお父さんはマリエラが持たせてくれたっていうサンドウィッチをくれた。あたしは弓を持つ方の手でそれをつまんで食べた。急いで作ったのか、ジャムを塗ってチーズを挟んだだけのものだけど、おなか空いてたからすごく美味しい。
それから、神父さんが帰って休んでる間、バースさんとマルロのお父さんが交代であたしのそばにいてくれた。他愛ない話だけどあたしの気を紛らわせようと必死に話してくれるのが伝わって嬉しかった。
バースさんからはファーガスさんがどんなに厳しくて怖いお父さんだったかを、マルロのお父さんからは小さい頃の双子がどんなに愛らしかったかを教えてもらった。
マルロのお父さんは懐かしそうに言う。
「マルロのヤツは産まれた時からマリエラよりもずっと体が弱かった。家内もこの子は無事大人になれるのかっていつも不安がってたんだ。そんなマルロがやっと少しずつ丈夫になって、船に乗りたいって言い出した時には夫婦で反対したもんだ。だって、あんな細腕で何ができるって思うだろ?」
「船乗りの仕事は過酷ですしね」
あたしが相槌を打つと、マルロのお父さんは満足そうにうなずいた。
「そうなんだ。そうじゃなくても出航したが最後、もう一度島に戻れるなんて保証はないわけだ。送り出す親の身になってくれと思わず言ってしまったよ。そうしたらね、マリエラに怒られたんだ。マルロが決めたことなんだからそういう風に言っちゃ駄目だって。そんなんじゃいつまで経ってもマルロは成長できないって」
マリエラもいいお姉さんなんだよね。姉弟っていいな。
なんてのん気にあたしが思った瞬間だった。ずっと手にしていたヴァイオリンがどくん、とひと際大きく脈打った。あたしはびっくりして手を放しそうになったけど、辛うじて踏みとどまる。
そんな一瞬の変化をマルロのお父さんは感じ取ってくれた。
「どうした、何か異変が!?」
「はい、少しだけ……」
そこから、ぞわぞわぞわ、と悪寒がヴァイオリンに繋がる右手から駆け上がるみたいだった。窓の外を見ると、日が沈みかけてた。また、夜が来るんだ。
悪霊の力は増幅されて、睡眠不足のあたしの精神力はズタズタ。……ちょっとずつ表に出ようとしてるのかも知れない。いつまで抑えていられるのかな、あたし――。
「ど、どう……神父のレグルスさんを呼んで来た方がいいのか、ここにいた方がいいのか……」
マルロのお父さんがうろたえる。えっと、どっちがいいのかはあたしもよくわからない。でもまだ決定的ではないって気がした。
「まだ大丈夫です。神父さんが来てくれるまでは大丈夫」
そう自分にも言い聞かせる。
そんな会話をしているうちに神父さんがやって来てくれた。ただ休んでた風じゃない。目の下の隈は消えてない。色々と調べてくれてたのかも。
「ああ、助かったよ」
マルロのお父さんはほっとしたようだった。もしあたしが悪霊を抑えきれなくなると困るから、あたしは言った。
「今日はありがとうございました! もう遅いし帰ってゆっくり休んで下さいね」
あたしの状態を思うと帰るのが申し訳ないって思ってくれてそう。でも、いてもらう方があたしは怖い。迷惑かけちゃいそうだから。
「マルロたちが待ってますよ。お父さんがいなくちゃ不安でしょ? しっかりついていてあげて下さい」
家族を持ち出されるとそれ以上何も言えないのか、渋々うなずいてくれた。
「じゃあ、また明日――」
「はい。お休みなさい」
笑顔で大きな背中を見送れた。そんなあたしに神父さんはそっと言う。
「君は強いね。いや、優しいって言った方がいいのかな」
優しい? そうかな……。
自分がしたいように動いてるだけなんだけどね。