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赤い月とふたりの舟 ~嫌いなあなたと不思議な国~  作者: 五十鈴 りく


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12/19

11✤数少ない長所

 彼の店はすぐ近くにあった。

 人身販売などの怪しげな店ではなく、本当に質屋の看板を掲げていてほっとした。

 こうして見ると私たちと同じ生活なのに、ここは違う世界なのだ。


 赤い月が昇り、魔法というものが存在する。もしここに来たのが私ではなくて兄様だったら喜んでいたかもしれない。


 扉を潜ると、使い古した道具たちの独特な匂いがした。

 店の中は狭くて物で溢れている。棚という棚に小物が詰め込まれていて、店主と言えど品物を全部把握していないのではないかという気がした。


「さて、服を売るには先に代わりのものを選ばないとね」


 ハンガーに吊るされた服の辺りを指す。狭い店内で、膨らんだドレスの裾を引っかけないように気をつけながら入った。


「動きやすい格好がいいわ。これからはわりと歩かなくちゃいけないと思うから」


 ここへ来たのは私たちの意志ではないけれど、自分が行きたい場所へ向かうには歩く他の手段は思いつかない。


「そうか。美人は何を着てもきっと似合うよ。好きな物を選ぶといい」


 これを聞き、ロドリックが微かに顔をしかめたのがわかった。褒められていい気になっているとでも言いたいのか。


 ロドリックに構わず、私は数着の服を持って試着室に籠った。


 使用人たちの仕着せのような丈のスカートがいいだろうか。貴族令嬢だろうと、ここで慎みは余計な荷物だと言える。

 無事に帰れるかどうかもわからないのに、そんな矜持にしがみついている場合ではない。


 ブラウスにミモレ丈のスカート、ボレロ。それから靴はフラットに。髪留めも外した。

 慣れなくて足元がスースーするけれど、そのうちに慣れるだろう。


 服を着替えて出ていくと、ロドリックは口の端を引き攣らせた。


「どこの町娘だ」


 それを無視し、私はドレスや装飾品のすべてをまとめて籠に入れた。


「じゃあ、次はそっちの彼だけど――」


 質屋の主がロドリックを見遣ると、彼は嫌そうな顔をしつつも服をつかんで私の横をすり抜ける。

 支度はとても早く、すぐに試着室から出てきた。


 簡素な綿のシャツとパンツ、ショートブーツ。

 とてもラフな装いだけれど、手足が長いので似合って見えた。ただし、それを伝えたいとは思わない。


 店主は丸い玉のついた板をパチン、と弾いて唸る。


「じゃあ、その代わりの服を差っ引いて、百八十ペイス。こんなところかな?」


 ペイスという通貨は私たちの世界と同じだった。それを意外に思うけれど、ロドリックは驚いた素振りも見せず私よりも冷静だった。


「俺たちが相場を知らないと思って買い叩いてるだろ」

「そ、そんなわけないじゃないか。うちは親切丁寧誠実を売りにしているんだよ」

「じゃあ、せめて二百だ」


 ロドリックは意味をわかって言っているのだろうか。

 まるで商人のようで驚くけれど、多分本気ではわかっていない。少しでも多い方がいいと考えているだけだろう。

 店主も困ったように唸っている。


「そんなこと言われてもなぁ」


 そこでふと私の方に目を向けた。そして、大きくうなずく。


「そうだ、あんたの髪、絹糸みたいに綺麗だと思ってたんだ。それをつけてくれたら二百にするよ。どうだい?」


 カツラでも作るのだろうか。私の髪は背中まで届くほどの長さがあるから加工できるようだ。

 特別な手入れもしていない髪だけれど、こんなところで役に立つとは思わなかった。


「買ってもらえるのなら切ってもいいわ」


 ここで金銭を稼ぐ手段がない以上、換えられるものがあるのなら換えておきたい。

 体を売れと言われているわけではないのだ。大丈夫、髪くらいまた伸びる。


 私が決断したというのに、ロドリックの方が耳を疑っていた。


「何言ってる!? 令嬢が髪を切るなんて軽々しく言うなよ」


 私の髪がどうなろうとロドリックには関係がないのに。

