10.
「俺もわけわかんなくて全部覚えてるわけではないんだけどな、あの婆さんが言うにはさ――」
隼人はお婆さんに、なぜ人の少ないところで店をやっているのか聞いたらしい。
すると美蔵井の隣に並ぶ山を指差し、「故郷をなるべく離れたくないのさ」と答えたようだ。
そこが蔵泉らしい。
そして蔵泉には古くからの伝承があり、それを後世に伝える役割を担っているのだという。
――いにしえの昔、山の神に捧げられた人柱がいた。
それはまだ幼い男児で、身寄りの無かったその少年は、村の大人たちに唆され、山の中に独り取り残されたのだった。
命が尽き、身が朽ち果てても彼のそばには誰もおらず、彼と最期まで共にあったのは、多くの自然物だけ。
彼を照らし、潤し、慰め、身を包んだそれらを、彼は愛し、自らを溶け込ませた。
そして人への憎しみを湛えて生まれた祟り神は――
「命の尽きた8月7日に毎年姿を現し、村人に厄災を与えた」
「やっ、厄災って?」
「洪水、山火事、土砂崩れに、不作とか、いろいろだってよ。で、村半分の大人たちを喰らったらしいぜ。飴食うみたいに丸ごとパクッといって、ちょっと味わったら丸飲みだってよ」
「ひぃッ、待って何それストップ! 飴食べるならかわいいけど、食べるのって人でしょ!? 人を丸飲みって……無理無理無~理~!」
涙目で耳を塞ぐ僕を、隼人はニシシと白い歯を見せて笑う。
「あとちょっとで終わるって。それで――」
あまりに強大な力を持つ祟り神だったため、多くの巫覡が集められ、祈祷が行われた。
その結果、神降ろしに成功し、その神意が伝えられた。
『吾を塞く者無ければ見過ぐさん』
そこで巫覡たちは御霊慰めの儀式を執り行った。
御霊を鎮めるために、祟り神が愛した自然物をもって守人を定め、8月7日の夜だけは、村に下りて自由に過ごせるよう約束を交わした。
「その祟り神は大人が介入することは酷く嫌ったらしくてな。大人には、当時貴重だったローソクを用意させて、自由に遊ぶ子どもたちの足元を照らさせたんだってよ。大人は一切邪魔をせずにただ見守るだけ。何かすれば喰われる。子どもには手を出さない祟り神らしくて、婆さんはその時生き残った蔵泉の子どもの子孫なんだってよ」
「えぇぇ!? ねえ、それって本当の話? しかも8月7日って今日じゃないか! ローソク!?」
「ちょうどさっき貰ったな」
ハハハッと隼人が呑気に笑う中、僕は山根さんから貰った2本のローソクを怖ず怖ずと見つめる。
蔵泉の話だとは言っても、同じローソクが登場するというのは何とも不気味だ。
「で、でもさ、その祟り神ってどこに行ったわけ? 蔵泉は廃地区になったくらいだから、もう祟る対象がいないことになるじゃないか」
「いや、それがさ、蔵泉は村の一部でしかないらしいんだ。ああそうだ、婆さんが古い地図を出してきて……ほら、これ見てみろよ」
と、隼人が僕にスマホを見せてくれようとしたその時、玄関ドアを叩く音が聞こえる。
「おーい、準備できてる?」
山根さんの声だ。
招き入れると、僕たちと同じ白装束姿の山根さんは、食卓上の徳利を二つ手にして残量を確認する。
「全部飲んだみたいだね」
「はい」
と堂々と返事をした僕は、徳利の三分の一くらいしか甘酒を口にしていない。
あとは隼人に飲んでもらったのだが、それは秘密だ。
それから僕たちは山根さんが指示するとおり、ローソクを準備して玄関で座って待つことになった。
すると山根さんが隼人をじっと見つめて徐ろに話し始める。
