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眠姫異聞  作者:
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2

 季節は巡り、夏がやってきた。


 暑い。生まれ育った皇都よりも南にあるこの城。食欲はない。心無しか手首にはめた腕輪がぶかついて、みっともないような気がする。

 彼に会いたい。

 離縁して、その側を別れてから、それを願わない日はない。それが叶わぬ想いで、子どもっぽいわがままである事は解っている。でも、その想いだけが自分の全てだった。そんな単純な事に、やっと気がついた。勿論、気がついたところでもう遅いのだけれど。募る思いは日に日にその大きさを増して。今にも喰い尽くされそうな気さえする。いっそ食い殺されればどんなにか楽か。

 忘れてほしいと思いながらその実、いつまでもその心の中にいたい。そんな風に思う自分が堪らなく浅ましい。いっそ儚くなってしまえれば、どれだけ良いか。

 だけど、そんな事になった時のかれの嘆きを解せぬ程、子どもにはなりきれない。

 しかし、生きていてなんになるのか。彼を煩わせるだけの存在に成り下がりたくはない。

 今の住まいだって、彼によって整えられたものだ。彼の助けがなければ、生活もままならない自分の身の上が堪らなく腹立たしかった。

 そばにいたいのに。いられない。

 生まれてきてから、あたり前のように与えられてきた彼のとなりが、あたり前のものでなかったと、ようやっと、思い知らされた。

 会いたいのに、会えない。

 せめて今ひとたび、見えることが叶うのならば。彼に精一杯の感謝と、祝福を。

 でも、やっぱり隣に居てほしい。変わる事なく、頭を撫でてほしい。



 眠れない夜の数だけ繰り返された問答は、段々とミシェルの心をかき回していく。

 思考回路は最早、めちゃくちゃで。


 そうして、心のバランスは転がり落ちるように崩れていった。



「顔色が、優れませんよ。」

 きっかけは小さな言葉だった。常に傍近く控える侍女たちに、体の不調をしられぬ訳もない。自分の間抜けさにイライラする。だけど、心配してくれる相手にそんな態度をしてはいけない。その位の事を考えるだけの余裕はまだ残っていた。だから、侍女の気遣わしげな表情にいつもの様にいらえる。

「暑くて、眠れないの」

 それは本当の事であり、嘘でもあった。わかっている。過保護な彼は、ばれないつもりで誰かに自分の日々を報告させている事だろう。顔色が悪い。そんな些細な事だって、彼の心を痛めるに違いない。

 心配させてしまう。

 早く、良くならないと。


 速やかに医師が呼ばれ、問診を受けた。初老の、好々爺といった風情の医師は初めて見る顔だったが、話のわかる人物だった。暑気あたりによる、不眠。そう下された診断。無遠慮に、ミシェルの心の中に踏み込んで来る事はなく、安心させるようににっこりと笑った。そのことに、心底胸を撫で下ろした。

 医師は、ミシェルと侍女たち。それから料理番にいくつか注意をすると、睡眠薬をおいて去っていった。また来ます。そう約束をして。

 そうして医師が去ると、どこかほっとしている自分が居るのがわかった。気分が上向き、ほんの少しだけ前向きになる。

 愛されているという自覚が、うぬぼれでない事くらい、とうの昔から知っているから。いっぱい愛されて大きくなった。晴れの日も、雨の日も。楽しい時も、悲しい時も。そばに居て、共に時間を刻んだ。思い出の中にはいつだって彼がいた。

 でも、それでも、側にはいられないけど、お兄様には幸せになってほしくて。

 自分でない他の誰かを、心から見つけてほしいと思った気持ちも、偽物なんかでは決してないのに、


 だけど、やっぱり。



 始めは緩やかに、しかし確実に。徐々に、薬がなければ眠れなくなり、量は増えていく。

 良くない事は解っている。強い薬だ。過ぎれば、目が覚めなくなり、やがて命を落とす劇薬。それでも、飲まねば眠れぬ。飲めば眠れるとあれば、つい、その量を重ねた。飲まずには、居られなかった。心のどこかで、安らかな眠りの世界に逃れたい、そんな想いが在る事を否定する事は最早出来なかった。


「ミシェル様、」

 気遣わしげな侍女が、そこにいた。

 何でもないのよ、という風に微笑む。ばれているって、わかってるけど。

「少し、横になりたいの。ひとりにして」

 侍女を下がらせ、一人きりになった室内。秘密の鍵のかかった引き出し。それをそっと引き出して、茶色の小瓶をとりだす。そうして見るでもなく眺めていると、ただただ、虚しさだけがその量を増していく。何もかもが億劫だった。

 ふと、姿見を見やると、変わらずに長い髪をした、青白い顔の少女がそこにいた。そうして、思い出されるのはクロードの笑顔。


『ミシェルの髪はふわふわでとても綺麗だ。

 だから、切らないでそのままで居て。』


 髪は、時とともにのびる。伸びた髪は、過ごした時間の残滓。それは未練だ。過去の中にはいつも彼が居た。浅ましい心の象徴の様な気がした。

 きらなきゃ

 唐突にそう、思った。それは至極当然のものとして、ミシェルの心の中に生まれでた。

 かしゃん。鋏は、何でもない様に音を立てた。見やれば長い髪の毛が天鵞絨の床の上に蜷局を巻いていた。


 空の瓶が十を数えるその日、


---とうとう、ミシェルは目覚めなくなった。



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