⑪素養
脈打つヴァイオリン。あたしはその呪われた楽器を奏でる。
――ただ、あたしがそんなものを弾けるわけがなかった。
見よう見まねで奏でた音は破壊的。その一言に尽きた。
ギュギギギギギィ。
ガ、グギギギギィィィ。
おかしいな? なんでこんな音が出るんだろ?
ヴァイオリンの音ってもっと繊細だよね? どうやってあんな音鳴らしてたんだろ?
音量だけは馬鹿でかかったあたしの演奏に、マリエラと神父さんは思わず耳を塞いでいた。特にマリエラは苦しげに、それでも喚いた。
「あ、あなた、なんですの、それ! ひどいなんてものじゃありませんわ!」
「……だって、ヴァイオリンの弾き方なんて知らないもん」
開き直ったあたしに、神父さんは心底驚いてた。
「なるほど、音楽的素養のない人間が相手だと憑くに憑けないとは!」
え、ちょっと、それ失礼じゃない?
うーん、この状況ってあたし、どうしたらいいわけ?
微妙な空気が流れた。でも、神父さんはそんな場合じゃないと思い直したのか、弱ったマルロを担いだ。そうしてほっと息をつく。
「うん、大丈夫、もうマルロから禍々しさは感じられない」
あたしたちはそのひと言を聞けてほっとした。
「よかった。でも弱ってるし、早く休ませてあげて下さい」
すると、神父さんは不安そうにあたしを見た。あたしというよりもあたしの手にあるヴァイオリンを。
自分が離れても大丈夫か、ちょっと困ってる。でも、マリエラ一人でマルロを家まで送るのは大変だもん。
「大丈夫、このまま何もしないで待ってるから、急いで送り届けて来て下さいって」
と、あたしは弓を手の代わりに振って見せた。神父さんはやっぱり不安げにしてたけど、そこでマリエラが言った。
「私がついてますわ。ですから、マルロをよろしくお願いします」
あら、意外。マルロについていたいと思ったのに。
けど、神父さんはあたしを一人残すよりは安心できたのかな。小さくうなずいた。
「何か変化があったらすぐに知らせて」
「はい」
神父さんはマルロを抱えて慌てて出て行った。その足音だけがバタバタと聞こえた。
マリエラはひとつ嘆息する。あたしは苦笑した。
「今のところ、なんにも変化ないよ。あたしが意識して抑えてるわけでもないんだけど、ほんとにあたしに音楽のセンスがないから憑きたくないんだとしたら贅沢な話よね」
努めて明るくそう言った。でも、マリエラはいつもみたいにあたしを小馬鹿にするようなことは言わなかった。
「……あなた、怖くないんですの?」
怖くないかって?
そんなの怖いに決まってるじゃない。でも、あたしにはこんなことしかできないから。
マリエラはふ、と瞳の光を弱めた。
「マルロを助けてくれてありがとう」
あら、素直。珍しいな、なんて思っちゃった。
「助けたうちに入るのかわからないけど、それができたのもマルロががんばったからだと思うよ」
あたしがそう言うと、マリエラはくしゃりと顔を歪めた。……泣いてる?
「こうなって、みんな怖がってここに近寄りすらしなかったのに、あなたはここに来てくれて、マルロのために駆け回って、そうして代わってくれて、どうしてそこまでしてくれるんですの?」
なんで?
なんでって、ほっとけないから。それだけだよね。
「そんなに難しく考えなくてもいいんじゃない? あたしはいつだってあたしのやりたいように動いてるだけなんだから。でもさ、どうやらこの悪霊はあたしのこと気に入らないみたい。結果としてよかったのかも」
あはは、と笑ってみせる。
だってさ、こうしてあたしがこの悪霊を抑えられていたら、そのうちディオンたちが帰って来てなんとかしてくれるかも知れないし。
でも、マリエラはマルロの分も責任を感じているみたいに見えた。マリエラもいい子だよね。
うん、優しいお父さんとお母さん、仲良しの双子。ほんとにいい家庭だなって思う。
あたしに兄弟はいないし、親はあんなだから、正直に言って憧れる。そういう幸せな家庭が羨ましいと思うから、壊れてほしくないんだ、きっと。
そんな会話をしてどれくらいか経つと、神父さんが息をきらしながら戻って来た。
「マリエラ、ここからは私がついているから、君はもう戻りなさい」
何かを言いかけて、マリエラは口をつぐんだ。残るって言いたかったのかも知れないけど、マルロのことも気になったんだろうな。
いいよ、わかってる。あたしを見捨てるなんて思わないから大丈夫。
「マルロによろしくね。あたしもがんばるから」
マリエラは大きくうなずくと駆け出した。あたしはその背を見送ると、小屋の隅にすとんと座り込んだ。