月光に手を伸ばしてー13
「──っ、時雨ちゃん!」
「お、わっ」
どん、と。勢いよくぶつかられて転びそうになる。それを堪えて顔を下ろした。そこに、泣きそうな顔をした少女がいた。道具なんかでもカミサマなんかでもない、ただの少女が。
「なに、何してくれてるんですか、馬鹿ぁ! ほんと、ほんとに死んじゃうかと思ったじゃないですか!」
「……ああ。ばあさんが代わりにやってくれなきゃ、死んでたな」
「そうです。そうですよ。死んでました。死んじゃうところだったんですからね!」
ず、と鼻をすすって、月は強く私の身体に抱きつく。その頭にそっと手を置いた。
「……ごめんなさい、時雨ちゃん」
「なんで月が謝るんだよ」
「だって、私、迷惑かけちゃいました。いくら自我がなかったとはいえ、時雨ちゃんたちを危険な目に」
「はっ、なんだ、そんなことか」
そんなことって、と、その顔が勢いよく上げられる。琥珀の瞳は水面に映った月のように揺らめいていた。
「そんなことだよ。いいんだ。元はと言えば、さっさとばあさんの提案を拒否しなかった私が悪いんだしな」
その瞳はまだ頼りな気に揺れていたけれど、数度の瞬きの後、少し悲しげな笑みへと変わる。月は小さく首を振って、私からそっと離れた。まさか、なんて予感を置き去りに月が差し出したのは。
「はい、時雨ちゃん」
もう動かない、ただの人形だった。まるであの子が眠っているみたいで。でも所詮は人形でしかない。だってこれは初じゃないのだから。
「どう、しますか」
浮かべられているのは弱々しい笑み。訊ねる声は震えていた。私に人形を差し出しているその手も。
「……どうもこうもないだろ、ほら、貸せ」
乱暴にその人形を奪い取る。月はわずかに瞳を揺らして何かを言いかけた。でも彼女が言葉を紡ぐよりも先に、私はそれを。
「え、ちょ、ちょっと、時雨ちゃん!?」
投げた。空へと。
夜空に浮かんだ人形に指を向ける。水色の矢は、迷うことなくそれを打ち砕いた。
「──そ」
ぱらぱらと破片が降り注ぐ。砕け散ったそれにもう彼女を感じることはできない。壊した。けれど後悔も罪悪感もなかった。だからだろう。口元は、自然と緩んでいた。
「そんなことしちゃっていいんですか!?」
若干引き気味に驚きの声を上げたのは月だった。信じられないようなものでも見るような目をして、月はぱちぱちと瞬きを繰り返す。
「あ、あんな高度な人形、他に作れる人がいるかどうか。もう二度と手に入らないかもしれないんですよ!? それを、こんな、簡単に──」
「いいんだよ。いや、私だってそりゃ、迷ってたから中身だけ殺したんだ。……でも、もういいんだ。約束、ちゃんと守りたいからさ」
それより、と月の顔を見つめなおす。
「……その、お前は、もう、帰るのか?」
厄災は封じた。外に漏れ出していたモノも殺したんだ。なら、もうこの世界には用はないんじゃないだろうか。そう思って問いかければ、月はこてん、と首を傾げた。
「え? いえ、まだ帰れませんけど」
「……は? え、なんで。だって厄災は」
戸惑う私に、月はやれやれ、と首を横に振る。
「解決はしてないじゃないですか。今回はただ封印しなおしてもらったで、つまりは解決できるまで先延ばしにしてもらっただけです。前にも言いましたけど、私はあくまでも師匠が厄災解決の目処を立てるまでの繋ぎ……つまり、厄災の封印がしっかりされているか監視を続けなきゃなりません。それに、忘れちゃいましたか?」
「え、なにをだ」
「私が最初に言った目的ですよ。もう、時雨ちゃんが教えてくれたんじゃないですか。人間性を勉強するのが師匠から命じられた私の役目だって」
ああ、そういえば、そんなことも言っていたっけ。
「……ということで」
とん、と。足音を立てて月は私へと近づく。その顔に、とびきりの笑顔を浮かべて。
「これからもよろしくお願いしますね、時雨ちゃん!」
その笑みは明るくて、眩しくて、でも、太陽とは違う。少し控えめで、優しくて。ああ──それはその名の通り、月の光のような笑顔だった。




