15✤本音で
夢うつつ――。
さわ、と何かが頬に触れた。
うっすら目を開けると、すぐにそれが人の指だということがわかった。
ハッとしてその手を払い除けて飛び起きると、気まずそうなロドリックがそばにいた。
「勝手に触らないで!」
威嚇する小動物さながらに言い放つが、私は自分が泣きながら眠っていたことに気づいた。ロドリックは私の涙を拭うつもりだったのだろうか。
「ごめん。うなされてたから」
彼の声と表情に労りが見える。
そのせいで怒りが削がれた。叩き落とした手には包帯が撒かれていて、私のためにナイフを握った傷のある手だったと思い出した。
痛いとも言わないし、責めることも言わない。自分の手よりも泣いていた私の心配をしているふうで――。
そこで絆されるほど、私は単純な人間ではないつもりなのに。
「……怖い夢は見ていないわ。コルセットをしたままだから、苦しかっただけかも」
服は着替えたものの、下着はドレス用のコルセットをつけたままだった。
夜会へ行く前にメイドたちがぎゅうぎゅうと締め上げたコルセットだから、きつい。
もう少し楽なものに替えたいけれど、質屋にそこまでの着替えはなかった。
――その前に、このコルセット、一人では脱げないかもしれない。そこに気づくとゾッとした。
私がゾッとした理由に気づかないロドリックはまだ気遣わしげだった。
「女は大変だな」
そう言ってから部屋の中に一脚だけあった椅子に腰かける。
長い脚を組む仕草は平服でさえも品があった。認めたくはないけれど。
「少し、宿の人に話を聞いてきた。元の世界に戻るためにどこへ行って何をするべきなのか、まずは情報を集めるしかないし」
いつの間に部屋から出ていたのだろう。まったく気づかなかった。
「あなたはちゃんと眠ったの?」
それを尋ねると、ロドリックは不意に嬉しそうに顔をゆるめた。私が彼の体の心配をしてくれたと思ったらしい。
「ああ、十分寝た。本当はミシェルの寝顔をずっと眺めていたかったけど」
余計なことを言わなくていい。
私の態度が冷えきっていると感じたのか、ロドリックは慌てて話を変えた。
「それで、この町の領主に一度話を聞いてみてもいいかもしれないと思うんだ。俺たちが転移してきた理由に説明がつくかもしれないし」
「私たち、十分怪しいんじゃないかしら? 領主様が簡単に会ってくださるとは思えないけど」
「……そこなんだよな」
「それに時間も」
私たちが変な時間に眠ったせいで、起きてもまだ夜だ。もう少し待たなくてはならない。
もう時間がずれるようなことは起こってほしくないが、どうだろう。こんなことばかり繰り返していては、体がおかしくなってしまう。
「俺だけ行ってみてもいいんだけど、ミシェルを置いていくのは心配だし」
あっさりとこれを言った。
私が心配だと。
こちらの方がどう返していいのか困っていても、ロドリックは平然と言うのだ。
「もうわざと喧嘩腰で言う必要もないからな。これからはちゃんと本音で話す」
「本音って……」
「ミシェルは俺の初恋で、口を利いてくれなくなってもずっと特別だったこととか」
皮肉な表情をしなくなっただけで、子供の頃のロドリックが戻ってきたように見えてしまう。
成長してすでに青年の姿をしているのに、それでもまっすぐで無邪気な子供の顔も残っている。
子供の頃の私はそんなロドリックに甘えていたのではなかったか。
気の優しい兄よりも多分、頼りにしていた。
だからこそ、消し去りたい過去になった。
「……嘘つきね。あなた、いつもいろんな女性と一緒にいたじゃない」
見目がよく、財産もある。そんなロドリックが私にこだわる必要はまるでない。
もしかすると、だからこそ他の令嬢と違って自分に嫌悪感を剥き出しにした私に執着するのだろうか。狩猟本能というやつで。
すると、ロドリックは楽しげに軽やかな笑い声を立てていた。
「そう。でも誰とも深い仲にはなってない。いつでもミシェルのことばっかり目で追っていて、それでよそ見するなって怒られてた。他の女といるところを見せてミシェルが妬いてくれたらいいなとか、そんなことしか考えてなかった」
「……最低。他の方に失礼極まりないわ」
そういえば、ロドリックが連れていた令嬢はいつでも私を目の敵にしていた。
それはロドリックが私を嫌うから、同じ気持ちでいるのだとばかり思っていたけれど、本当は違った意味があったのか。
ただし、そんなふうに言えば私が気をよくすると思われたくない。しかめっ面のままでいた。
それなのに、やっぱりロドリックは笑っている。
「自分でもわかってる。あの時だって、エスコートしてた令嬢のこと放り出してミシェルのことを追いかけたし、最低だろうな」
「あの時ってもしかして……?」
「ミシェルがあの髭オヤジに連れ出された時」
「た、助けるまで誰だかわからなかったって言ってたくせに」
そう返しつつも、私は自分の脈拍が速くなっていることを認めた。
あの時、ロドリックが来てくれなかったら私は、想像もしたくない嫌な思いをするはずだった。
「あんな言い訳を信じたのか? 本気でわからないわけないだろ」
ロドリックは苦笑している。
そうは言うけれど、ロドリックが私を助けに来るなんて思わなかった。理由が見当たらなかったのだから、その言い分を信じるしかなかったのに。
「……大体あの髭オヤジ、むちゃくちゃ評判悪いからな。ミシェルは他の令嬢と仲良くしないで兄貴のそばから離れないから、そんな噂も知らなかったんだ」
女友達がいないのは認める。
女の子たちは流行のドレスやアクセサリー、それから色恋にしか興味がないから。私にはどれも縁遠くて輪に入りたくなかった。
その噂を事前に知っていても、立場上断れただろうか。母様もあまりよくわかっていなかった気がする。
何か、またロドリックが一人でニコニコしていた。私がじっとりと睨んでもだ。
「何を笑っているの?」
「こんなに長くミシェルと喋ったのはいつぶりかなと思って」
可愛げなんてひとつも見せていないのに、嬉しそうに頬をゆるめられても困る。
「…………」
私が半眼になったせいか、ロドリックは表情を引き締め直した。
「あ、いや、まだ許してもらったつもりとかじゃないから。でも――」
「朝までもう少し眠るわ」
わざと会話を遮った。
どうしても、私は急には変われない。今のロドリックが本来の彼なのだとしても、この数年で私たちに見せていた彼が偽物なわけでもないのだから。
――私に冷たくされて、しょんぼりとしてみせたとしても。