 それでも私の行いにいちいち口を挟みたいらしい。

 うんざりして冷たく返す。


「私の髪よ。どうしようと私の勝手でしょう? この状況では長い髪なんて邪魔なだけだもの」


 短い髪になった自分を思い浮かべる。

 あまりにも似合わなくて、鏡の前で惨めな気分にならないとも言えない。

 だとしても、もう決めた。そこには強がりもあったかもしれない。


 店主は嬉々として私に金柄のナイフを手渡した。


「なるべく長めにほしいな」

「ええ、わかったわ」


 私が髪を軽くまとめて持ち、ナイフを滑らせた時――強い力でナイフを奪い取られた。


「っ!」


 ロドリックが私からナイフを奪ったのだ。


「ちょっと、何してるのよ……っ!」


 ポタリ、と血の色が見えて声が上ずってしまった。

 ロドリックはナイフの刃を握ったのだ。


「……貧乏令嬢が、これ以上自分から笑われるネタなんて作らなくても十分だろ」


 何を言っているのだろう、この男は――。

 私はロドリックが流す血のせいで冷静にはなり切れていなかったかもしれない。


「この状況で馬鹿みたいなこと言わないで。令嬢とか、そんなの誰が気にするの? お金になった方が私自身のためなんだからっ」


 少しも自暴自棄ではなかったとは言わない。

 もうなんでもいいという気持ちがあったことも否めない。

 それなのに、ロドリックはナイフを握ったまま苦々しい顔で言ったのだ。


「金なんてどうにでもする。女に髪切らせて平気な男なんていないからな」

「何それ……」


 予想外のセリフだった。私が呆けていても、ロドリックは引かない。


「少なくともそれはお前の数少ない長所だろ。もう少し大事にしろ」


 数少ないとか、余計なことを。

 ――嫌なことを思い出してしまった。


『ミシェルの髪ってサラサラで、光に透けて、すっごく綺麗だね』

『そう? あ、ありがとう』

『うん、誰の髪より一番綺麗だと思う!』


 屈託のない子供時代、そんなやり取りをしたこともあった。

 ずっと忘れていたし、忘れたままでよかったのに。 


「……何、それ」


 私はうつむいて、複雑な心境と一緒に表情を隠した。

 その間にロドリックは店主に交渉する。


「髪は売らない。その代わり、これを売る」


 そう言って、ロドリックは首に下げていた鎖を引っ張り出した。そのペンダントは〈お守り〉だ。

 純金の小さなロザリオ。私は、あれが彼の母親の形見だと知っている。


 店主はロドリックの手にハンカチを巻いて握り、至近距離で目を輝かせている。


「いいものを持っているね! それなら合わせて五百でもいいよ」


 私は慌てて割って入った。


「駄目よ。それは売らない。服だけでいいわ」


 そうしたら、ロドリックがゆるくかぶりを振る。


「金はあった方がいいって言ったのは誰だ? 第一、これは俺の持ち物だ」

「でもここで手放したら、もう買い戻せないでしょう?」


 それは私の髪以上に手放してはいけないものだ。

 私たちの国でのことなら質草にしても買い戻せるけれど、この世界ではなんとも言えない。


 だから、手放してはいけない。

 小さなロドリックがあのお守りをいつでも身に着けて大切にしていたことだけは本当だから。


 それでも、ロドリックは私の言葉など聞き入れなかった。


「これが金になれば、俺を守ってくれたことになる。だから間違った使い方じゃない」


 止血をしてもらったロドリックはペンダントを外し、結局売り払ってしまった。

 私がまだ何か言いそうにしているのを鬱陶しそうに振り払い、店主に向けて言う。


「それと地図を売ってほしい」

「この地方のでいいかい?」

「国全土とこの地方のと両方あれば」

「じゃあ、二枚だね」


 そのやり取りをしている間も私はモヤモヤしていたのだが、ロドリックの判断が正しいのは認める。

 どの世界においても金銭ほど力のあるものはないのだ。残念ながら。


「二人ともどこへ行くにしても気をつけてな」


 最初に出会った人が親切だったこと。

 それが私たちにとって最大の幸運だっただろうか。


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