3✤嫌な現実
夜会が始まると、それぞれがそれぞれの目的のために動き出した。
私と兄様は壁際にいる。
兄様は私のエスコート役のつもりではいるけれど、立派な〈壁のシミ〉。そういう私も壁の花だ。
もっとダンスをすべきなのだけれど、兄様を置いていってまたロドリック辺りに絡まれてしまってはいけない。
いつ頃からか、おかしなものだけれど、私が守られているのではなくて私が兄様を守っているみたいになってしまった。
父様と母様は口髭を蓄えた中年の紳士と話し込んでいる。誰だったか。
しばらくすると、その紳士が私たちの方にもやってきた。
「ミシェル嬢、一曲ご所望できますかな?」
――思い出した、チェスニー子爵だ。確か先妻とは死に別れたとか。
一見丁寧で紳士的に見えるけれど、兄様をまるでいないみたいにして扱う。私だけを見ている。
「……はい、喜んで」
そう言わなくてはならないから、社交場は嫌いだ。
本当は手袋越しでさえも手に触れられるとゾッとする。ほとんど知らない相手なのに、直感で拒絶してしまう。
軽やかで楽しい音楽が嘘のように重たく肩にのしかかる。そんな中で私は躍る。
子爵の手が腰に、背中に、必要なまでにまとわりつく。
そして、耳元で囁かれた。
「あなたは本当に素敵な女性だ」
息が耳にかかる。嫌だ。
震えてしまいそうな自分を認めたくなくて、恥じらっているふりをして顔を上げなかった。
ただ、横目で周りを確かめた。とりわけ母様の期待を込めた表情に傷つく。キリアンは兄様のそばにいてくれて、少し心配そうな目を私に向けてくれていた。
この時、何故かロドリックまで視界に入った。見たくもないのに。
赤いドレスを着た令嬢の手を取り、その背に手を回しながらこちらを見たのだ。それは冷たい、軽蔑するような面持ちで。
やっと音楽が切れ、曲が終わった。
これで解放される。そう思ったのに、子爵は私の手を放さなかった。手をグッと握り、薄い笑みを浮かべている。
「少し庭でお話でもしませんか?」
顔が強張らないように繕うのに必死だった。
何を言われるのか、うっすらと想像がつくだけに。
行きたくない。聞きたくない。
私が我慢すれば家族は救われる。
そう考えるしかないのか。
「はい……」
この手を振り払い、逃げ出すことはできない。そんなことをして子爵に恥をかかせてしまえば、この場のほとんどの人間が敵に回るから。
私は一度、兄様とキリアンの方を見た。
兄様は蒼白だった。倒れるのではないかとこちらが不安になる。
私のことは心配しないでと、精一杯の強がりを表情に乗せて目配せした。それが伝わったかどうかはわからないけれど。
――この時、ふと軽い眩暈を覚えた。
アルコールの類は一切手をつけていないのに、軽い酩酊感のようなものがある。
けれど、それも一瞬のことですぐに消えた。気のせいだったのだろうか。
場の雰囲気に酔っただけなのかもしれない。




