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②悪魔とぬいぐるみ(愛)

 ウィリアム=ウインストンは自称未来の天才化学者である。


 けれど、実際は白衣を着ただけの金持ちのボンボンだ。

 普段は高級リゾートマンションの一室で、無為に時間を過ごしているのだが、実は単位スレスレの大学生でもある。金にあかせて単位を修得してもよいのだが、たまには大学にも顔を出さないと、本人は認めたがらないが、存在を忘れ去られてしまいそうなので、時折大学に足を運ぶ。


 今日もそんな、ごく普通の日常のはずだった。


 なのに、周囲の視線が痛い。

 ウィリアムはその視線が奇異と哀れみであることが、どうしようもなく屈辱的だった。


 けれど、それは仕方のないことだ。

 彼はいい年をして、ぬいぐるみを抱えて大学に通学しているのだから。

 クリーム色の体に、黒い耳、手、足、尻尾。タヌキだかキツネだか、宇宙人だかわからない、ゆるい顔をしたぬいぐるみは、ウィリアムの元カノの作品である。


 その事実を知らない者は、ぬいぐるみを抱える男に奇異の目を向け、その事実を知る者は、哀れみの目を向ける。

 ただし、ウィリアムがぶっさいくなぬいぐるみを四六時中手放せなくなったのは、元カノの未練からではない。命の危険を回避するためである。


 それというのも、自業自得な話なのだが、興味本位で試した魔術の実験の結果、悪魔を召喚してしまい、危うく殺されそうになった。その悪魔というのが、へっぽこ低級悪魔で、どういうわけか、このぬいぐるみをとんでもなく気に入り、ウィリアムはこのぬいぐるみを盾にして難局を乗り切ったのだった。

 このぬいぐるみ、ポポ太さえあれば、悪魔っ娘のアシュリはウィリアムに逆らえない。

 けれど、お陰でウィリアムは、このポポ太を四六時中手放すことができなくなってしまったのだった。


 ブランド品を着こなし、キャンパスを颯爽と歩けば、中身はへたれでも外見だけはよいウィリアムに憧憬の視線が集まるはずが、今は彼個人の持つ唯一のとりえが無残な状態だった。


「ウィリー」


 親しげに愛称で呼ばれた。この明るい声音と軽快な足音は、友人のクレアだ。

 頭の天辺で大きなおだんごにした栗色の髪と、緑のつり目。ショートパンツにタンクトップとTシャツという、活発な格好だ。彼女は、ウィリアムの元カノ、シンシアの友人でもある。


「クレア、久し振り」


 普通に挨拶をしたウィリアムに、クレアは哀れみの目を向けた。


「そのぬいぐるみ、シンシア作でしょ? いい加減、現実を見なさいよ」

「現実世界で必要だからこうなったんだ。未練があるとか、そういうんじゃないんだ」


 いくらウィリアムが説明したところで、言い訳にしかならない。かといって、悪魔とか言い出すと、もっとイタイやつだと思われるのがオチだと、ウィリアムなりにわかっていた。

