⑩責任者
あたしはバスタオル一枚なんてあられもない姿で、空っぽのカゴを呆然と見下ろしていた。
一体、誰が……。
なんて、呆然としてる場合じゃなかった。あたしはそっと脱衣所の扉を少しだけ開いた。廊下にマルロはいない。誰もいない。
「これって、つまり……」
マルロの仕業? 新人イビリ?
「それとも……」
下着ごと盗まれた。エセルさんだったりして?
もしくは、第三者。
「誰よ?」
さすがにあたしも怒った。誰か知らないけど、こういうことしていいと思ってるの!?
頭に血が上った。このまま泣き寝入りなんてしてやるか!!
あたしはバスタオル一枚で廊下に出た。そのまま廊下を堂々と歩く。数人の船員に出くわしたけど、もう知らない。あたしは開き直ってた。そんなあたしが目指した場所は――。
ドスドスドス、と乱暴に扉を叩く。
そうしたら中から澄ました声が返った。
「こんな時間になんだ? 入れ」
誰かを確認するでもなく、この船室の主は答えた。この部屋は、船長室。
そう、船長のディオンさんの部屋だ。
もう誰だかわからない嫌がらせの苦情をぶつけに来た。だって、船長なんだから責任者でしょ。この船の中の誰かの仕業なんだから、ディオンさんのせいでもあるってこと。
あたしが怒りに任せて扉を開くと、重厚な机で優雅にワインを飲みながら航海日誌をつけていたらしきディオンさんはあたしの格好にワインを吹きそうになった。それを堪え、激しくむせる。
「お、お前……っ」
あたしは船長室にズカズカと入った。バスタオルが落ちないように胸もとを押えつつ、その机の上に思い切り手をついてディオンさんに凄む。
「お風呂に入ってたら服を隠されました」
「だからって、その格好でなんでオレのところへ来る!?」
「だって、船の中の誰かの仕業でしょ? ってことは、ディオンさんの監督責任じゃないですか? 早くなんとかして下さい」
「無断乗船した挙句、よくそこまで図々しいことが言えるな?」
ディオンさんは顔をしかめて立ち上がった。あたしを通り越すと、部屋を出る前に一度だけ振り返った。
「オレが戻るまで部屋から出るなよ。後、部屋のものには触るな」
「はいはい」
バタン、と扉が閉まる。あたしは言われた通りにそこで待つ。
触るなとは言われたけど、見るなとは言われてない。あたしは部屋の中をじっと見回した。
海賊船の船長室って言っても、財宝なんてない。結構質素なくらい。羅針盤とか必要最低限のものがあるだけ。でも、見晴らしはいいかな。
隣の扉は寝室と宝物庫ってところ?
あ、航海日誌が広げてある。――ええと、って、昨日のところに『頭の悪そうな小娘を乗せるはめになった』とか書いてある! 失礼極まりない!!
そこで、湯冷めしたのかくしゃみが出た。くしゅんくしゅんと繰り返してると、ディオンさんが帰って来た。あたしの服をあっさりと手に入れて。
「あ!」
手を伸ばしたあたしの顔に押しつけるようにして、ディオンさんはあたしの服を手渡した。
「これでいいな?」
「うん、ありがとう」
服を取り返してくれたから、航海日誌の件は不問にした。でも、これって誰の仕業だったのかな?
あたしがチラッとディオンさんを見ると、ディオンさんはすぐにあたしの言いたいことがわかったみたいだ。
「マルロの仕業だ。ゼノンやファーガスはこんなくだらないことはしないし、エセルや他のヤツなら服より中身にしか興味がない」
うわぁ。
「お前が困って途方に暮れたころに返してやろうと思ってたらしい。そういうことするのはあいつくらいだ」
って、ディオンさんは嘆息して髪を掻き上げた。
「生意気、らしいぞ。あいつにとって、お前は」
「ああ、そうですか」
お互い様だと思うんだけど。
平坦に答えたあたしに、ディオンさんは再び席に着いてから言った。
「一応叱ってはおいた。けどな、この船の中じゃお前が異物だ。それは忘れるな」
ぐ。
手の平に力を込めて、あたしは笑った。
「わかってますよ。いいです、マルロとはあたしが自分で直接対決しますから、叱ってくれなくてもよかたのに」
別に告げ口しに来たかったわけじゃない。マルロとは余計にこじれたかも知れないけど、言うことは言わなきゃね。
「じゃあ、ありがとうございました」
あたしはディオンさんにぺこりと頭を下げた。そして服を抱えてそのまま部屋を出ようとした。そうしたら、背中にディオンさんの呆れたような声がかかった。
「おい」
振り向くと、ディオンさんは頭痛でもするかのように額に手を当ててた。
「服はここで着て行け。その格好で出歩くな」
「え? ディオンさん、あたしの着替え見たいんですか?」
「ふざけるな! オレの船でこれ以上揉め事を起こすなって言ってるんだ!!」
怒られた。
「オレはここにいるから、そっちの部屋を使え」
「はーい」
これがエセルさんだったら覘くだろうけど、ディオンさんはあたしに興味なさそうだし安心。
隣の部屋に入ると、そこはディオンさんの寝室っぽかった。ベッドがある。いいなぁ、広いし寝心地よさそう。
あたしはそのベッドのそばのサイドテーブルに服を置くと着替えを済ませた。うう、なんかすっかり冷えちゃった。すぐに出て行こうかと思ったんだけど、一回だけこのベッドに横になりたいっていう誘惑に勝てなかった。だって、あたしの借りてる部屋は医務室で、あの寝台かったいんだもん。
一瞬だけ。一秒だけ。
ころり。
さすがのあたしもそこで気をゆるめることはないって思ってたんだけど、自分で自覚してた以上に疲れてたみたい。あたし――。