④ブラコン少女と誘拐犯(困)
自称化学者、ウィリアム=ウインストンには妹がいる。
九つも年下の妹は、今年でやっと十二歳。まだまだ子供だ。
今は再婚した母と新しい家族と一緒に暮らしている。
それがまた遠いところで、簡単には会いに行けないけれど、電話もかかるしメールもマメに届く方だ。
最後に会ったのは三年くらい前だけれど、画像もたくさん届いたから、そんなに会っていない気がしなかった。背も伸びたし、少し大人っぽくなったと思う。
もうすぐ、そんな妹、エリザベートの誕生日だ。プレゼントは何にしようか。
ウィリアムがそんなことを考えて悩んでいると、ビコンビコンと研究室の室内に、おかしな警告音が鳴り響いた。
「な、何っ?」
成り行きで居候している、悪魔っ娘のアシュリが、淡いブルーと黒のビスチェ風のワンピースといった姿で、ぬいぐるみのポポ太を抱き締めてうろたえた。
何故悪魔と同居しているのかというと、ウィリアムが召喚したからである。ただし、役に立たない低級悪魔だが。見た目がかわいいのですべて許される。
「侵入者だな」
ウィリアムは嘆息する。
頭はゆるめで魂はふやふやなウィリアムだが、これでも財閥の御曹司である。跡を継ぐ気は正直に言ってないけれど、傍目にはわからない。大事な跡取り息子として、誘拐されそうになったことは、過去に三度四度、五度、六度……。覚えていないくらいある。
二十歳を越えた今になっても、まだ狙われている。
ただし、ここは高級マンションの最上階。セキュリティは超一流。
こんなところに入り込む馬鹿がいるとは。
ウィリアムはパソコンを立ち上げ、捕らえられた侵入者の姿を映し出す。
何もない、正方形の真っ白な部屋の中でちょこまかと小動物のように動き回る人物。
それを見て、唖然とした。
シルバーカラーの波打ったツインテール。生意気そうなブルーグリーンの瞳。むっつりと結ばれた唇。もこもこ毛皮のコートにショートブーツ。大きなリュックを背負っている。
「エ、エリー」
どう見てもそれは、ウィリアムの妹の姿だった。
けれど、一人でここまでやって来たというのだろうか。星のほぼ反対側で、金に糸目を付けずにやって来たとしても、丸々一日はかかったはずだ。いつの間に、そんなにしっかりしたのだろう。ウィリアムはほろりとしたけれど、エリザベートは暴れ続けていた。
「もう! お兄ちゃんってば! 早く何とかしてよ!!」
その声で我に返り、ウィリアムはパソコンから捕獲室の操作をした。あの小部屋はエレベーターになっており、操作ひとつで上にも下にも移動できる。慌てて玄関の扉を開くと、廊下で開いたエレベーターの扉から、エリザベートが飛び出して来た。
「エリー!」
「お兄ちゃん!」
エリザベートはウィリアムの腰に抱き付く。感動の再会だが、この常夏の地で、場違いな毛皮はかなり暑い。脱げばいいものを、何故か着ている。
「いきなり来るから、セキュリティに引っかかるんだ。一言連絡をくれたらよかったのに」
「……だって、驚かせたかったんだもん」
「ああ、驚いたよ」
二人はあはは、と笑い合う。ウィリアムは、じんわりと心があたたかくなるのを感じた。
離れ離れになったけれど、エリーのことを考えていた途端に会えるなんて。
「まあ、入れよ」
ウィリアムはエリザベートを中へと招く。エリザベートも、うん、と朗らかに笑っていた。
けれど、室内へ踏み込んだ瞬間、ソファーの上で不細工なぬいぐるみを抱き締めているアシュリを目撃した瞬間、エリザベートのかわいらしい顔は悪鬼の形相になった。
「な、何あれ! お兄ちゃん! あれ、誰よ!!」
「え?ああ……」
少し、存在を忘れていた。あれは自分が召喚した悪魔だとか、妹に言ったら微妙な反応をされそうだ。
