⑰呼び声
あたしは闇の中をたゆたう。
ここはどこ? ねえ、暗い――苦しい!!
海の中――暗い海の中、あたしはたゆたう。
そうして、沈んで――ううん、助けてくれる手があった。
でも、でも、あたしはその手をつかんじゃないけない。
それくらいなら、あたしが沈んだ方がいいんだ――。
あたしはびくりと痙攣したようにして目を覚ました。でも、部屋は暗い。向こうの方でリズムを取る太鼓の音と櫂が水を掻く音がする。パルウゥスたちの半数はあたしと一緒に休んでる。
ヴェガスは漕いでるみたい。あたしが寝転んだまま部屋を見回すと、あたしの隣には座り込んでいるディオンがいた。
部屋は暗いけど、確かにディオンだ。
え? あたしまだ寝ぼけてる?
目を擦ってみると、また寝ながら泣いてたみたい。手の甲が濡れた。
「……起こす前に起きたな」
ディオンがそんなことを言う。やっぱり、夢じゃない。
「な、何? 何か用だった?」
他のパルウゥスたちを起こさないようにあたしはなるべく声を潜めた。
あたしに訊きたいことでもあったのかな? それなのにあたし先に寝ちゃってた?
体を起こすと、ディオンはひとつ嘆息した。
「いや。……ああいうことがあった後だ、うなされているだろうと思って少し様子を見に来ただけだ」
ディオンがあたしのことを気にかけてくれている。それが嬉しくて、でも少しだけ苦しくて……。
あたしはそれをごまかすように精一杯明るく笑って見せた。
「ありがと。じゃあ添い寝でもしてくれる?」
冗談半分で言ってみると、ディオンは顔をしかめた。そうして、一瞬ためらいながらぽつりと言った。
「お前――」
「うん?」
「うなされている時によく父親を呼ぶな?」
「え――?」
何それ……。あたしは呆然としてしまった。ディオンの言っている意味がよくわからない。
でも、ディオンは言う。
「何度かそういうことがあった」
嘘だ。
なんであたしがあんなロクデナシのことうなされながら呼ぶの?
わけのわからないこと言わないでよ。
「あ、あたし、そんなの呼んでない。知らない」
呼んだ覚えないもん。
死んだお母さんならまだしも、あんなヤツ呼ぶもんか……。
ディオンはそれ以上言わなかった。そうか、とだけささやいた。そうして立ち上がろうとする。
「じゃあな」
あたしはディオンのチュニックを思いきりつかんだ。あ、首が引きつって苦しそう。ディオンはちょっとびっくりしてる。その顔をあたしはじっと見つめた。
「もう行くの? もうちょっとここにいてよ」
「……調子に乗るな」
ひどい言い草。でもね、ディオンが悪いんだよ?
「そうやって突き放すなら、最初から優しくしなきゃいいのに。ディオンはそうやってあたしのことを弄んでるの?」
「誤解を招く言い方をするなっ」
パルウゥスたちが寝てなかったら大声で怒鳴ってたね。精一杯声を落としてる様子がちょっと可笑しかった。
「わかってる。ディオンはあたしに悪かったって思ってるから気にかけてくれただけなんだよね」
小さく舌打ちする音が聞こえた。あたしは暗がりの中でディオンの手を探し出した。あたしのとは全然違う大きな手。ゴツゴツと骨ばってて、手の平も硬い。
あたしはその手を両手で握り締めて横を向いて寝転んだ。
「あたしが寝つくまででいいから、お願い」
うなされて起きた後、もう一度眠るのはすごく怖い。またよくわからない怖い思いをするんじゃないかって。多分ね、あたし、不安に思うことがあるとこうなるんだと思う。
それがね、ディオンがいると和らぐ気がするんだ。
ディオンは深々と長いため息をついて、自由になる方の手で顔を覆った。
「……じゃあ今すぐ寝ろ」
あたしは思わずクスリと笑ってしまった。
ディオンって、なんだかんだ言いながら最終的には突き放せない。そういうところがある。
優しいんだって知ってるけど、こうやってどんどん好きになって行くことはあたしにとっていいことなのかな?
「あたし、あっちでエピストレ語のことはちゃんと秘密にしてたよ」
気になってるかと思って念のためにそう言うと、ディオンは静かに答えた。
「そこは疑ってない」
サラッと言った。だからね、そういうところが好きなんだって。
今この瞬間は何にも替えがたい時間。
この先のことなんてわからないけど、この想いの行き着く先に耐えられる強い自分にならないと。
あたしはディオンの手のぬくもりを感じながらそう思った。
【 Ⅵ・月光と人質と女海賊 ―了― 】
以上でⅥは終了です。
……えっと、いつもは話数が3の倍数で終わるように書いていたのですが、ここに関しては1話足りなかった!
なので今週は水曜日お休みです。すみません(汗)