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夜の先へ

 視界に滲む橙色が、痛くて堪らない。吸い込む空気が冷たいせいだ。扉にかけた手の震えは止まりそうもない。そっと顔を上げれば、壁から伸びる古びた札が目に入る。美術室。ただその単語を目にするだけでも息が上手くできなくなってしまう。


「入らないんですか、時雨ちゃん」


 扉の真横、壁に背を預けた月は物言いたげな目をして私を見ている。その顔から目を逸らして息を吐き出した。


「……入るよ」


 固まってしまった指先に力を込める。震えはやっぱりおさまらない。それでも、開けた。怯えてなんていないと示すように。……誰も、それを咎めることもないと知っているけれど。

 重たい扉の向こうにあの女が居た。

 大きなテーブルに身体を預けて、ぼうと窓の外を眺めている。その横顔にあの日の面影はなく、在ってほしいはずのものが感じ取れない。電気も点けずに待っていたんですか、とか。寒いのにストーブ消してしまったんですか、とか。駆け巡る言葉は一つも口から外には出ていかず。ただ、目の奥が熱くてたまらなくなる。


「あ、天宮先生」


 それがこぼれ落ちる前にあの女が喋り出したものだから、行く先を失った無駄な水の処理に困ってしまった。眠い目を擦るふりをしてそれを拭い取る。視界はまだ、不確かだった。


「やっと来てくれたんですね」

「……すみません、お待たせしてしまって」


 一歩。踏み出せばいいのに、その一歩が踏み出せない。とん、と。背中に当てられた感覚に顔を向ける。横に立つ月は、仕方なさげな笑みを浮かべて私の背を押していた。

 だから、踏み出す。大丈夫だと、自分に言い聞かせて。


「はい、これ。神宮さんの」


 差し出されたのは授業で作ったのであろう作品たちと入学する時に買った覚えのある絵の具セット。それから、見た記憶のないスケッチブックだった。


「あの、これは」

「ああ、それ、部活で使ってたものです。本当は中身、少し貰おうかなって思ったんですけど……ちゃんと全部、残してありますよ」

「……そう、ですか」


 どうぞ、と。差し出されるそれがわずかに揺れ動いている気がした。

 ……これを受け取ったら、この女と関わる理由はなくなるんだろうか。いや、同僚だし隣の席だから、別に、全くなくなるわけじゃない。それでも私とこの女を繋ぐ理由というか、そういうのは、もう無くなってしまう気がして。


「──あの、天宮先生」

「う、あ、はい!」


 ばっと上げた顔に驚いたのか、天音先生は言葉を止めてぱちぱちと瞬きをしていた。すぐに笑みがこぼされる。くすくすと、愉快そうにその肩が揺らされ始めた。


「す、すみません、驚いてしまって」

「いいえ。ね、天宮先生。わたし、また天宮先生のお家にお邪魔してもいいかしら」

「え、何しに来るんですか」


 まあ冷たい、なんて口にした顔は大して傷ついてもいなさそうで。それに覚えた苛立ちは懐かしいものだった。


「で、本当に、何しに来るつもりなんですか」

「あら、だってわたし、まだ神宮さんに挨拶させてもらっていないんですもの。まさか天宮先生、わたしを神宮さんに会わせてくれないまま、ってことはないでしょう?」

「ぐ、それ、は」


 それを言われてしまうと困る。会わせたくない気持ちはまあ、正直に言えばある。が、それはそれとして会わせないほど冷たい人間にもなれない。なりたくはなかった。


「……わかりましたよ」


 やった、と笑う彼女から初の作品たちを奪い取る。天音先生はそれでも笑顔のままだった。


「仕方ないから会わせてあげますよ、今度。来るなら供え物、忘れないでくださいね。それじゃあ今日はこれで失礼します」

「はい。お疲れ様でした、天宮先生」


 ふんと鼻を鳴らして背を向ける。目の奥が熱いなんて気のせいだ。胸が痛いのだって気のせいだ。泣きたいのに笑いそうなのも、全部全部、気のせいに決まってる。


「あ、そうだ、天宮先生!」


 まだ何かあるのかとため息を吐き出して振り返った。天音先生はやっぱり憎たらしい笑顔を浮かべたままで。


「神童さんに、よろしくお願いしますね。またハンバーグ作って欲しい、って。あと、おやつはパウンドケーキが食べたいって」


 思考が止まったのは多分、動揺してしまったからなんだろう。そんなわけがないと思っているのに、この女が月の正体を理解しているんじゃないかって、一瞬でも思ってしまったから。だからぶっきらぼうにそのよろしくとやらを叩き捨ててやろうと思って。


「──はい、はい! 任せてください!」


 でも、横に立つ彼女が満面の笑みを浮かべたから、何も言えなくなってしまった。その言葉が聞こえたのは私だけ。その笑顔を見たのも私だけ。でも全部、あの女に向けられたもので──ああ、気に入らない。気に入らなかった。だから。


「嫌です。自分で伝えてください」


 べ、と。舌を出して思い切り睨みつけてやる。

 それでもまだ、二人は笑ったままだった。

最後まで読んでくださりありがとうございました。この作品は第32回電撃大賞に出したものを少し改稿した作品になります。落選しましたが、自分にとっては大切な作品であったので公開することにしました。


最後に、読んでくださった皆さま、できれば評価を入れていただければと思います。低い点でも構いません。この作品がどうだったか、ぜひ教えていただけると助かります。


ここまでお付き合いいただきありがとうございました。次作品も投稿予定ですので、そちらも読んでいただけると幸いです。

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