⑩人質
船室の扉をピローケースでくくりつけて、簡単には開かないだろうと思ってたのはあたしだけだった。
外から悪態をつくヒルデさんの声が聞こえたかと思うと、扉はビリビリって布の破れる音を立ててものすごい力で開かれた。ピローケースは裂けて無意味にぶら下がってる。……どんな力よ、イーサンさんってば。
見掛け倒しじゃないイーサンさんの筋肉に、あたしはその場で顔を引きつらせていた。イーサンさんが開いた扉をヒルデさんはあっさりと潜って来る。その後にアモスさんも控えてる。こうなると、さすがにあたしも逃げ場がない。ベッドの上で壁に張りつくと、ヒルデさんはあたしに思いきり顔を近づけて来た。
「この不良人質娘」
変な呼び名つけないでよ。
「そっちの人選ミスでしょ!」
「それは違いないが――」
肯定されても、それはそれでなんか腹立つな。
そこでヒルデさんはあたしから顔を放すとふぅ、とひとつ嘆息した。そうして、あたしを見下ろす。怒っているというよりも呆れているのかも。
「それで、あんたは一体どうしたいんだい?」
どうって――。
そのひと言にあたしはしょんぼりと項垂れた。そんなあたしにヒルデさんは言う。
「あんた、この船の財政状況をわかってないね」
「え?」
「不味いメシだって喚いてたらしいじゃないか。その不味いメシでも全員に毎日食わせてやることができないんだ。これはアタシが不甲斐ないせいだけど」
苦々しく、ヒルデさんは顔をしかめた。悔しそうで、苦しそうで、あたしはその顔から目が離せなくなった。
「一度時化に遭ってね、船も修理しないとガタが来てる。火薬ももうないから先に行き遇った船を襲うこともできなかった。そこへ来てディオンとの邂逅だ。正直、神に感謝したよ」
そんなに切羽詰った状態なの?
あたしは思わず言った。
「……それ、ディオンに正直に言えばよかったのに。ディオンなら恩のあるあなたを無下にはしなかったと思う」
すると、ヒルデさんはそんなあたしを鼻で笑った。
「だろうね。でも、情けをかけられるのは我慢ならないんだ。施しを受けた瞬間にアタシたちは海賊の誇りを失う」
「誇りじゃおなかいっぱいにはならないでしょ」
アモスさんとイーサンさんがたじろいだ。でも、ヒルデさんは怒った風じゃなかった。大きくうなずいてる。
「もっともだ。まあ、それでこっちはあんたを引き渡さないことには金目のものが手に入らないんだ。あんたに食わせるゆとりはないよ。素直に帰りな」
困ってるのはわかったけど、だからって今度はディオンたちが困るのがわかってて帰れない。
「勝手なこと言わないでよ……」
なんて抵抗しても、この場でグルグルに縛られでもしたらそれまでなんだけどね。ヒルデさんは一応、あたしと話し合いを持ってくれてる。正直なところ、これは意外だった。
「向こうに帰らないからって、この船があんたの居場所にはならないよ。受け取り損ねた金貨の代わりにどこかの町であんたを売り飛ばすけど、それでもいいのかい?」
……結局そういうことになるんだ。なんだろあたし、そういう星回りなの?
「どうせこの場所で金貨を受け取っても、町へ行くまでは使えない。アタシはどっちでもいいんだ。あんたが選びな」
あたしが、選ぶ。
帰りたくないわけないじゃない。あんな優しい人たちに囲まれた幸せな場所、あたしは他に知らない。
みんなは気にするなって言ってくれる。わかってるけど、気にしないわけないじゃない。
ずっとずっとお金に苦労して働き続けていたあたしだからこそ、あの金額がどれほど大きいか身に染みてる。あたしが向こうに帰ることを選ぶのは、みんなよりも自分を優先することみたいに思えて仕方ない。
でも、あたし、本気でみんなと別れるほどの覚悟はあるの?
二度とディオンに会わないなんて選択ができる?
あたしはやっとヒルデさんに顔を向けることができた。そうして、言った。
「ヒルデさん、お願いがあるんですけど」
急にしおらしく敬語になったあたしに、ヒルデさんは警戒するような目をした。
「お願い? あんた、自分の立場がわかってるのかい?」
ヒルデさんは皮肉な笑みを見せたけど、あたしは怯まなかった。
「大したことじゃないんです。この船の中を見せてほしいんです」
「は?」
「別に何もしません。見るだけでいいんです。お願いします」
ぺこりと頭を下げる。
「何がそんなに気になるんだい? アタシの言葉に嘘がないか確かめたいのか?」
ため息混じりにそんなことを言われた。
「違います。漕ぎ手座が見たいんです」
あたしの言葉にヒルデさんはもちろん、アモスさんとイーサンさんも首をかしげた。