11.
奥歯が僕の意志とは関係無しにカチカチと小刻みな音を鳴らし、こめかみには寒気がするのにツーッと汗が伝う。
言い知れぬ恐怖心が、僕の規則的な呼吸すらも奪っていく。
「あのね、ローソクが1本足りないの。ほら、あっちにもう一人……わあ、あの人怒ってる!」
「ほんとだ! 怖いよ!」
うわぁぁん、と泣き声を上げる子どもたち。
すると、重々しい声がフッと笑みを溢れさせた。
「泣くでない。あれはただの残滓じゃ」
「ざんしってなあに?」
「残り滓……要らぬものよ。どおれ、吾が喰ろうてやろう」
すると、僕の真横にスーッと湿った手が伸びる。
そして背後でミシミシと床が鳴り、徐々にその音は僕の真横へと近づく。
背筋に震えが走った。
見えはしない。
でも何となくわかる。
何かがそこにいて、この異様な存在に捕えられている。
(待って……『喰ろうてやろう』って……)
得体の知れない恐怖にカタカタと身を震わせていると、クチャ、ピチャ、ゴクッ。
僕の目の前で僅かな咀嚼音の後に嚥下音が聞こえる。
何を食べたかは、視界の外で見えない。
「わぁ! アメノミ様すごーい!」
「あっという間に怖い人やっつけちゃったね」
震え慄く僕とは正反対に、パチパチと手を叩いて跳ね回る子どもたち。
すると今度は、その湿った手が隼人へと伸びる。
「此奴は違うのう」
眠る隼人は足首を掴まれて持ち上げられ、僕の視界には逆さまになった隼人の顔が映る。
僕の体は自由に動かず、ただその信じがたい光景を見ていることしかできなかった。
すると――
「あっ、そのお兄ちゃんね、とっても優しいよ」
この幼い話し声は、さくらちゃんだ。
「ほお」
「あたしが悪いことをしたのに、あたしのこと怒らなくて、すごく心配してくれたんだよ」
「そうか。ならばよい」
刹那、隼人は50センチほどの高さからドサッと床に落とされる。
受け身も取れずに頭から硬い床に落ちた隼人。
僕はその凄惨な光景にただただ戦慄く。
そして踵を返した異様な存在は、浮かれる子どもたちを引き連れ、ヒタ、ヒタ、ヒタと玄関の外へと出て行く。
「ねえアメノミ様、灯籠つけていい?」
「ああよいぞ」
「やったー」
さくらちゃんの無邪気な声がしてすぐ、玄関先に温かなオレンジ色の光が二つともる。
そしてキャッキャとはしゃぐ子どもたちの声は、じきに遠ざかっていった。
汗にまみれた手を床にべっとりと付けて体を支えると、僕はようやく開いた喉で酸素を求めるようにゼェゼェと荒い呼吸を繰り返す。
未だ体の震えが止まらない。
床には、顎を伝った汗が、ポタリ、ポタリと滴った。
「隼……ッ……」
隼人は果たして無事なのだろうか。うつ伏せでグッタリしている。
そばに行って隼人の無事を確認したいのに、手足がガクガクと震えて体を支えられない。
そしてこの眠気は何だ。頭がクラクラするほどに容赦なく襲い来る。
こんなの、まるで眠くなる薬でも飲んだかのよう――過ったその考えに、僕は目を見開く。
(ま、まさか……)
何か嫌な予感がする。
もしも御神酒や甘酒にそんなものが混ぜられていたのだとしたら……。
隼人は御神酒だけでなく、僕の分の甘酒まで飲んでいた。
僕の何倍の量を飲んだのだろう。
そう思うとサッと血の気が引いた。
「隼……人……! 隼人……ッ、しっかり……して……頼むから……起きて!」
這うようにして近づき、僕は涙声を震わせて隼人の体を揺する。
すると隼人が小さく「ウッ……」と声を上げ、苦しげに眉を寄せた。
とりあえず生きている。
そうわかっただけで僕の涙腺は情けなく緩み、涙がボタボタと零れ落ちる。
「隼人……ッ……ごめん……」
グッタリと眠る隼人を前に、僕は震える手でゴシゴシと涙を拭う。
山根さんも風見さんも信用できない。僕がしっかりしなくちゃ。
とにかく隼人を病院に。
救急車を呼ぶため、僕は重い体を引きずりながらお菓子の袋のそばへ向かう。
そしてそこに忍ばせておいたスマホをようやく手に取る。
ところが霞む視界に映った光景に愕然とした。
「どうして……圏外なんだ……」
ここへ来てからスマホはずっと使えていたのに……。
脱力した僕の手は、スマホすら支えられずにパタリと床にしなだれる。
どうしよう、隼人にもしものことがあったら……。
僕は呆然と座り込む。
隼人は僕を照らす光。
その光を失ったら、僕は……。
その時、隼人の小さな呻き声が耳に入る。
「隼人……」
もしものこと?
そんなの冗談じゃない。
そうだ、まだ諦めるな。
隼人を救えるのは僕だけだ。
僕は一度深呼吸をすると、恐怖で今にも崩れ落ちそうな心を必死に立て直す。
落ち着け。まずは今何が起きているのか考えろ。
眠気と涙で霞む視界を振り払うように頭を何度も振る。
さっきのは何だったんだ。
僕はここへ来てからの出来事を順々に思い浮かべていく。
役場の山根さんのどこか不可思議な態度。
ここを「空き家」と呼んだ違和感。
禊に白装束、御神酒。
(何が留守番バイトだよ……)
僕は唇を血が滲まんばかりに噛みしめる。
子どもたちはあの異様な存在を『アメノミ様』と呼んだ。
確かさくらちゃんが『アメノミ様』とは『神様』だと言っていたはずだ。
(あんなの神様っていうより、まるで――)
僕の頭に浮かんだ言葉は、隼人の話を思い出させる。
矢野商店のお婆さんから聞いたという、人を喰らう祟り神の話。
『化け物だってよ』
そうだ、あんなの神様なんかじゃなくて化け物じゃないか。
そしてもう一つ思い出す。
『蔵泉は村の一部でしかないらしいんだ。ああそうだ、婆さんが古い地図を出してきて……』
(……地図。そうだ、隼人のスマホ!)