「禊もしたみたいだし、御神酒も飲んだし、まあ……君も似たようなものだから平気だと思うよ。『本城』君でしょ? 本に『城』。それか、广の『庄』で『本庄』かな?」
「いいえ。本に『上』で本上っす」
「えぇぇっ!?」
途端に山根さんは額に汗を浮かべて何かをブツブツ言い始めた。
すると玄関先から風見さんが「山根さん、そろそろ時間ですよ」と呼ぶ声が聞こえた。
「ほ、本上君は……とにかく大人しく! 大人しくしてて。それと、帰りも大層偉い御方が通るから、そのまま玄関で正座して待機してること。いいね?」
それだけ言い放って、山根さんは早足で去って行った。
隼人と僕は顔を見合わせる。
「何だろう?」
「さあな。とりあえず、バイトはバイトの役割を果たさないとな」
「そうだね。……あ、そうだ! お菓子も玄関に置いておこうっと。子どもたちに、ローソクと一緒に渡すんだ」
不審に思いつつも準備を整えると、僕たちは玄関で『大層偉い御方』を待ち続ける。
このバイトが終わったら、隼人と星空を見に行こう。
幸い今夜は晴れ。
絶好の星見日和だ。
それから10分ほど経った頃だ。
「あー……眠っ……」
隼人が眠気を訴え始めた。
「酒飲みすぎだろ」
「かもな」
そうは言ったものの、隼人って酔って眠くなることなんてあったっけ?
それから誰も来ないまま、さらに5分ほど経った頃だろうか、僕もだんだん頭がぼんやりしてきた。
ちょっと眠くて目を擦る。
「あー、暇すぎて僕も眠く――……隼人?」
隣に座る隼人を見ると、座ったままウトウトしている。
「隼人、お客さん来るんだから起きて」
「んーー……」
と返事をするそばから、土下座でもするかのように前に体が折れ、パタリと横倒れになってしまった。
「えっ……隼人、ちょっと!」
いくら体を揺すっても、スヤスヤと眠り続ける隼人。
これは何かおかしい気がする。
それに、何となく自分でも感じている異様な眠気。
こんなの普段感じたことなんてない。
「うっ……何だ……これ……」
次第に目の前が霞み、視界が狭まる。
瞼が重い……。
すると――
「ローソク出ーせー、出ーせーよ」
ぼんやりする頭の中に、子どもたちの元気な声がこだまする。
そうだ、頭を下げないと。偉い人を見てはいけないんだ。
そう思って頭を下げると、眠気が強くて床に倒れ込んでしまいそうだ。
このまま眠ってしまいたい。
どうしてこんなに眠いんだ……。
その時、玄関ドアがガラガラと開いて子どもの声がする。
「出ーさーないと、かっちゃくぞ」
そうだ、バイト中だ。
ローソクを渡さなくちゃ。
東京限定のお菓子も用意したのに……。
でも眠気で体がだるくて思うように動かない。
這うようにローソクに手を伸ばすものの、あと少しで空を切る。
「あれぇ、このお兄ちゃんたち寝てる~」
「変なの。かっちゃいたら起きるかな?」
クスクス笑う無邪気な子どもたちの声。
「あ、でもローソクあるよ」
「ほんとだ。じゃあもらっちゃおうか。……あれ、でも1本足りないね」
えっ、足りない?
だって一人1本ずつ、隼人と僕で2本じゃないの?
すると突然、玄関に灯っていた明かりが不規則に点滅し、やがてパタリと消える。
そして暗闇の中、ヒタ、ヒタ、ヒタと湿った足音が近づいてきた。
「子らよ、何事か?」
その声は、頭の隅々に刻み付けられるような重々しい声。
辺りの淀んだ空気が、湿り気とカビ臭さを増していく。
姿を見なくとも感じ取れる、その存在の異様さ。
ぶるりと身震いした僕の体は、そのまま凍り付いたように固まって動けなくなってしまった。




