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陽太と月夜のアブノーマル兄妹モノ

俺のヒロイン

作者: 熊出

 それは幼い日の思い出だ。

 俺はサッカーボールを蹴っている。

 公園とその隣にある駐車場を隔てるコンクリートの壁に向かって、叩き付けるように蹴っている。

 跳ね返ってきたボールを蹴り返す。

 それを延々と繰り返す。

 そのうちやってくる彼女の姿を思い浮かべながら。

 それは単調な作業でありながら、心躍る時間でもあった。

 俺は彼女を待っていた。

 大好きな彼女を、ただ待ち続けていた。


「よーうーたっ」


 話しかけられて、俺の意識は過去から現在へと引き戻された。

 俺達は新幹線で、地元に向かって移動している。

 そこから祖父母の家に行ってお盆を過ごすのが俺達の家の習慣だった。

 俺と月夜が大学に上がってからその習慣は途絶えたものだと思っていたのだが、今年は急に再開することになった。

 正月にも顔を出さない俺に、両親が業を煮やしたのかもしれない。

 隣の席に座っているのは、双子の妹の月夜だ。


「なんだよ」


「たまにはお祖父ちゃんの相手をしてあげなよ」


 月夜がもっともらしいことを言う。


「一緒に飯食うから良いだろ」


「将棋の相手とか」


「それは親父がするだろう」


 祖父母の家に行くのが、実は俺は苦手だ。

 女衆の会話にも入れないし、祖父と父は将棋をしている。

 そうすると、俺の居場所はどこにもない。

 だから幼い頃も、祖父母の家に行ったら近くの公園でサッカーをしていたものだ。

 思い出の彼女を、ただ待ちながら。


「けど、お祖父ちゃんもたまには陽太とじっくり話したいって言ってたよ」


「まあ、どうしても父さんや母さんと話してるのが主になるからなあ」


「そう、だから今回は、ジジ孝行をしようよ」


「食事中に少しは話すから十分だろう」


「まあ、そうかもしれないけれどね」


 簡単に引き下がるのが彼女らしかった。

 月夜は顔は美形の部類に入ると思う。

 しかし、いかんせん大人し過ぎる。

 一人にしておくと悪い男に簡単に引っかかりそうで、見ていて冷や冷やとする。

 だから親も、金銭的な都合はあったにしろ、俺と月夜を同じアパートに同居させたのだろう。

 月夜は甲斐甲斐しく家事をしてくれるし、同居相手として不満はない。

 ただ一つの疑惑を除けば、だけれども。


 月夜は俺に惚れているんじゃないのか。そんな風に感じることがしばしばあるのだ。

 この前の性質の悪い嘘だってそうだった。

 彼女は、酔っていた俺に押し倒されただなんて嘘をついたのだ。

 そんな嘘をついて何をしたかったのか。

 それは、俺を束縛したかったからではないのか。

 月夜の兄弟愛は、少し常軌を逸脱しているのではないか。

 そんな疑惑が、俺の中で燻っている。


 俺は、そんなアブノーマルな関係は嫌だった。

 恋愛ぐらいは普通にしたい。

 そう、幼い頃に恋焦がれていた少女のような相手としたいのだ。




 実家に戻ると、車に乗って、俺達は祖父母の家へと向かった。

 車の中では月夜と母が料理の話で盛り上がっている。

 月夜が上手くいかなかった例を挙げ、それに母が正確な答えを導き出してみせるのだ。

 流石に料理を初めて数年の月夜と母では知識量に差がある。

 それは微笑ましい親子の風景だった。

 父は特に話に入らない。

 無口な人なのだ。

 祖父母の家に着いて、挨拶を終えると、俺は近所を歩いてくると言って外に出た。

 倉庫を開くと、そこには傷だらけのサッカーボールと、空気入れが入っていた。

 まだあったのか。懐かしさに、俺の頬は少し緩んだ。


 ボールを蹴りながら、近所の公園に向かう。

 彼女が現れなくなったのは、いつからだっただろう。

 お盆の短い期間の間だけ、公園で一緒に過ごす彼女。

 彼女はいつしか、現れなくなった。

 引っ越してしまったのかもしれないし、たんに他に遊ぶ友達が出来たのかもしれない。

 そもそも、近所の子供かすら俺は知らなかった。

 今思えば、彼女はミステリアスな存在だった。


 公園に辿り着くと、駐車場の壁に向かってボールを蹴る。

 幼い頃は大きく見えたそれも、今では手をかければ簡単に超えれそうだ。