「あれは、アシュリっていう……」
なんと言うべきか。
彼女。クラスメイト。さっきそこで知り合った。
どれも嘘くさい。嘘なのだから、当たり前だが。
ウィリアムが考え込んでいると、アシュリの方から二人に歩み寄り、微笑んだ。
「あ、ウィリーそっくり! 妹さん? かわいい!」
目がキラキラしている。何故だ、とウィリアムは不思議に思ったが、答えは簡単だった。
エリザベートは、兄の目から見ても美少女だ。ふわふわとした髪に紅潮した頬。きっと、髪の毛くくらせてとか思っている。
思っているそばから、手を握った。
「アシュリです。仲良くしてね」
けれど、エリザベートは小さくケッと吐き捨てた。
「いや」
明らかにショックを受けたアシュリは、壁際でポポ太と脳内会話を始める。
アシュリちゃん、急すぎたんだよ、時間をかければ大丈夫だよー、ボクが付いてるよー、と。
説明しづらい状態のアシュリに視線を向けてから、エリザベートはイラッとした顔でウィリアムを見上げた。
「お兄ちゃん、あの人、まさか彼女? ちょっと、脚出しすぎよ。はしたないわ。あんな人、お兄ちゃんに似合わないよ」
「…………」
あの服はウィリアムの見立ててである。
ウィリアムは家事ロボットに紅茶を用意させつつ、なんとなく疲れてソファーに腰を下ろした。
エリザベートは、ようやく重たいリュックとふわふわのコートを脱いだ。けれど、やっぱりその下は布地の厚い紺のベルベットワンピースだった。かわいいけれど、見ていて暑い。
エリザベートはウィリアムのひざの上にちょこんと乗って、ウィリアムにべったりとくっつく。アシュリに対するけん制だろうか。アシュリはポポ太しか見ていないけれど。
昔はここまでべったりではなかった。やっぱり、離れていた反動だろうか。
「エリー、その格好でここまで来たなんて、暑かっただろ? 母さんはちゃんと用意してくれなかったのか?」
「う、うん。ここまで暑いと思ってなかったみたい」
「それじゃあ、体がおかしくなるぞ。着替えろよ」
ウィリアムはポケットから通話端末を取り出すと、ピピピと操作した。ものの五分で地下からブティック店員がやって来る。今日はレインボーな配色のスーツだった。目が痛い。
「本日は子供服ということで」
べったりと甘えて来る幼女をひざに乗せたウィリアムを一瞥すると、ブティック店員は目をそらした。
「ああ、この子に夏物を見繕ってくれ」
すると、店員はぞわりとすることを言った。
「ミニスカートでですか?」
「それは止めてくれ……」
さすがのウィリアムも、妹のそういう姿は見たくなかった。
「かしこまりました」
エリザベートは、真っ白で清楚な、麦わら帽子の似合いそうなノースリーブのワンピースに着替えた。靴もサンダルに履き替える。
「似合うよ、エリー」
ウィリアムが声をかけると、エリザベートはえへへ、と笑った。そんな姿がかわいらしい。そうして、甘えた声で言った。
「ねえ、お兄ちゃん、ケーキ作ってよ。お兄ちゃんが作ったものが一番おいしいんだもん」
そう言われて、悪い気はしない。ウィリアムは微笑んだ。
「そうだな。シトロンケーキがいいか?」
「うん!」
レモン風味のケーキが、エリザベートのお気に入りだった。
ケーキと聞き、アシュリも途端に元気になる。
「シトロンケーキ? うわぁ、いいなぁ」
けれど、エリザベートは途端に顔をしかめた。
「まだいたの?」
一瞬、アシュリはぐ、と言葉につまったけれど、再び笑顔を作る。
「あのね、ウィリーのお菓子はどれもおいしいけど、わたしはキャラメルシフォンが一番好き。エリーちゃんはシトロンケーキっていうのが一番好きなの?」
友好的な空気を作ろうとして言ったアシュリの言葉に、エリザベートは目をむいた。