 うまく説明できないでいると、クレアは嘆息した。


「シンシア、結婚するって」

「へ?」

「来週の日曜日よ」

「…………」


 別れて一年も経ってないのに、と思うと、女心の移ろいやすさにめまいがした。

 そんなウィリアムに、クレアは痛々しいものでも見る目付きをする。


「結婚式、出席したら? そしたら、諦めもつくでしょ。あ、花嫁強奪計画とか立てないでよ」

「するか! 未練なんてないし! 彼女同伴で出席してやるよ!」


 プライドがいたく傷付き、右手のポポ太の首を思わず片手でくびってしまったけれど、ウィリアムは何とかそう答えてその場を去った。

 心にはブリザードが吹き荒れていたけれど。


 校門のところに人だかりができている。しかも、野郎ばっかり。

 ウィリアムはイライラしながらその隣を通り抜けようとした。その途端、男に囲まれて平然と彼らを品定めしていた彼女は、ウィリアムと目が合い、あ、と声をもらした。


「うぃりあむ」


 棒読みでウィリアムを呼ぶ。ほんとは、名前も呼びたくないのだろう。

 ウィリアムはあまりの苛立ちから、彼女の存在を忘れていた。


 ハニーブロンドのふわふわの髪に、金色の瞳。体型を強調する、ノースリーブのサマーニット、ワインレッドのミニスカ。外見のみなら、ウィリアムの採点で92点。マイナス要素はあるけれど、外見だけなら高得点の彼女は、例の悪魔っ娘だ。


 どうしてそこで立っているのか、忘れてしまった。

 偏屈なウィリアムでさえ92点を叩き出したのだから、人間ではないというマイナス要素を知らない平凡な大学生には、99.6点くらいには見えるだろう。


「アシュリ、帰るぞ」

「うん」


 アシュリはするりと人ごみを抜けてウィリアムの隣に立つ。その途端、ウィリアムが憎々しげにポポ太の首を絞めていることに気付き、うるうると目を潤ませた。

 彼女には愛するポポ太の、くるしーよー、もう駄目だよー、という幻聴が聞こえているはずだ。

 たくさんの男に囲まれて怖かったという風に見えたかも知れないが、実際は、めぼしい魂はないものかと値踏みしていたのだろう。危なかったのは男たちだ。


 真っ白で燃費の悪い高級オープンカーに乗り込み、二人は自宅のリゾートマンションに戻った。

 アイタタなぬいぐるみ男と美少女の噂は、キャンパスに響き渡る。




「――と、いうわけだ。わかったな?」


 ウィリアムは自宅で白衣を羽織ると、家事ロボットがいれた紅茶をすすり、ポポ太の首を絞めながら言った。

 うわーん、たすけてよー、アシュリちゃんだけが頼りだよー、と運命の相手、ポポ太の叫びを脳内で受け止めたアシュリは、泣く泣くうなずく。けれど、ぽそりと本音が出た。


「あんた、そんな計画する前に、彼女作って来なさいよ。これだから、魂のふやふやの人間は……」


 ただいま、荒み切っているウィリアムは、すすっていた紅茶をポポ太の上にかざした。


「紅茶の染みって、落ちないよな」

「いやぁ! 人でなし!!」


 ここ数日、こんなことばかりである。

 ウィリアムには、このぶっさいくなぬいぐるみの何がそんなにいいのかわからないが、アシュリのどストライクらしい。いわゆる、ぶさカワというやつだ。


「ああ、ちなみに、そのシンシアは、このポポ太の作者だ。生みの親だぞ」


 すると、急にアシュリの目の色が変わった。


「え」


 すごく興味を持った。うっとりと頬を染めてウィリアムを見る。

 ちょっとかわいかった。


「ポポ太のお母さん……」


 嫌な想像をしていそうだが、まあいい。


 ウィリアムはピピピ、と通話端末をいじり、地下のブティックの店員を呼び出した。

 ものの五分でやって来た店員は、テカテカの青地にピンクの水玉のスーツという出で立ちだった。

 ウィリアムの手のぬいぐるみを一瞥し、見なかったことにする。


「本日は、女性用のフォーマルということで?」

「ああ。花嫁よりも目立つように」

「かしこまりました」



 これで、後の問題はただひとつ。

 ウィリアムの手の中のぬいぐるみである。手放すと自分の命が危ないが、このままではぬいぐるみ同伴で結婚式に出席することになる。


 足りない頭でなんとか考えた末、ウィリアムは一か八かの勝負に出た。

 家事ロボットの電源をオフにする。そして、オープンキッチンのカウンターの奥に入った。

 ウィリアムの変わった行動に、アシュリは身構える。


「何? 何が始まるの?」

「黙って見てろ。ただし、動いたら、ポポ太に火が付くと思え」

「ひっ」


 アシュリはおずおずとカウンターの向こう側からウィリアムとポポ太を交互に見た。

 ウィリアムはポポ太を後ろに下ろすと、まず手を洗った。それから、冷蔵庫から卵、バター、棚の上から小麦粉、砂糖を取り出す。計量したバターを溶かし、卵を解き、小麦粉をふるう。ボウルで軽快に混ぜ合わせている最中も、アシュリはポポ太奪還の隙をうかがっていた。


