10✤チップチェイスの町
町までの道は綺麗に均されていて、馬車が行き来する道なのだと轍の後を見て思った。少なくとも、馬車を使うのなら町にいるのは人間だろう。
近く見えるけれど、ドレスとヒールのせいで歩くのも楽ではない。どうしてよりによって夜会の最中にこの異変が起こってしまったのかと恨めしくなる。
ロドリックは戦闘の後でも返り血を浴びておらず、一見涼しげだった。相変わらずニコリともしないけれど。
途中、十字路に道しるべが立っていて、そこにかすれた文字を認めた。
【この先、チップチェイスの町】
――ここではっきりしたことがふたつある。
「チップチェイスなんて町は聞いたことがない」
ロドリックが顔をしかめた。
つまり、ここはやはり私たちの住む区域ではないということがわかった。
そしてもうひとつ。
「でも、文字が読めるということは言語が同じなのよね。それがせめてもの幸いかしら」
人間に遭遇すれば話は通じるのだろう。
どうか物分かりのいい人と知り合えますようにと願った。
少し歩き、ようやく辿り着いた町に入る。足がだるいけれど、少し休めば大丈夫だろう。
門を抜けた先の町並みは綺麗に整い、文化レベルの高さを感じさせる。
町をじっくりと観察している私たちを人々はどう思っただろう。
私たちの格好のせいもあってか、奇異の目を向けられた。
町の人たちはそう奇抜な恰好はしていない。私が知る労働階級の人々と変わりない。流行や時代のズレも感じなかった。
目立ってしまっているのは恥ずかしいものの、私はロドリック以外の人間に会えたことにほっとしていた。
ロドリックはそうではなかったのかもしれない。警戒を解かないまま険しい表情で町を眺めている。
誰もが私たちを遠巻きに見ていると思ったけれど、こちらに近づいてきた人がいた。
三十代くらいの男性で、ごく普通の素朴な人に見えた。ロドリックはとっさに、男性から私を遠ざけるように前に立った。
――何故、と思う。
ロドリックは口ではすぐに悪態をつくくせに、行動はすべて私を守るように動いている気がしてならなかった。
もしこれが私でなく別の女性だったとしても同じように守るのは間違いないと思う。
この人は結局のところ、自分よりも弱い女性を守るのは当然だとどこかで考えているのだ。
それが気に食わない相手でも。
少し複雑な心境だった。
「何か?」
ロドリックが男性のことを睨んだのか、男性が怯んでいた。
「い、いや、あんたたち見ない顔だなと思って。それだけなんだ。……邪魔したのならごめんよ」
これは話が通じる相手だ。私は思わずロドリックを押し退けた。
「あの! 私たち道に迷ってしまって、家に帰りたいんです」
私が身を乗り出すと、ロドリックはまだ眉根を寄せていた。
男性はロドリックに怯えつつ、それでも好奇心からか会話を続けてくれた。
「道に迷った? ここはチップチェイスの町だけど、家はどこ?」
「……バルカム王国のロイル領です」
「バルカム王国? ここはスターレット王国だよ。君たちってもしかして魔法で転移してきたの?」
その発言に、ロドリックが低い声を漏らした。
「はぁ?」
怖いからやめてほしい。
スターレット王国。魔法。
胸騒ぎしかしない。
「……魔法って、赤い月の力ですか?」
兄様が読んでくれた絵本を思い起こす。
馬鹿みたいなことを言っているとわかっていても、この目で見たあの月を忘れられない。
そして、男性は平然とうなずいた。
「そうだよ。君たちなんにも知らないなんて、よっぽど遠くから来たんだねぇ」
「もう少し詳しい話を聞かせてくれ」
急にロドリックが前のめりになると、男性は困ったように後ずさった。
「え、えっと、僕は魔法使いじゃないからそこまで詳しい説明はできないけど……」
「それでもいいからお願いします!」
私も畳みかけた。
まず現状を把握することが何よりも大事なことだ。この人を逃すべきではない。
男性は異邦人の私たちに詰め寄られ、戸惑いつつも話してくれた。
「ここはスターレット王国っていう国で、王を筆頭に魔法使いが治めるところだよ。魔法使いは人口の一割もいないかな。僕たち平民は魔法を使えないけれど恩恵を受けているから、その分税を納めて生活している。まあ、時々近くの森に獣の類が出たりはするんだけど、平和な方なんじゃないかな」
獣というのは、あの森でロドリックが倒したもののことだろう。ただの生き物とは違ったけれど。
「それで、その魔法には転移する技があるんだな?」
「うん。滅多にないことだし、どうやってとか、そういう仕組みは僕にはわからないね。この町の魔法使いは領主様だけだし」
魔法使いはヒエラルキーの上位であるということだけはわかった。
そして、私たちの現在地が自分たちの意思とは別に切り替わってしまったのも魔法だということか。
ただ、それを誰が行っているのかが判然としない。この町にいるただ一人の魔法使いのせいだろうか。
私とロドリックが考え込んでいると、男性は私たちを値踏みするように頭のてっぺんからつま先まで見遣った。
この人が私たちに声をかけたのは完全なる善意からではなかったのだ。優しげだった垂れ目がキラリと光る。
「ところでさ、君たちってこの国の通貨は持っているの?」
「えっ」
この国のどころか、金銭は身に着けていない。
ロドリックを見遣ると首を振った。私たちは夜会に招かれたところだったのだから。
情報提供の代償に金目のものを要求されるのかと思ったら、それも少し違った。
「僕は質屋なんだよ。君たちの服とか装飾品を売ってくれないかな? 君たちだって金がないと宿も取れないだろう?」
「え、ええ、まあ……」
ロドリックはどう考えているのかと思えば、うなずいた。
「この格好は動きづらいし、俺の分は売っても構わないが」
こちらに関しては売れとは言わない。貧乏だからそんなドレスでもないと困るだろうとでも思っただろうか。
もし私が躊躇って見えたのなら、このドレスを用意してくれた侍女たちの顔が浮かんだからだ。勝手に売って悪いような気もするけれど、こうなったらおかげで高く売れて助かったというしかないだろうか。皆なら役に立ってよかったと言ってくれると思いたい。
「私も構いません。売ります」
今は後のことまで考えている場合ではない。まずここがどこだかを把握して、どうすれば戻れるのか方法を探すべきだ。
男性は満足そうにうなずいた。