ぷるぷると震える手でウィリアムのシャツをつかむと、何故かウィリアムをにらむ。
「お兄ちゃん、この人にもケーキを作ってあげたの?」
「あ、ああ」
「お兄ちゃん、もうあたしのことなんてどうでもいいんだ?」
「え?」
「せっかく会いに来たのに……! お兄ちゃんのバカ!!」
エリザベートは、ウィリアムから顔を背け、ひざの上から飛び降りた。泣いていたように思う。
そのまま駆け出し、ドアを抜けて外に飛び出した。
ウィリアムは唖然として、その場に固まってしまった。泣いていた、その理由がわからない。
特別が特別でなくなったから。
そんなことに気付ける、気の利いた人間ではないのだ。
「ウィリー、追いかけないの? わたしが行こうか?」
「追いかけるけど……」
困惑しながら立ち上がると、重たい足取りで部屋を出た。エレベーターに乗りながら、本当に、せっかく会いに来てくれたのに、どうしてこんなことになったんだろうと思う。
チン、とお決まりの音がして、エレベーターが1Fに到着した。
ウィリアムとアシュリがロビーに降り立つと、ガラス製のドアを抜けたエリザベートの背中が見えた。
「エリー!」
声をかけたけれど、距離があるせいか、扉に阻まれて届かない。ウィリアムが駆け寄ろうとすると、突然マンションの前に一台の車が横付けされた。黒塗りの、多分レンタカーだ。中からサングラスをかけた中年男が飛び出して来る。エリザベートは一瞬ひるんだ。男は何かを怒鳴り、エリザベートの小柄な体を小脇に抱え、車の後部座席へ放り込んだ。
「ああ、エリーちゃんが!」
アシュリもおろおろと成り行きを見守っている。が、それどころではない。
明らかに誘拐だ。
「……くそ!」
ウィリアムは急いで追いかけるが、車は無常にも走り去ってしまう。その後部座席から、エリーの泣き顔が覗いた。
「アシュリ! なんとかできないのかっ?」
「え? なんとか……えい!!」
アシュリにできることなど、たかが知れている。むちゃ振りをしたウィリアムが悪い。期待に応えようとしたアシュリは、指先に集めた赤い光をレーザー銃のように発射した。ピュン、と飛んだ光は、車の後輪タイヤを直撃し、車は車体を回転させて道路を外れた。
「うわぁ!!」
誘拐犯はともかく、エリザベートも乗っているのだ。アシュリはそこまで配慮しなかった。人間はデリケートなんだと、もっと理解してほしい。
幸い、スピンした車は、前方を街路樹のヤシの木にぶつけて止まり、エリーが乗っている後方は比較的無事だった。けれど、衝撃でひっくり返っているかも知れない。
ウィリアムはとっさに駆け出した。アシュリもそれに続く。
突然の事故に、交通渋滞が引き起こされ、クラクションの嵐だった。
誘拐犯は何とか無事だったらしく、運転席を降りて後部のドアを開いた。そこにすかさずウィリアムは割り込み、誘拐犯を突き飛ばした。非力なウィリアムだが、周囲にこれだけ人がいれば強気である。
「エリー!」
「お兄ちゃん!」
エリザベートはでこにこぶを作っていた。まあ、無事なうちだろう。
うるうると涙を溜めた瞳で、エリザベートはウィリアムに抱き付いた。ウィリアムはその体を抱き上げて車から降ろす。
すると、ようやく起き上がって来た誘拐犯が、ウィリアムたちを指さした。
「き、君はもしや……」
サングラスが外れ、意外にまつげの長い垂れた目をしている。よく見ると、シャツの柄も猫の足跡という浮かれた柄だ。人はよさそうだが、何せ誘拐犯なので、ウィリアムは彼をにらみ付けた。
「うちの妹を誘拐するなんて、いい度胸だな。すぐに警察に突き出してやる」
アシュリは、誘拐犯のシャツの柄が気に入ったようで、キラキラと輝く瞳をしていたが、話がややこしくなるので放っておいた。
誘拐犯は、両手を大げさなくらいに振った。