 ボールを蹴る強さも調整しないと、簡単に駐車場まで飛んで行ってしまうだろう。

 俺は足の内側を使った軽めのパスを壁と応酬した。

 大学に上がってからボールを蹴っていなかったから、久々の運動が体に心地良かった。


 しかしそれも、三十分も経つと飽きてしまった。

 俺はボールを椅子にして公園で座り込んだ。

 問題は、ともかく暑いことだ。昔の自分はこんな暑さの中で遊んでいたのだな、と考えてしまう俺は、どこか年寄臭い。

 祖父母の家に戻って、スマホで友達と絡もうかな、とでも思った時のことだった。


「陽太君?」


 頭上から声が降ってきて、俺は空を見上げた。

 同年代の女性が、そこには立っていた。肌が浅黒く焼けた、活発な印象の女性だった。


「……ああっ」


 声が勝手に喉元から出てきた。

 幼い頃に一緒に遊んだ彼女と、今の彼女の姿が、脳裏で結びつく。

 そう、彼女こそが、俺がいつも公園で待っていた女性だった。




「ただいまー」


 時計の針が夕刻に差し掛かる頃、やけに上機嫌な陽太の声が祖父母の家に響いた。

 祖母も従妹も母も、口々にお帰りと返事をする。

 帰ってからの陽太は、月夜から見るとどこか不審だった。

 食事中も、スマートフォンで頻繁にラインの返信らしきことをしている。

 表情は情けなく緩みっぱなしだ。

 月夜はなんだか腹が立ってしまって、陽太を廊下に引っ張り出した。


「食事中ぐらいスマホ辞めなさいよ」


 小声で月夜は言う。声についつい苛立ちが混じる。


「悪い悪い」


 流石に態度が悪かったと感じたのか、陽太はあっさりと謝った。


「……友達と連絡でもしてるの?」


 月夜は、恐る恐る尋ねる。

 その相手が女性なのだろうな、ということを、月夜は敏感に察しとっていた。

 男友達だったなら、祖父母の家での食事の最中にまでわざわざラインで連絡を取り合ったりはしないと思うのだ。

 元々、陽太に女友達が多いのは月夜も知っている。

 しかし、ここまで連絡を取るのに夢中になる相手がいるというのは、知らなかった。

 それはなんだか危機感を月夜に覚えさせるのだ。

 月夜は、陽太が自分から離れていくのが不安だった。

 できるならば、自分の傍に縛り付けておきたかった。

 けれども、この陽気で社交的な男は、いつもどこかへ行ってしまう。

 晩御飯の用意をしておいても、友達と飲みに行くと言っていなくなったりする。

 そのたびに、月夜は作りすぎた晩御飯を、数日に分けて処理する羽目に陥っている。

 こんな時に、月夜は思うのだ。

 自分と陽太が、兄弟じゃなければ良かったのに、と。

 兄弟じゃなかったなら、いくらでも陽太の傍にいて良かったのに、と。


「お前には関係ないだろ。食事中のスマホは改めるよ」


 陽太は、答えをはぐらかした。

 やっぱり女だ。

 月夜はそう確信し、なんだか胸の中がもやもやとするのを感じた。




 夜になると、陽太は庭に面した窓を開いて、足を外に出していた。

 寝間着姿の月夜はその傍に座る。

 二人の間は手を握り合えるほどに近く、精神的な距離は遠い。

 兄と妹という関係性が、二人の間に壁を作る。

 陽太は相変わらず、スマートフォンに付きっきりだ。

 音が鳴っていないのを見ると、ただ返信を待っているらしい。

 流石に月夜は呆れてしまった。


「……彼女でも出来たの?」


「いや?」


 陽太は上の空で返事をする。


「なんだか懐かしいよね」


 月夜が、呟くように言う。

 少しでも、自分へ気を引こうとするかのように。


「昔は沙耶ちゃんと三人で、並んで寝たよね」


 沙耶とは、従妹の名前だ。


「そうだなあ。今じゃあ男女別室で分けられてるけど、昔は大人と子供で分けて寝てたっけ」


「色々なことを話しながら寝たよね」


「そうだなあ」


 陽太はやはり、上の空だ。

 ぴしゃりと音を立てて、陽太が手を叩いた。

 赤い血と蚊の死体がその掌の中にあった。


「寝るか」


 陽太が言う。

 今日の陽太はいつにもましてそっけない。

 それが、ますます月夜を不安にさせた。


「明日、俺、一日いないから」


 その予告が、月夜をさらに不安にさせるのだった。


「デート?」


 差し出がましいと思いながらも、月夜は平静を装いながら尋ねる。


「デート」


 陽太は、淡々と言った。

