⑤見送り
翌朝、船は出航する。そうしたら、しばらくはディオンたちに会えなくなる。
……ディオンを陸から見送るのって初めてだ。怖いな。
だって、他の海賊船に狙われたり、天候が崩れて船が難破することだってなくはない。
陸からは無事を祈ることしかできないんだ。絶対に帰るって保証はない。
領主様だって船で怪我をされた。ゼノンのお父さんは帰って来なかった。ディオンたちが同じことにならないなんて言えない。
同じ船に乗って運命を共にするならいい。でも、待つのは怖い。
あたしはディオンの部屋の前でディオンが出て来るのを待った。カタリって音を鳴らしてディオンは出て来た。荷物は全部船に積んであるから身ひとつだ。あたしがそこにいたことに驚いてるけど、ディオンなりに言いたい言葉もあったのかも知れない。穏やかに嘆息した。
「なるべく急いで戻る」
「うん、待ってる。ヴェガスたちにもよろしくね」
ディオンはああ、とうなずいた。そんな仕草もディオンらしくて好きだ。そう思ったら、口から言葉が零れ落ちた。
「絶対無事に帰って来て」
絶対なんて無理。船旅に絶対はない。
わかっていて口に出したあたしに、ディオンは嘘をつかなかった。
「絶対なんて言えない。それでも戻るつもりでいる。お前も無茶をせずに待て」
何その無茶って。
「じゃあな。マルロたちを頼む」
そのひと言にあたしは思わずディオンのチュニックを握り締めていた。ディオンは振り払うでもなく振り返る。そのまっすぐな視線に、あたしの方がわがままを言ってしまったみたいに心苦しくなって手を放した。
「行ってらっしゃい……」
あ、泣きそう。鼻がツンとする。
ディオンはあたしの強がりをどこまでわかってくれたのかな。急にあたしの頭に手を乗せてポンポン、と叩いた。そうして、ポケットから何かを取り出してあたしの首にかけた。――これって。
「セレーネライト……」
濃紫の宝石。宝石と言っても石っころみたいに輝きがない。けど、これは月光を受けると妖しく輝く幻の宝石で、目玉が飛び出るほど高価な代物。宝の地図を手に入れて見つけた財宝だ。
「やっぱり、お前が持ってろ。オレが帰るまで預かれ」
「ええっ」
そんな高価なもの、託さないでよ!
「な、失くしたら怖いから嫌!」
価値を知らなかった時はすごく雑に扱ってたけど……。
「ただ置いておくのも物騒だし、かと言って持って行くのもな」
行き先は王都だから、ディオンも少し心配なのかな。
でも、これをあたしに託すのは、ディオンの信頼の証だとか勝手に思ってもいいのかな。いいよね、それくらい?
「預かるだけだからね?」
あたしがそう答えると、ディオンは満足してくれたみたい。
「ああ。行って来る」
そう言って笑った。
もう一度、あの勝気な笑顔が見られるって信じてないと。そうじゃないとあたしは……。
その背中を見送って廊下を戻ると、今度はゼノンに会った。
「ミリザ……」
「ゼノンも気をつけて。無事に帰って来てね」
そう言うと、ゼノンもそっとうなずいてくれた。
「厄介なことになったけど、マルロも今は必死で戦ってるはずだ。早く助けてやらないとな」
「うん、お願い」
そこでゼノンはじっとあたしを見据えた。そうして、ぽつりと言う。
「死んでも尚、この世に踏みとどまる強い想いってなんだろうなって考えたよ。あのヴァイオリンに憑いている魂は、何を想ってるのかなって」
そうか。それを考えることで祓う手がかりになるかも知れない。ゼノンの着眼点はさすがだな。
「何かわかった?」
でも、ゼノンはかぶりを振る。
「いや、わからないよ。わからないけど、俺だったらどうかなって考えた時、俺はミリザにもう一度会えないまま海の上で死んだら心残りでさまようかも知れないなって思った」
ゼノンもまっすぐで、その強い気持ちにあたしは戸惑う。すぐに返答できずに固まったあたしに、ゼノンは苦笑した。
「大丈夫、戻って来てちゃんと会うよ。幽霊じゃ、ミリザに嫌われるからね」
「うん、みんなで無事に戻ってね。待ってるから」
優しい言葉に曖昧な返事。あたし、エセルにするほどゼノンにははっきりとしたことが言えない。
あたしの気持ちはゼノンだってわかってるはずだけど……。
ゼノンは穏やかににこりと笑って去った。
ディオンは、ヴァイス・メーヴェ号の方が速いからそっちを使うって言ってた。あたしは波止場まで見送りには行かない。次第に遠ざかる船に心を掻き乱されそうだから。
そうして、あたしは屋敷からマルロのいる小屋に向かった。
ディオンのいない島にあたしが残る……なんだろうね、この状況。ディオンはいつもあたしに留守番させたがるけど、留守番ってこんなにもつらいんだよ?
もう、相当の理由がなかったらやらないからね? だから、早く帰って来てよ。また、船に乗せてよ。
……なんて、自分のことばっかり考えてる場合じゃない。あたしは雑念を振り落としてマルロのもとへ急いだ。
今日で三日目。マルロの体力だってそろそろ限界のはず――。