「ゆ、誘拐じゃない! 私は迎えに来ただけだ!」
「へぇ」
冷ややかなウィリアムの態度に、エリザベートは嬉しいながらも困ってしまい、正直に言うことにした。耳元でそっと告げる。
「お兄ちゃん、この人、ママの今の旦那さんで、パトリックっていうの。つまり、パパってこと」
「うぇ?」
思わず、変な声を出してしまった。そういえば、会ったこともなかったし、顔も知らなかった。
「君にはいつか、ちゃんと挨拶に行きたかったんだけれど、きっと会ってくれないと、マリーに言われていたんだ。こんな形で会うことになるなんてね……」
ウィリアムは、父親のことも、母親のことも、同じくらい嫌いだった。だから、確かに再婚相手なんて、普通に紹介されたら会わなかっただろう。
「エリーはずっと君に会いに行きたいって言っていたんだけれど、今回は黙って一人で出て行ったものだから、家族は大騒ぎだ。私も顔を見たらついカッとなってしまって……」
だから、あんな場違いな格好をしていたのかと、今更にして思う。
心配をかけたのだから、怒られるのも無理はない。怒られるだけ、愛されている。
ウィリアムはそっとエリザベートを下ろした。
「黙って来たのか?」
「……うん」
しょんぼりとしたエリザベートを、ウィリアムが怒れるはずがなかった。そうまでして会いに来てくれたことが嬉しかった。多分、彼女なりに一人ぼっちのウィリアムを心配してくれていたのだろう。
ウィリアムはパトリックに対し、驚くくらい穏やかな気持ちでいられた。
「すみませんが、少しだけ時間を下さい」
「え、ああ。どれくらいかな?」
「ケーキが焼き上がるまで、ですね」
出来立てのシトロンケーキに、レモンの絞り汁を加えたシロップを刷毛で打つ。爽やかな芳香に、アシュリもエリーもうっとりしていた。
今日は特別に紅茶も自分でいれた。ケーキを四切れ、それぞれの皿に乗せる。
ほんの一時のティータイムは、ウィリアムにとっても幸せな時間だった。
シトロンケーキをお土産に、エリザベートとパトリックは帰る。
アシュリは別れ際、エリザベートににっこりと笑顔を向けた。
「またね、エリーちゃん。また会えるといいな。待ってるからね」
エリザベートはその途端、ケッと吐き捨てた。その形相に、パトリックが青くなる。
「あんた、まだいるつもりなの?」
ガン、とアシュリはショックを受けた。やっぱり、時間が足りなかったのだろうか。少しも歩み寄りを見せないままで終わるとは。
最後に舌まで出し、エリザベートは去った。パトリックはぺこぺこと頭を下げる。
幸せなんだな、とウィリアムは安堵した。寂しいと泣くことがなくなったなら、それでいい。
ひっそりと微笑んだウィリアムを、アシュリは見上げていた。
「エリーちゃんが遠くに帰っちゃったら、ウィリーは? ウィリーの家族はどこ?」
言葉に困ってしまうような直球だった。
けれど、もうこっちだって子供じゃない。別に、困るようなことでもないのだ。
「会社。仕事中。親父に最後に会ったのはいつかな?」
淡々とした口調で答えた。
すると、アシュリはふぅん、と短く返す。
そして、ポポ太をきゅっと抱き締めながら言った。
「それなら、わたしとポポ太の方が家族らしいかもね」
ポポ太を一人と数えるのか、と突っ込みたくはなったが、まあいい。
エリザベートが去った後、室内が静かになることはなかった。
それだけで、少しくらいは感謝してもいい。
エリーの誕生日プレゼントは、もう少し考えてから決める。
ちゃんとそれを手に持って、今度は自分から会いに行こう。
星の裏側だって、エリーは会いに来てくれたのだから。
そうして、自称化学者は、今日も化学のかの字もない日々を過ごしている。
雨降って地固まる……とは限らない。
そんなお話。