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赤い月とふたりの舟 ~嫌いなあなたと不思議な国~  作者: 五十鈴 りく


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2✤天敵

 ――夜会当日。

 うちが貧乏だとしても、ドレスを用意できないほどではない。

 まあ、多少の経費削減のために仕上げの部分を使用人が縫ったりすることはあるけれど。


 ギュウギュウとコルセットを締め上げられ、私は夜空のような紺色のドレスを身に着けた。

 それから、真珠のネックレスとバレッタ。ギリギリ見苦しくはないと思う。


「ああ、お嬢様はこんなにもお美しいのに、私どもがドレスを縫っただなんて……」


 侍女たちが嘆いている。

 他の貴族の侍女ならドレスなんて縫わされなかっただろうなと思うと、こちらの方が申し訳ないような気分だ。

 それでも皆が丁寧に一生懸命仕上げてくれたことを知っている。だから私には十分だと思う。


「皆、とっても上手だもの。いつでも皆に見守ってもらっているみたいで、似合っているなら嬉しいわ」


 貧しい分、使用人たちとの距離が近い。

 上流階級にはそれをいけないとする風潮はあるけれど、私は皆のことが好きだから構わない。皆もこういう関係を喜んでいてくれると思いたい。

 それを見ていた母様も咎めたりはしなかった。


「綺麗よ、ミシェル。そろそろいい人を捕まえてね」


 母様がにこやかに嫌なことを言った。いい人というのは金持ちを指す。

 義理の息子が父様より高齢になるとしてもだ。

 すっかり禿げ上がった花婿の隣でウエディングドレスを着ている自分を想像して身震いした。




 古くから続く名家であるオーズリー家の夜会には、かなり幅広くの人が招待されていると思われた。

 会いたい顔もあれば、会いたくない顔もある。


「やあ、テリー、ミシェル」


 柔らかい声音に振り向けば、キリアンがいた。おどおどしていた兄様がパッと表情を明るくする。

 キリアンは子爵令息で、涼やかな容姿と人当たりの良さがある。彼に関しては兄様も怯えない。数少ない友人だ。

 そして、妹の私にもいつも優しく声をかけてくれる。


「お久しぶりです」


 微笑むと、キリアンも微笑んで返してくれた。


「こんな美人のエスコートなんて、テリーも鼻が高いだろう?」

「ハハッ、妹だけどね」


 キリアンはうちが貧乏でも態度を変えない。魔法オタクで気の弱い兄様にも優しくしてくれる。いい人だ。

 こんな人ばかりなら私たちの苦労はもっと少なくて済むのに、そうは行かない。


「なんだ、随分地味な女がいると思ったら、お前か」


 ――来た。

 来なくてもいいのに、大抵いる。とても残念なことに。


「や、ロ、ロドリック、ひ、ひさ、久し、ぶり……」


 一生懸命、顔色を真っ白にして兄様が挨拶した。

 それをこの男は鼻で笑った。


「聞こえない。相変わらず情けないな。そんなでも次期伯爵か」


 ロドリック・エルガー。


 私と同い年なのだから、兄様は年上なのに少しも敬うことをしない。いつもこうして馬鹿にしに来る。


 彼と兄様との間に立ち塞がり、私は彼を睨みつけた。

 私も背が低い方ではないけれど、ロドリックのことは見上げる形になる。


 手足も長く、顔立ちは令嬢たちに騒がれるほどには整っている。

 ロドリックは赤茶がかった金髪を揺らして意地悪く笑った。この表情が大嫌いだ。


「私は、兄様を侮辱して許されるほどあなたが立派な人だとは思っていないの。二度と私の視界に入らないで」


 育ちのいい令嬢が口にするようなセリフでないことくらいはわかっているけれど、失礼な相手に礼を尽くす気なんてさらさらない。

 それでも気の優しい兄様はいつも私の背でおろおろしていた。


「ミ、ミシェル……、僕なら大丈夫だからっ」


 すると、ロドリックは青い目を苛立たしげに細めた。


「妹に庇われてばっかりだ。お前がそうやって前に出れば兄貴に恥かかすだけなのにな」

「あなたみたいな人がいるからでしょう? いちいち私たちに構わないで」


 多分、青筋を立てて怒っている私に男性陣は引いていると思う。それでも、この男が兄様に失礼な振る舞いをするのをやめない以上は譲らない。


 ――昔はこうではなかった。

 顔を合わせればそれなりに挨拶をし、会話もしていた。


 最初に出会った時、私とロドリックは互いに六歳だった。

 あの頃のロドリックは母親を亡くしたばかりだと大人たちから聞いた。当然のように皆が彼に気を遣い、腫れものに触るように扱っていた。


 私は普通に挨拶し、自己紹介をし、彼と遊んだ。

 なるべく大人たちから引き離し、嫌なことから逃れて可愛い野鳥を追いかけて。

 ちょっと躓いて転んだだけで涙が止まらなくなった彼は、疲れていたのだ。


 母親の死が彼の心に与えた苦しみは大きかったとしても、周囲の憐憫がそこに上乗せするように重たくのしかかっていたように思えた。

 ロドリックのそばでしゃがんで彼が落ち着くのを待ち、その後で私は怪我をした彼を背負って大人たちのところに戻ったのだった。


 そんな出会いから、次に会った時はもう友達だという認識でよかったのだと思っていた。

 事実、仲良くなっていたはずだ。よく話し、笑い、遊んだ。


 それが、今はどうだろう。間違っても友人とは呼べない。

 関係が悪化したきっかけは多分いくつかあったのだろうけれど、私には唐突でしか感じられなかった。私がその変化を受け取り損ねたのかもしれない。


 今はただ、互いが気に食わない。


 ロドリックは私の顔をじっと見て、まだ何か言い足りないとばかりに嘆息するとやっと離れた。そんな彼を追いかける令嬢が何人かいた。

 容姿がよかろうと、金があろうと、あんな男になんの魅力を感じるのか私にはまるで理解できない。


「……大丈夫、ミシェル?」


 キリアンが気遣ってくれる。私が力いっぱい拳を握りしめていたから。


「ええ。お見苦しいところをお見せしてごめんなさい」


 他人の喧嘩など見ていて楽しいはずもない。好き好んでのことではないけれど、居合わせた彼には申し訳なくも思った。

 それでもキリアンは苦笑して首を振った。


「彼はどうしても君たちに何か言わないと気が済まないみたいだね」

「本当に、毎回迷惑です」

「でも、本当に彼が突っかかるのは君たちだけなんだよ? 他の人には優しいくらいで……。君たちの伯爵家の身分が、羨ましいんだろうか」

「さあ? でも、もっと爵位の高い人もいます。どうして私たちだけ目の敵にされるのでしょうね?」


 ロドリックの父は俗に言うジェントリという身分で、広い領土とその実入りを持つけれど爵位はない。

 だから身分がほしいのだ。そのうちに金で買えるのなら買うだろう。


 自分がほしいものを、貧乏な上に性格が情けないと馬鹿にする兄様が持っているのが心底腹立たしいらしい。

 だからといって目の敵にされるのは迷惑極まりなかった。


 完全なる宝石のような満月が、そんな人間模様を素知らぬ顔で眺めながら浮かんでいる。


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