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赤い月とふたりの舟 ~嫌いなあなたと不思議な国~  作者: 五十鈴 りく


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6✤無人の屋敷

 どの部屋を回っても、やはり誰にも出会えなかった。

 この屋敷は空っぽの入れ物でしかない。塵ひとつ落ちていなくて、無意味なほど綺麗だった。


「……駄目か」


 使用人部屋まで調べ切り、ロドリックは声を上げた。私がもう騒がないと思ったのか、彼の手も離れた。


「馬車もないし、どうやって帰ったらいいのかしら……」


 私の家族までいないなんて、途方に暮れてしまう。

 この屋敷へ来るまでに広い敷地の結構な距離を馬車で走った。あまり手を加えていない野趣的な道だったのを覚えている。とても歩いて帰れる気がしない。


 それでも、家に帰りさえすればそこには家族がそろっていて、また普通に日常が始まるのだと思いたかった。

 もしかするとそれは無理なことなのかもしれないと同時に感じているくせに。

 ただ、どうして無理なのかの理由がわからないから戸惑いしかない。


「ここにいれば雨風は防げるが、見たところ食料もない。どのみち長くは留まれないな」


 こちらを見ないから独り言かと思ったけれど、私に向けての言葉だろうか。


「誰かが戻ってくる可能性はない?」

「さあ。でも動けるうちに活路を見出しておかないとマズいかもな」


 私よりもロドリックは幾分落ち着いて見えた。

 嫌いな私の前だからこそ、取り乱して醜態をさらして堪るかという意地があるのかもしれない。


 だとしたら、こちらも嘆いてばかりいられない。情けない姿を見せて甘えていい相手ではないから。

 大きく息をつき、それから考える。


「中庭には誰もいないかしら?」

「いる気はしないな」


 素っ気なく返された。ただしそれに腹を立ててばかりもいられない。


「朝まではこの屋敷で待ってみたら?」

「それが正解だとは言えないけどな。ただし、外が安全だとも思わない」

「……外には敵がいて、でもここにいても、やって来る誰かが味方とは限らないのよね」


 ふと、恐ろしいことを考えた。

 誰かが皆を連れ去ったのだとしたら、私たち二人を取りこぼしたとして捕らえに戻るのか。


 つまり、ここでじっとしているよりは一刻も早く逃げるべきだと。

 私がそう考えたのと同じように、ロドリックもその考えに行き着いたようだ。落ち着かない目を伏せた。


「外は暗いが、月明かりがあるから歩けなくはないか……」

「ええ。あの不気味な月の明かりだけれど」


 すべてがあの赤い月のせいでなければいい。




 私はロドリックと連れ立って中庭に出た。

 噴水の前まで戻ったが、さっきと何ら変わりはない。


 やはりそこには誰もいなかった。私たちの近くにいた子爵すらいないけれど、彼には二度と会いたくないので構わなかった。


 噴水の水は止まり、水面に月を映す。鏡のようなそれが少し怖く思えた。

 ロドリックはよそ見をして歩みが遅れた私を振り返った。ついてきているか気にしているらしい。


「遅れるな。それとも、何か見つけたのか?」

「いいえ、そういうわけじゃないの。ただ月が赤いのが気になるだけ」

「まあ不気味な色だけどな。俺もあんな月は初めて見た」


 思えば、こんなにも長く彼と時間を共有して会話をしたのは子供の頃以来だ。


 ――互いしかいない、こんな状況がまず変だ。

 よりによってどうして私とロドリックなのだろう。


 なんとなく屋敷の方を振り返ってみると、遠くに見えるテラスで何かが動いたような気がした。

 もしかすると、隠れていた誰かが出てきたのか。

 黒っぽいとしか認識できなかったから、ただのカラスかもしれない。一瞬のことだったので、大きさもはっきりとは判別できなかった。


 思わず立ち止まったら、ロドリックも立ち止まった。


「何か見つけたのか?」

「いえ、気のせいだったみたい」


 人騒がせだと舌打ちでもするかと思えば無言だった。

 そのまま進み、噴水を越えたところで不意に軽い眩暈がした。疲れていないとは言えないけれど、それとも少し違う。


 私が揺れたのではなくて、景色の方が揺れた。歪んだ。

 木々が勝手に動いたような、おかしな感覚だ。


 そこは庭というよりもすでに森のようにしか見えなかった。観劇をしていてシーンが切り替わったみたいとでも言うべきか、舞台は様変わりしている。変わっていないのは私とロドリックの方だ。


「……これは俺が見ている夢かって気がしてきた」

「そうね、私も」


 だからといって、彼と気が合うとは思わない。

 ここに来れば誰だって夢だと感じるはずだから。


 私たちが立っているのは、鬱蒼と木々が茂った森の中。

 夜会服の場違いな男女がポツリと立っている。


 振り返っても、もう屋敷はどこにもなかった。


「ドレスとヒールの靴で森を歩くことになるなんて」


 ぼやきたくもなったが、それはロドリックも同じだったようだ。


「ドレスとヒールの靴を履いた女を連れて森を歩くことになるなんてな」


 その言い方に腹が立つ。


「じゃあ置いていけば?」

「この状況でよくそんなことが言えるな」


 苛立ったように返された。


「誰かが助けに来てくれたらいいのにって思ってるんだろ? 例えばキリアンとか」

「そりゃあ誰かに助けに来てほしいわよ。でもどうしてキリアンなの?」


 キリアンは優しいけれど、物語の騎士のように怪物と戦えるタイプではない。

 ゆっくりとティータイムを一緒に過ごすのなら最適な相手というところだ。

 ロドリックと二人きりよりは、それでもキリアンが来てくれたら嬉しいけれど。


「さあ。とっさに思いついた名前を言っただけだ」


 腹の立つことに、チッと舌打ちされた。

 何か言い返そうとしたら、木の根に足を取られてつまずいた。


「きゃっ」


 そんな悲鳴まで上げてしまった自分が情けない。しかも、ロドリックに受け止められるという惨めさだった。


 大丈夫かと気遣ってくれるわけでもなく、ロドリックは真顔だった。

 屈辱を感じる私をからかうでもなく、ロドリックは険しい表情になって私の足もとを見ていた。


「これ……」


 私がつまずいたのは木の根ではなかった。薄暗いせいではっきりとは見えないけれど、地面に半分埋もれた兜のように見えた。房飾りが土に汚れて、あちこちが凹んでいる。


 兜なんて、今時骨董品だ。誰がこんなところに落としていったのだろう。

 私はその持ち主を探すように辺りを見回し、後悔した。


「見るな!」


 とっさにロドリックが私の頭を抱き込むようにして自分の肩に押しつけた。

 けれど、もう手遅れだ。


 分厚い鎧を着こんだ男性が木の根元に座り込み、こと切れているのを見た。血が流れた頭は項垂れているけれど、もう生きてはいないのだと思った。頭が兜と同じくらいに凹んでいる。


 膝の辺りに長い剣が横たえられていて、その剣だけが薄汚れていなかった。

 やっと会えた人間が死人だとは――。


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