28✤花祭り
宿で食事をしてからチェックアウトする。
サディアスが言ったように、乳製品がとても美味しかった。
彼はネズミの姿になっていたが、食べ物は要らないのだという。生物のように口から物を入れなくてもいいらしい。
ネズミが宿をうろつくと退治されてしまいそうなので私が服の下にサディアスを押し込むと、ロドリックが何か言いたげにしていた。
「そんなところに入れなくても、俺のポケットでもいいのに」
すると、すかさずにサディアスが拒否した。
「やだ。ぼくのマスターはミシェルだもん。お前じゃないし」
お前と。少しも敬われないままである。
宿を離れて歩いているうちに、いつの間にかまたサディアスは三歳児の姿になって私と手を繋いだ。
ロドリックは一度サディアスを睨んだが、相手にするのをやめたらしい。
サディアスもロドリックには興味がなく、よちよちと歩き、本当に子供のように振る舞う。私には可愛いのに差をつける。
「あら? 何か賑やかね」
広場に出ると、中央に花が飾られた櫓が立てられていて、その周りに若い男女が何人もいる。音楽も奏でられ、皆浮足立っていた。
私のつぶやきを近くにいたおじいさんが拾う。
「今日は花祭りだからね。出会いを求めて若い男女が櫓を囲んで踊るんだ。でも、あんたにはもう関係ないみたいだね。立派な旦那と可愛い子供がいるみたいだし」
「はっ?」
思わず素で声を上げてしまった。サディアスの見た目が三歳くらいだとして、私はこの子の母親に見えるのか。
なんとなくショックだったのだが、横にいたロドリックがニヤニヤ笑っている。睨んでも効果がなかった。
「旦那って。そう見えるんだな」
弾む声で言われた。ロドリックと夫婦に見られるとは――。
「どう見てもサディアスは私にもあなたにも似ていないのに」
悔し紛れに言ったが、ロドリックは聞いていない。
次からサディアスにはもう少し大きくなってもらおう。
軽快な音楽がまた始まり、風が櫓から花弁を若者たちの上に降らせる。皆が生き生きと踊っている様をロドリックはじっと見ていた。
あまりに真剣に見入っているから、彼に言ってみた。
「踊りたかったら行ってきてもいいのよ?」
そうしたら、ロドリックはこちらに首を向けた途端に嬉しそうな表情になる。
「え? ミシェル、一緒に踊ってくれるのか?」
「私?」
私は特に踊りたい気分ではなかったけれど、ロドリックは勝手に語り始めた。
「あ、いや、これまでも夜会でミシェルにダンスを申し込みたかったんだけど……睨まれるとそんなこと言えなくて、つい喧嘩吹っかけてたというか」
まさかそのためにいちいち私に近づいてきていたのだろうか。
そんな意図はまったく読めなかった。
「とても迷惑だったわ」
はっきり言ってやったら、ロドリックは怯んだ。
「ごめん。それで、誰がミシェルにダンスを申し込むか、いつも気にしてた」
「誰って、滅多に来なかったわね。そんな私を可哀想に思った、情け深いキリアンが躍ってくれたくらい」
持参金の用意できない娘など結婚相手にならないのだ。わざわざダンスを申し込んで気を持たせるのも面倒だったのだろう。
本当に、あの好色な子爵みたいな人しか寄ってこなかった。
「だからミシェルはキリアンのことが好きなんだろうなって、ちょっと思ってた」
ロドリックは自分で言ったくせに面白くなさそうだ。
「そうね。キリアンはいい人だもの」
特別恋焦がれているというわけではなかったけれど、好ましくは思っていた。
軽く言ったつもりだったのだが、ロドリックはムッとした様子で急に私の腰を引き寄せた。
「踊ろう」
「え、ちょっと。サディアスは?」
気づけばいない。また何かに化けているのかもしれない。
ロドリックは私とホールドしたまま、他の男女の中に紛れる。音楽が私の複雑な心中にまで入り込むようだった。
踊り慣れたロドリックはリードが上手く、急に私まで上達したような気分になった。社交界とは違う、こんな町中の砕けた場なのに。
ロドリックの手で操られているみたいに思えて気に入らないながらにも、少しくらいは楽しくもあったのかもしれない。
――夜会で私たち家族は笑いものだった。私は必死で売り込まなくては貰い手のない、そんな娘だ。
今みたいに楽しく踊ることはきっとなかった。
ロドリックはそんな私よりもさらに楽しげに笑っている。笑って、言った。
「ミシェル、上手じゃないか。もっと下手だと思った」
ターンを繰り出しながらロドリックの声が弾む。
私は再び彼の腕の中に戻りながらその顔を見上げた。
「うるさいわね。場数を踏んでいないだけで練習はしていたのよ」
といっても、講師を雇ったわけではなく父様を相手に踊る程度だったのだが。
ふわり、とスカートが広がり、体が回る。
腰を支えられ、体が後ろに倒された。そこから勢いよく起き上がると、妙にロドリックの顔が近い。
ただし、この時は私よりもロドリックの方が緊張していたのかもしれない。
「あのさ、キリアンより俺の方がミシェルのことが好きだから。もっと俺に目を向けてほしい」
急にそんなことを言うから重ねていた手を引きかけたのに、彼は私の手をギュッと握って離さなかった。
「今までのことをまだ許してもらえてないとしても、好きなんだ。この世界に来たことはミシェルにとっては災難かもしれなけど、こんなにミシェルといられるなら俺にとっては悪いことばかりじゃない」
真剣な目を前に、呆れたふうにため息をついてみる。
「……あなた、相当変よ」
好意を向けない相手を好きだと想い続けられる理由があるとすれば、手に入れた時の喜びを想像するからだろう。
それなら、私の心が手に入った途端にロドリックは興味を失うのか。
彼に踊らされるばかりの人生のようで嫌だ。
私は、この人のことを異性として好きにはなりたくない。ならない。
呪文のように心でそう唱えた。
「いいよ、変でも。自覚はしてる」
そんなことを言って笑う。
――少しもよくない。
もういい、諦めると言ってくれたらいいのに。そうしたら、私は友人くらいには戻れる気がする。
彼の近すぎる距離と恋心が、どうしても私を素直にさせない。
この時、再び奏でられた曲が不自然に止まった。
皆が息を吞んで通りで停まっている立派な馬車に目を向けた。その馬車の手前には育ちのよさそうな金髪の女性がいた。
淡い桃色のドレスは慎ましやかだが、非常にメリハリのある体つきをしている。私が隣に並ぶと子供にしか見えないのは間違いない。そんなに年は変わらないとしても。
彼女は供を押し退け、私たちの方へ駈け寄ってきた。




