25✤自由気ままな
――この名は、あの絵本の中の魔法使いのもの。
とっさに浮かんだ名がこれだった。
光が落ち着くと、蛇――サディアスは体を持ち上げた。
「ありがとう、ミシェル! これでぼくはミシェルの使い魔だ。さあ、まずはどんな姿になってほしい?」
サディアスの声は嬉しそうに弾んでいる。家がなかった野良犬が住み家を見つけたようなものなのだろうか。
ミシェルは少し微笑ましく思って言った。
「じゃあ、犬がいいわ」
すると――。
「犬? ごめん、ぼく、尻の穴をさらすの嫌だから」
「し……っ」
思わず口にしてしまいそうになって慌てた。淑女が口にしていい言葉ではない。
「なんだこいつ」
ロドリックも呆れていたが、私は気を取り直して考えた。
「ええと、じゃあ、イタチとか……?」
「えっ? あんな胴長いの、腰痛くなっちゃう」
「……小鳥とか」
「鳥の足ってさ、あれでつかまるの難しいんだよ? 飛ぶのだって楽じゃないし」
「…………」
なんとなく、前の主とは喧嘩別れした理由がわかった気がした。わがままだ。
「じゃあ、あなたの好きな姿になればいいわ。でも蛇はやめてね」
「わーい!」
サディアスは長い体を煌めかせ、少しずつ形を変えていった。
大きな蛇は困ると言ったのに、なんとなくもっと膨らんでいるような。私が不安に思っていると、サディアスを包んでいた光が消え、そこには眩いばかりの美青年が立っていた。
白い光沢のあるやや長めの髪に赤い目、白いローブ。輝くように滑らかな肌。年齢は私たちと同じくらいだ。
「これでいいかな、マスター?」
そう言ってサディアスは私の手を取り、手の甲に口づけた。
「え、ええと……」
蛇も困るが、これもどうだろう。目の保養を通り越して落ち着かない。
そして、ロドリックはサディアスから私の手をもぎ取った。
「駄目に決まってるだろうが!」
見た目は美青年だが、中身はサディアスだ。ぷぅ、と頬を膨らませた。
「なんで? ってか、お前に聞いてない」
お前呼ばわりだ。サディアスもベリスも、魔法使いではないロドリックには手厳しい。
「こいつ……」
青筋を立てるロドリックを押し退け、私はサディアスに頼む。
「もうちょっと小さくなれる? 私、可愛い方がいいわ」
「ミシェルが言うならいいよ!」
非常に素直な返事をくれたが、どうだろう。
それでも、サディアスは本当に縮んでくれた。見る見る縮んで三歳くらいまで幼くなる。
「これでいー?」
舌っ足らずな喋りがとても可愛い。蛇や青年だと困ったが、三歳の子供になるとサディアスはとんでもなく可愛かった。
「ええ、とっても可愛いわ」
「えへへー」
照れ笑いし、その場でくるんと回ってみせる。そんな仕草も可愛かった。
「じゃあ、ミシェルはこれからどうするの?」
くりくりした赤い目が私を見上げる。
「町へ行きたいわ。チップチェイスの町以外の。でも、その前にこの格好をどうにかしたいかも」
ネグリジェで町を歩くのはさすがに嫌だ。
そうしたら、サディアスは私の手をギュッと握った。
「えーと、どんな格好がいい? 思い浮かべて」
「う、うん」
簡単なワンピースでいい。
すると、私の着ていたネグリジェがまるで成長したみたいにライトグリーンのワンピースに変わった。
「ありがとう、サディアス」
「んー、ミシェルが自分でやってるんだよ。ぼくはお手伝いしてるだけ」
「私が?」
よくわからない。今、私は魔法を使ったというのだろうか。
そういう感覚はまるでなかった。
「まあ、この程度の魔法だとね。簡単!」
サディアスはニカッと笑っている。それに反し、ロドリックは難しい面持ちだった。
「ペナルティはないんだろうな?」
「魔法使いは月から魔力をもらってるんだ。ミシェルは結構たくさんもらえる人なの」
全然わからないけれど、もらっているらしい。
「一応聞くけど、私たちもとの世界に戻りたいの。それって自力で可能かしら?」
「それは無理。王様じゃないと!」
やはりサディアスもベリスと同じことを言う。
どうあっても王には会わなくてはならないらしい。それが旅の最終目的になる。
ロドリックも私を見遣り、うなずいた。
「とりあえず、どこか町へ。あんまりここにいるとミシェルが風邪をひくからな」
「まあ、行ける範囲って限りがあるから。うーんとね、ここから一番近いのは――アップルヤードかな」
サディアスが言い、ロドリックはポケットから地図を出して確認した。
「そうすると、現在地はこの辺りか」
などと独り言つ。
私はこの時、ロドリックの手に巻かれたままの包帯に目が行った。ナイフを握ったあの傷だ。
あの怪我は私のせい――いや、私のためについたと言える。
「……ねえ、サディアス。怪我の手当って魔法でできるものなの?」
すると、サディアスは私を見上げて大きくうなずいた。
「できるよー。病気は無理だけど、ちょっとした怪我ならね。あ、即死とか重症も無理」
「どうすればいいの?」
「手をかざして治れって心から願うんだよ」
「私の使い魔のあなたは手伝ってくれるのよね?」
「もちろん!」
ロドリックはこの会話の意味がわかっていなかったみたいで、私が彼の手を取った時に驚いていた。ただ、何か違う意味の期待をされているような気もする。
「どうした?」
その問いかけに答えず、私はもう片方の手をさっき新たに負傷したロドリックの腕に添え、彼の傷が癒えるように願った。心から。心を込めて、一応。
優しい淡い虹色の光が私たちの手を包む。
やっとロドリックは理解したみたいで、光が消えた後になって包帯を外した。そこには傷痕すらない。
肩もグルグルと回してみせるが、痛そうではなかった。
「治ってる。ありがとう、ミシェル」
不意打ちのようにロドリックは微笑む。こういう優しい表情にはまだ慣れない。
「いいの。私が気になるから」
「俺がミシェルに髪を切ってほしくなかっただけなんだけどな」
「それなら切ってあなたに売ればよかったかしら」
照れ隠しにそんなことを言ってしまう。
それなのに真顔で返された。
「ここまで来て髪で満足しない。一番欲しいのは心だから」
「…………」
この人は腹をくくったのかもしれないが、私はその言動に振り回されている。
ただし、甘い雰囲気にならなかったのは私のせいばかりではない。
「――ねえ、お二人さん。ちょっと静かにしてくれる?」
急にサディアスが真剣な口調で言い、何かを警戒し出したのだ。