 月夜は少しだけ泣きたくなった。

 いつかは、陽太と離れてしまう時が来ると月夜は知っていた。

 けれども、いつまで経ってもそれに納得できていない。

 陽太は生まれた時から一緒にいた、月夜の片割れだ。

 一人で歩くことに、月夜は不安を持っている。

 そして何よりも、陽太を必要としているのだ。




 翌日、俺は公園へ行くと、彼女を待った。

 ボールをリフティングして時間を潰す。

 そのうち、拍手が背後から聞こえてきて、俺はボールを腿に乗せて、ゆっくりと地面に落とした。

 彼女は車でやってきていた。

 俺は持ってきたボールを草むらに隠して、車の助手席に乗り込む。


「車、自分の?」


「親の」


 悪戯っぽく笑って、彼女は車を発進させる。

 そういえば、こういう笑い方をする少女だったと、俺は懐かしくなった。

 彼女と俺は、お盆が来るたびに公園で一緒に遊んでいた。

 いつも俺は、ボールを蹴って彼女を待っていた。

 二人で遊ぶ時間をとても楽しみにしていたのだ。

 それが、数年ぶりに再会した。

 とんとん拍子で、デートの約束をすることになった。


「近場にあるけど、水族館行ったことないんだよね」


「そういえば俺も、改めてそういうところに行ったことがないな」


「そう? 君はデートとかでそういう場所に慣れてそう」


「女友達は多いけど、彼女はいたことがないな」


「ふーん、モテそうだけどな」


「考えてみれば、そういうのに対する興味が薄かったのかもなー」


 それが、今回はとんとんとデートまで話を進めている。

 幼い日の相手への思いが、今の俺を突き動かしているのかもしれなかった。




 月夜は、てるてる坊主を逆さに吊るしたものを作って、それをぶら下げようとして、辞めた。

 てるてる坊主を逆さに吊るすと雨が降る。迷信である。

 今はその迷信にでも縋ってみたい気持ちだった。

 陽太がここまではっきりとデートをすると明言したことはあっただろうか。

 いや、なかった。

 陽太は女友達も多いが、明確な恋人候補を作ったことはなかったのだ。

 それが、デートをするという。

 いつかはこういう日が来るとわかっていた月夜だったが、心はざわついて落ち着いてはくれない。


「何やってるの、月夜ちゃん」


 沙耶に声をかけられて、月夜は慌てててるてる坊主を握りつぶした。

 てるてる坊主は、哀れにもティッシュの塊になった。


「ちょっとくしゃみがでそうで出なくって」


 そういって、ティッシュの端で鼻をかむ。


「ふーん、風邪?」


「かも」


 そう言って、月夜はてるてる坊主だったものをゴミ箱に捨てた。




 俺と彼女の会話は尽きなかった。

 今まで何をしていたか。それを語るだけでいくらでも時間が潰せた。

 高校時代にサッカーの県選抜に選ばれたことや、それなりの大学に入学したことを、彼女は我がことのように喜んでくれた。

 彼女は、看護学校に通っているそうだった。高校時代は、テニス部で活躍したらしい。

 あの公園に来なくなったのは、引っ越していたかららしい。

 それを教えあう手段も、俺達にはなかったのだ。

 水族館で魚の感想を交えながら、俺達は話し続ける。

 それは、自分の半生を相手に知ってもらおうとしているかのようだった。

 どうしてか、度々月夜の顔が脳裏によぎった。

 なんで関係のないあいつの顔が脳裏に浮かぶのだろう。

 戸惑いながらも、時間は進んでいった。

 脳裏に浮かぶ月夜は、とても寂しげで、拗ねた表情をしていた。


 水族館を出た俺達は、喫茶店で紅茶を飲んだ。


「たまに、心ここにあらずだったね」


 悪戯っぽく笑って、彼女は言う。

 見透かされていたらしい。俺は困ってしまった。


「良い看護師になるよ、その観察力」


「昔から陽太君はそうだよ。気が付くと、考え込んでる」


「そうだったかな。失礼な奴だな、俺」


「ううん。人間ってそういう時ってあるものだから。気にしてないよ。そろそろ夕刻だから、公園に戻って解散しようか」


 名残惜しいが、確かにそろそろ帰らなければならない時間だった。


「また、遊べるかな?」


 俺の問いに、彼女は薄っすらとほほ笑む。


「お盆とかじゃなくてもさ。普通の時にでも。ちょっと距離は遠いけど、遊べない距離じゃない」


 それは、俺から彼女に対する愛の告白と言っても良かった。