「バターかけるぞ。ポポ太の縫合の荒さを見ろ。洗濯機に耐えられると思うか?」

「手、手洗いするもん」

「乾いたら形が変わってるかもなぁ。絞りが甘くて、重みで綿が偏って、ふふふ……。試してみるか?」

「いやぁ!」


 そんなやりとりをしながら、ウィリアムは型に敷いたグラシンに生地を流す。予熱したオーブンに入れてしばらくすると、甘い香りが部屋中に立ち込めた。


「ねえ、何を作ってるの? 食べ物よね?」

「お菓子」

「お菓子?」


 アシュリはウィリアムと同じものを食べる。けれど、この星の食べ物をあまり知らない。いつも、何これと言いながら食べている。以前は何を食べていたのか、あまり聞きたくない。


 チン、とオーブンが音を立てる。

 焼き上がったカップケーキをクーラーの上に移し、冷める間にバタークリームを作る。それぞれに着色し、カップケーキの上に花を咲かせた。

 アシュリは唖然としてウィリアムの手元を食い入るように眺めていた。その視線を感じながら、テディベアとか、リボンとか、チョウチョとか、とにかく女子の好きそうなものを集めてカップケーキの上に描いた。

 色とりどりのバタークリーム。キラキラ光るアラザン。アクセントのチョコレート。

 完成が近付くにつれ、アシュリの目の色が変わって来た。ウィリアムは手ごたえを感じる。


「ほら、できたぞ」


 ウィリアムは白い皿の上に、一番うまく描けたテディベアのカップケーキを乗せ、アシュリに向かって押し出した。アシュリはキラキラとした目をしてそれを眺めている。



 ウィリアムには歳の離れた妹が一人いた。


 今は、離婚した両親の、母親に付いて外国に行き、向こうで新しい家族と幸せに暮らしている。

 幼い頃は、子供を顧みなかった両親に、金だけ与えられて放置された兄妹二人だ。ウィリアムなりに、寂しいと泣く妹を慰めようと身に付けた技だ。ただ、両親は、家事ロボットの電源を落として、息子がこんなことをできるようになっているとは知りもしない。きっと、興味もないだろうが。


