①夢と希望
Ⅰ(全20話)になります。
無慈悲な通告は、ある日突然だった。
ううん、突然に感じたのはあたしだけ。それはずーっと前から決められていたんだってさ。
笑っちゃうよね――。
「――ミリザ」
あたしを呼んだのは、あたしが世界で二番目に嫌いな人。その名も、オカアサン。
飲んだくれのオヤジの後妻。三十代後半だったかな。年齢なんかどうだっていい。目を合わせたくないから普段はあんまり顔を見ないようにしてるんだけど、特別美人でもなんでもないヤな女だ。日の高いうちに起きて来るなんて珍しい。
「何?」
あたしは忙しく洗濯をしながら、顔を上げずに返事をした。公共のポンプから出る水と持参の洗濯板でゴシゴシと、三人分の洗濯をする。洗濯は嫌いじゃないけど、なんにもしないこの女と馬鹿オヤジの服かと思うと楽しくない。
うちの家族は三人。
もとは船乗りだったけど、怪我をしてから飲んだくれになって働かない父親と、怠け者の義母。で、その二人に十年こき使われてる娘のあたし。
自分で言うのもなんだけど、あたしが家計を支えてる。仕事は常に三つ掛け持ち。家事も全部こなしてる。――なのに、働いても働いても楽にならない。
駄目オヤジの酒代と、ギャンブル好きな義母に使い込まれる。お金はもっと大事に使ってと言った瞬間に、一日動けなくなるくらいオヤジに殴られたことがあった。その時に思った。
あ、効率悪いなって。
だって、あたしの一日分の稼ぎが消えちゃったんだもん。次の日も動きは鈍くて早く帰れって言われちゃったし。これなら、使われるの覚悟で稼いだ方がマシ。削られるのはあたしの食事。
クヨクヨしてる暇なんてあたしにはない。残念ながらね。
ジャブジャブと洗濯を続けるあたしを、オカアサンはうっとうしそうに見下ろした。
「アンタ、今日で十六になるんだよね?」
あ、ほんとだ。今日、誕生日だ。
忙しさのあまり自分でも忘れてた。
十六か。もう子供ってほどでもない。
いつの間にそんな年になったのかな。楽しいことってなんだっけ?
祝ってくれる気もないくせに、オカアサンがそんなことを言う。見上げた瞬間に、そこにあった笑顔にあたしは凍りついた。
「ずぅっと前から約束してあったんだ。アンタが十六になったら買ってもらうって」
「え?」
あたしは家の中ではほとんど喋らず、大人しく過ごしてる。喋るとろくなことがないと思うから。
オカアサンの、そのゾッとするような目をこうも長く直視したのは初めてのことかも知れない。もっと早くにそれを見ていれば、そこに堂々と存在した嫌悪に気づけたのに。
「あんたが下働きしてる娼館だ。まったく見ず知らずのところじゃないから安心しなよ。まとまった金が入るんだ、あんたはほんとに親孝行な娘だねぇ」
この海沿いの町は船乗りの男たちがハネを休めに来る。つまり、酒場や賭博場、娼館、そうしたものの需要が高い、治安がいいとは言えない町。あたしみたいな子供は、そんな町の餌食だ。
一生懸命働いて、そうしていればいつか風向きはいい方に変わるんじゃないか――あたしはどこかでそんなことを考えてた。ここへ来て、それがどんなに馬鹿らしいことだったかやっと気づいた。
あたしの長い波打った赤毛をオカアサンはぐい、と引っ張った。痛いのは、わざとだ。
「アンタ、可愛げはないけど顔も体もソコソコなんだし、精々稼ぎなよ?」
呆然とするあたしを尻目に、オカアサンはあーははは、と昼間の住宅地に不釣り合いな高笑いを響かせてボロい家に戻った。とことん恥ずかしい人だ。呆れてものが言えない。
慌てず騒がず、あたしはそのまま洗濯を続けた。
ゴシゴシゴシ。
そして、考える。
娼館へ売られるということは、今後もあいつらのために身を削って働かなくちゃいけないってこと。あいつらのことだから、あたしの稼ぎを掠め取って、年季が明けることがないくらいに借金作るに決まってる。あたしは若くて体を売れるうちは売って、それでも返せない借金を年を取っても抱えて下働きに戻るんだ。若い娼婦に馬鹿にされながら娼館から逃げられない、そんな惨めな生涯を送るんだ。あたしは娼館の手伝いもしてるから、そんな裏事情もわかってる。
着古してくたびれたオヤジのシャツを力いっぱい絞った。弱った布がブチブチって切れる音がした。あたしはそれを石畳の上に叩きつけると、拾いもせずにタライの水を撒き捨てた。
そうして、笑いが込み上げて来る。
なんて言うのかな、すごく清々しい気分だった。
変に思うかも知れないけど、そうとしか表現できない。
あたしの心はやっとあの二人に見切りをつけることができたんだから。
身売りの代金? 知らない、そんなの。
本人の了承もなく話を進めたヤツが悪い。
さ、家出しよう!
夢に見た自由があたしを待ってる。
タイトル詐欺かというほどに夢も希望もないスタートです(え?)