⑬飲まれた
き、気持ち悪い。
ヒルデさんは涼しい顔で飲んだけど、このお酒、かなりキツイ……。
あたしはソファーの上にぐったりと体を横たえ――ようとしてヒルデさんにぶつかってそのまま寄りかかる。うぇぇ、気持ち悪い。
酒は飲んでも飲まれるなって、初心者には無理!
「……どうしましょう」
アモスさんが平然とそんなことを言う。ヒルデさんは呆れたように言った。
「どうって、最初からこうなることは予測して酒を飲ませたんだろ?」
「ええ、まあ」
気持ち悪くて喋りたくないけど、耳はしっかり聞こえてる。アモスさん、わざと?
「今のうちにディオンたちに引き渡しましょう」
うわぁ、ひどい!
ヒルデさんはひとつ嘆息した。
「そうだね、そうしようか」
ヒルデさんまでそんなことを言う!
ぐったりとしたあたしの頭を膝に降ろすと、ヒルデさんは一度優しく撫でてくれた。
「あんたみたいな娘は、素直にあいつのところへ帰りなよ。ディオンはこのことであんたを責めたりしない。自分が好きになった男だろ、そんなちっさな器じゃないって信じてやりな」
信じてないわけじゃない。でも――。
頭ががくり、と揺れた。き、気持ち悪い。
ぐったりとしたあたしの体をアモスさんが抱き上げた。細身に見えて力があるんだね、なんてことを頭のどこかでなんとなく思った。
「さて、行こうか」
え、ちょっと、本気で?
抵抗しようとしたんだけど、呻き声にしかならなかった。酔っ払って引き渡されるなんていいご身分だな、とか嫌味言われる!
結局、甲板の上にそのまま運ばれた。先を行くヒルデさんと、いつの間にかイーサンさんがいるような気配があった。
夜の風はほてったあたしの肌に心地よくて、少しだけ気分がマシになった。
う、と呻いてうっすら目を開けると、イーサンさんがランタンを手に何か合図を送っていた。送った先はシー・ガル号なのかな。
船にはいくつかの灯りが吊るされているけど、今日は月明かりがとても綺麗だ。柔らかな月の光のもと、あたしはぼんやりとそんなことを思った。
櫂を漕ぐ水音があたしの耳にも届く。水がこっちのウラノス号に寄せられて船の揺れが大きくなる。……気持ち悪い。
ああ、もう考えるのが億劫。なんでもいいやと開き直りかけた。
でも、そんな時、向こうの船からゾクリとするようなディオンの声がした。
「……そいつに何かしたのか」
それでも、ヒルデさんが怯むことはない。
「酒飲んで潰れただけだよ。まったく、こうまで人質に適さない娘も珍しいね。こんなじゃじゃ馬はさっさと引き取ってくれ」
ひどい! ひどい言い草!!
なのに、ディオンもひどかった。
「それは悪かったな」
そこは否定してほしかった。なんで謝るわけ、そこ?
「誰かこっちに寄越しな。そこで金貨と交換だ」
「わかった」
ディオンが短く答えた。そうして、向こうの船で誰が行くのか話し合われているような感じがした。船長のディオンじゃない。来るのは多分、ゼノンかエセルだと思う。
ガシャン、と跳ね橋が接続される音がした。その衝撃が来た時、あたしは絶不調の体に鞭打ってアモスさんを押しのける。
「自分で立てます」
平然を装うけど、明るいところで見たらきっと顔は真っ青なんだろうな。
でも、アモスさんはとりあえずあたしを下ろした。
ちらりと跳ね橋の辺りに目を向けると、そこにはゼノンっぽい人がいた。なんだろ、お酒のせいか目が霞む。うん、ゼノンがあたしを迎えに来てくれたみたい。
「どうも、ヒック――お世話になりました」
あ、しゃっくりが出る。
あたしはヒルデさんたちにぺこりと頭を下げた。頭を下げるとやっぱり気持ち悪い。そのまま去ろうとしたあたしの肩をヒルデさんがつかんだ。
「ゼノンがこちら側に来て金貨を受け取ってからだ」
……チ。
ヒルデさんたちも大変だっていうのはわかるんだけど、だからって大人しく掠奪されても困る。
ヒタリ、ヒタリ、と足音がする。あたしはグラグラする頭を支えながらそこに立っていた。ヒルデさんは不意にフフ、と笑った。
「あんたもそういう目をするんだねぇ」
なんてヒルデさんは言ってる。よくわからないけど、ゼノンが睨んだのかな。ゼノンは無言で金貨の入った袋を差し出した。それをアモスさんがそばまで行って受け取った。……あーあ、結局どうにもならないのかな。
そこでヒルデさんはあたしの背中をトンと押した。
「じゃあね。また会うことがあるかどうかはわからないけれど。ま、あんたは会いたくなんてないか」
別に、人間的に嫌いなわけじゃない。あたしはなんとか答えた。
「ううん。また会う。今度会う時は盗られた分盗り返す」
ヒルデさんはそんなあたしに楽しげに言った。
「そいつは楽しみだ。次に巡り合えるかどうかは海のみぞ知るってわけだね」
あたしはイーサンさんにもぺこりとお辞儀をして歩き出した。ちらりとシー・ガル号の上のディオンを見遣ると、ディオンが――いちにいさん――三人もいた。お、足もとを見るとあたしの脚も六本もあるよ。あはは、変なの。
なんかね、もうどうでもいいや。ディオンに怒られて謝って、それでいいかなー。
トントントン、とリズミカルに足が動いた。あら、止まらない。
跳ね橋の上に上がろうとして、段差で蹴つまずいた。
「ひゃ」
「ミリザ!!」
ゼノンの声がした。でも、跳ね橋の上にはアモスさんがいて、ゼノンはアモスさんを邪魔そうに押しのけようとしていた。そのアモスさんも息を飲んだような気がした。何? どうしたの?
「危ない!!」
ヒルデさんがそう叫んだ。その時になって初めて、あたしは自分がどんなに危うい場所にいたのかに気づいた。跳ね橋は欄干も何もないただの渡し板だ。あたしはそこから転がり落ちて海に投げ出された。