「これ、ほんとに食べ物?」


 アシュリは犬のようにくんくんと匂いを嗅いでいる。


「そうだ。食べてみろよ」

「いや」


 あっさりと拒否された。苦労して作ったのに。

 ウィリアムがイラッとしたのも束の間だった。アシュリは皿を持ち上げ、くるくると回して360度眺め回してうっとりとしている。


「食べたらなくなるから、いや」

「……まだあるから」


 少し、妹を思い出した。お兄ちゃんと別れたくないと泣いていたエリー。今となっては、新しい家族がいるから、寂しくなんてないようだけれど。


 ウィリアムがいくつかのカップケーキをまとめて皿に乗せて差し出すと、アシュリはようやく覚悟を決めて、カップケーキに恐る恐るフォークを入れた。そして、ぱくりと一口。


「幸せな味……」


 そうつぶやいた。

 その一言が、ウィリアムには信じられないくらい嬉しかった。


「この世界には、かわいいものばかりじゃなくて、こんなおいしいものがあるのね」


 餌付けに成功した。

 にっこりと、ポポ太にではなく、アシュリは初めてウィリアムに微笑んだ。97点かと。

 それから、アシュリはフォークを皿に下ろすと、カウンターの向こう側にいるウィリアムに手を差し伸べた。


「手を見せて」

「ん?」


 多少の危機感を感じながらも、ウィリアムは右手を差し出した。魂を抜かれる恐れはあったものの、なんとなくそうしたい気持ちになった。

 アシュリはウィリアムの手を両手で取り、するりと撫でた。意外なことに、あたたかい手だ。


「この手が、こんなすごいものを作ったのね」


 そう言って、顔を上げたアシュリの目には、わかりやすいくらいの尊敬があった。さすがに、ここまで効果があるとは思わなかった。

 これで、命の危機は脱したのだろうか。アシュリは菓子職人には絶対に会わせないでおこうと思う。


「俺の魂を抜いたら、もう作ってやれないからな。二度と抜こうとするなよ」


 うん、とアシュリは素直にうなずいた。


「ウィリー、魂ふやふやとか言ってごめんね。大好き」


 あまりの昇格に、ウィリアムの方が口をあんぐりと開けてしまった。単純にもほどがある。でも、そこがかわいいとか、ちょっと思った。


「ポポ太の次に大好き。ポポ太にひどいことしなかったら、もっと好き」


 結局、そこだ。

 ウィリアムはちょっと疲れを感じながらも、ポポ太をアシュリに突き出した。


「いいの?」


 うるうると瞳を輝かせるアシュリに、ウィリアムはうなずく。アシュリはポポ太を震える手で受け取ると、胸に抱いた。その脳内は覗きたくない。


 そうして、カウンターを越えて、ウィリアムに対しても同じような扱いをする。といっても、小型犬サイズのぬいぐるみのように、大の男を持ち上げることはできないので、体を寄せ、もう片方の手で腰に抱きついて来る。


 この反応、妹と一緒だ。見た目よりも子供なのかも知れない。

 ウィリアムはなんとなく、複雑な心境だった。




 そして、結婚式当日。


 純白のウエディングドレス姿のシンシアに、ウィリアムは対峙した。

 ふわりとしたAラインのドレスは、彼女のかわいらしさを存分に発揮させていたけれど、ウィリアムは驚くほど冷静に、81点と思った。この数日で目が肥えた。


 シルクのフォーマルスーツ姿のウィリアムの隣には、真っ赤なミニスカートのドレスとパンプス、ダイヤのイヤリングをしたアシュリが腕を絡ませて寄り添っている。ピンヒールのパンプスが不安定で、歩き慣れないのだ。美容師を呼んでセットした髪に薔薇のコサージュを差し、うっすら化粧を施し、ウィリアム的には98点の出来栄えだった。


 シンシアは、ウィリアム(元カレ)が来たこと以上に、アシュリの姿に唖然としていた。だから、ウィリアムは勝ち誇ったように微笑んだ。


「おめでとう、シンシア。お幸せに」

「え……ええ、ありがとう。あなたもね」


 周囲の視線も、アシュリが独占している。ブティック店員の見立ては正しく、花嫁よりも目立つことに成功した。元カノの晴れの舞台に、こういうことをして気分がいいと言ったら、人でなしだろうか。


 当のアシュリは、どうやら想像していたポポ太の母親とシンシアのギャップに、一瞬しょんぼりした。けれど、すぐに気を取り直す。


「初めまして。アシュリです。握手して下さい」

「え、あ、初めまして」


 シンシアはブーケに添えていた手を差し出し、アシュリは熱のこもった仕草でその手を取った。 

 キラキラとした瞳をして、頬を染めている。きっと、この手からポポ太が生まれたのかと、色々な思いを馳せているのだろうが、シンシアにはそこまで気付けないだろう。


 こんな日に、独り研究室の片隅にいて、鬱屈した気分でいなくて済んだのは、やっぱりあの魔法陣のおかげだろうか。


 化学の限界は、人類の進歩に繋がったり、繋がらなかったり。

 

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