 俺は、彼女に対して特別な感情を抱いていた。

 いや、それは、幼かった日の俺が、公園で待っていた彼女に抱いた感情なのかもしれない。


「ねえ、陽太君、覚えてる?」


 彼女は悪戯っぽく笑って、言った。


「私、君に振られてるんだよ。覚えてなさそうだから、教えておくけどね」


 俺は、呆気にとられていた。




「私、付き合ってる人いるんだ」


 別れ際に、彼女はそう言った。


「結婚するかもしれない。だから久々に、ここに来てみる気になったんだ」


「それはめでたいね」


 俺はそう返しながらも、落胆していた。

 幼い日の思い出が、一つなくなってしまった気がした。


「君は、上手くいってるの?」


 彼女の問いは、何を指しているのか俺には良くわからなかった。


「上手くいってるかって?」


「毎日待ってた、彼女と」


 それは、彼女自身のことのはずだ。

 俺は戸惑って、とっさに返事ができない。


「まあいっか、何かあったら、ラインで教えて」


 そういうと、彼女は手を振って、車を発進させて行ってしまった。

 俺は草むらに隠しておいたボールを取り出して、駐車場と公園を隔てるコンクリートの壁に向かって蹴り始める。

 俺は誰かを待っていた。

 お盆になると、いつもこの場所で待っていた。

 だというのに、俺は彼女を振ったのだと言う。

 そんなわけがない。心の中に燻ってるのは、間違いなく恋心だ。

 告白されたなら、俺はきっと何があろうとそれを受け止めたはずだった。


 ボールが何度も、コンクリートの塀に叩き付けられて乾いた音を立てる。

 その時、足音が俺の傍に近づいてきた。


「デートじゃなかったんだ?」


 月夜の声だった。

 少し嫌味っぽい口調だった。


「デートは終わったんだ」


「上手く行った?」


「相手に彼氏がいた」


 月夜が、返事をするまでしばし間があった。


「……それは残念。試合前に勝負が決まってたね」


 優しい声だった。

 その声色に、俺は少しだけ心を癒された。

 二人で肩を並べて、公園のベンチに座る。

 蝉の声が、どこからともなくしていた。


「ねえ、覚えてる?」


 月夜が言う。


「子供時代、陽太はいっつも外で際限なしに遊んでたから、私、いつも晩御飯の前に呼びに行ってたよね」


「そういうこともあったっけかなあ」


 俺は誰かを待っていた。

 ボールを蹴りながら、誰かを待っていた。

 彼女は、俺にとって愛しい人だった。

 そして、俺を呼びに来ていたのは、誰でもない月夜だった。

 頭の中に浮かび上がり始めた嫌な構図を、俺は必死に思考の底に沈めた。

 俺はノーマルなはずだ。妹がアブノーマルだからと言って、兄までアブノーマルなわけがない。

 俺の初恋は今日一緒に水族館に行った彼女のはずだ。

 俺はそう念じて、そう信じようとした。


「今日もそろそろ晩御飯だよ。帰ろっか」


 そう言って、月夜が立ち上がる。

 俺も、それに従って立ち上がった。

 何故か、月夜の声を聞いて、落ち着きを覚えている俺がいた。

 心の中で、あるべきものがあるべき場所に収まったような感覚があった。

 けれども、俺の初恋は月夜なんかじゃない。意地でも俺は、そう譲らなかった。





 帰り道、俺達は親に見送られて新幹線に乗った。

 隣には月夜が座っている。

 スマートフォンには、何の着信もない。


「将来一緒に暮らしたい人がいるんだ」


 幼い頃の俺の声が、脳裏によみがえった。


「だから、君とは付き合えない。俺はそいつと一緒に過ごして、そいつを守るんだ」


 願うなら、もっと違うことを願えよ昔の俺。

 神様は律儀に、幼少期の俺の願いを叶えてくれていたらしかった。


「なあ、月夜」


「なあに? 陽太」


「最近また、変な男に付きまとわれたりしてないか」


「最近は大丈夫だねえ」


「なんかあったら言えよな」


「まあ、自分で解決できる範囲でなかったら言うよ」


「どうせお前じゃ解決できないから俺に言え」


「酷いなあ」


 月夜は、楽しげに言う。


「けど、俺はアブノーマルじゃないからな」


 呪文のようにそう唱えた陽太に、月夜はきょとんとしていた。

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