⑪信頼
あたしの希望は一応通った。ただ、変な動きをするなと釘を刺された上で、アモスさんとイーサンさんに挟まれて歩く。通路は狭いから、押し潰されそう。
下へと続く階段。一人ずつしか降りられない幅。
あたしは両手を壁に添えて気をつけながら降りた。足を踏み外したら、前を歩くヒルデさんに激突しちゃうから。
漕ぎ手座に近づいて行っても、リズムを取る太鼓の音なんかはしなかった。漕いでいる感じもない。
そうだ、今は海を漂ってるだけなんだよね。シー・ガル号から離れすぎないように時々軌道修正するくらい。だから漕ぎ手座も落ち着いたものだった。
降りてみると、ウラノス号の漕ぎ手座はシー・ガル号やヴァイス・メーヴェ号よりもずっと間隔が狭い。その狭い場所にいたのは、ただひたすらに船を漕がされる奴隷じゃない。普通の船員たちだった。
漕ぎ手座のすべては埋まってなくて、一足飛びに点々といるだけ。漕ぎ手の男の人たちはいきなりやって来た船長と人質のあたしっていう組み合わせにぎょっとしてた。みんな顔色が優れないのは、ここが薄暗いせいと栄養不足かな……。
ヒルデさんは漕ぎ手座の狭い中央の通路で振り返る。
「これで満足かい?」
あたしは曖昧にうなずく。
「パルウゥスはいないんだ? それから、動力は奴隷じゃなくて交代制で漕いでる船員たち?」
あたしが訊ねると、ヒルデさんは呆れたみたいだった。
「この規模でパルウゥスなんて使ってる船はそうそうないよ。奴隷は一方的に虐げれば反感を持つ。そうした反感を持つ相手に大事な櫂を握らせるなんて、考えたこともない。ここは船の進路を左右する大事な場所だ。信頼の置けない相手に託すことはないよ」
強い瞳をしてそんなことを言う。船を漕ぐ過酷な労働が船長の信頼の証だって船員は思ってるんだ。無理矢理ってわけじゃなくて、船長のためにがんばれる。それがこの船の動力なんだからすごいな。
「そう、なんだ」
あたしはぽつりと言った。
ここを見れば、船長のヒルデさんのことがわかるような気がしたんだ。シー・ガル号みたいに船を支える漕ぎ手たちとの関係が、そのまま船の評価になる。ヒルデさんは少なくとも船員たちにとっては命を預けるに値する船長なんだ。そのことがよくわかった。
「うん、ありがとう。色々と納得した」
あたしの背後でアモスさんとイーサンさんが顔を見合わせていた気がした。
ヒルデさんは嘆息する。
「気が済んだならいいが、それでどうするんだい?」
……どうしようかな。
あたしは言葉に詰まった。ヒルデさんは目を細めると頭をガリガリと掻いた。
「わかった。今すぐに決めろとは言わない。明日の朝までは待ってやる」
「いいの?」
すると、ヒルデさんはニヤリと笑った。
「その代わり、今日の分まで食事は出さないよ」
今日はご飯抜き。まあ、事情を聞いちゃったからには仕方ないと思うけど。
「うん、わかった。明日の朝にはちゃんと考える」
考えて、答えを出す。
あたしは奥歯を噛み締めて拳を握った。多分、すごく難しい顔をしてたんだろうな。ヒルデさんは呆れたように言った。
「それまで、あんたのことは船長室で見張らせてもらおうか」
「え?」
「一応ね、あんたは大事な金ヅルだ。首をくくられでもしたら大変だからね」
首って……。
「そんなことしないし」
あたしがため息を漏らしても、ヒルデさんは鼻で笑うだけだった。
「しないんだったらどこにいてもいいだろう。おいで」
と、結局あたしは船長室に連れて行かれることになった。
ヒルデさんの船長室はディオンのところよりは窓が小さいけれど、そこから海の青が見えて目に眩しかった。全体は木の板を張っただけ、みたいな無骨な部屋だ。余計な装飾はほとんどない。航海日誌を入れた棚や方位磁石なんかの道具はあるけど、本当に殺風景。
「アモス、イーサン、下がっていいよ」
「はぁ……」
イーサンさんがちらりとあたしを見た。何その不安そうな目。あたしがヒルデさんに敵うとか思ってるわけじゃないのにね。
「わかりました。食事はともかく、飲み物くらいは用意しましょう」
アモスさんは冷静にそんなことを言った。確かに、水は飲まないと無理だ。言われて初めて、あたしは喉の渇きを覚え始めた。ククヴァヤ島に上陸した時のことを思うと遥かにマシなんだけどね。
「ああ、頼むよ」
落ち着いた声で答えるヒルデさん。アモスさんは的確にヒルデさんの望みを察して命じられる前に動く、そんな印象だ。有能な部下でいいね、ヒルデさん。