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月光に手を伸ばしてー10

「ウ、イ?」


 声に応えるように、音が聞こえた。ぴしりと。何かがひび割れる音が。


「ウイ!」


 立ち上がりかけて、そこで気がついた。異様な光はとっくに空から姿を消している。夜空はいつも通り静かに。月の無い暗い夜。それでも神社に張られた水が濁っているのがわかった。季節を無視して咲き誇り続けていたカキツバタたちから元気が失われているのも。


「時雨、っ、その人形を、早く! でなければ──」


 響いた祖母の声は悲痛。その意味を知る前に、ぽきり、と。カキツバタが一つ、音を立てて折れた。ぽきり。ぽきり。ぽきり。小さな音が鳴り続ける。カキツバタが、一つ一つ、折れていく。

 それでようやく理解した。神社に封じられている厄災が力を増しているという事実を。


「時雨ちゃん!」


 光が散った。私の前に立ち塞がるのは目を覚ましたばかりであろう月。その手には銀の大鎌。どうして、なんて考えるまでもない。彼女の目の前には、震えながらも立ち上がった祖母の姿があった。真白な凶器を手にした祖母が。


「な……っ、どういうつもりだ、ばあさん!」

「どうもこうもないでしょう。このままでは消されてしまう、破壊装置に、何もかも!」

「な、にを、馬鹿な、厄災を封じるのが先だろうが!」

「ええ、もちろん、封じますとも」


 真白なナイフが闇の中で鈍く光っている。ゆっくりと、細い手によって持ち上げられていく。


「その破壊装置ごと」


 稲妻が空を駆け降りてくる。地に立ちながらも輝く月を壊すため。祖母自身の守りたいものを守るため。


「なんで」


 爪を立てた地面は硬く。傷一つつけられやしない。


「なんで」


 落ちる。稲妻が。落ちる。月をめがけて。


「なんで、っ、なんで」


 けれど月は手を動かさない。ただじっと立ち尽くして、落ちてくる稲妻を待っている。


「なんでだよ!」


 どうして他の世界をそうまでして守りたがる。どうしてそうまでして初を取り戻したがる。どうして月を殺そうとする。

 どうして祖母の攻撃を避けようとしないんだ。どうして祖母を殺そうとはしないんだ。

 どうしてが何度も頭の内側を叩く。見ていられなくなって立ちあがろうとして、だけど、私が手を出すより先に月を突き飛ばした存在が居た。彼女の代わりに稲妻に打たれることを選んだ少女が。


「あ、ぐ、ううう──!」

「ウ、イ、ウイ、なんで!」


 青い光が空気に消えていく。その行動に動揺したのは私だけじゃなかった。月は尻餅をついたまま呆然と彼女を見上げている。祖母は目を丸くして、魚のように口をパクパクとさせていた。

 ゆっくりと、倒れていく。その身体を受け止めたのは月であった。ありがとう、と。そうこぼして、ウイは再び立ち上がる。私に背を向けて、その顔を祖母へと真っ直ぐに向けて。


「な、なに、を」


 凛とした声が今は震えていた。その問いかけに、ウイはいやにはっきりとした声音で言葉を返す。


「月を封じたところで、あなたはあなたの望む世界を守れはしない。……そうでしょう、神宮梅花(うめか)


 それは初ではなく、ウイ自身の言葉。でもその端に、初が居るような気がした。

 ウイは頼りない足取りで祖母の元へと歩いていく。彼女が一歩を踏み出すたび、祖母はその身体を揺らしながら一歩後ろへと下がる。まるで逃げるみたいに。彼女を拒むみたいに。


「あなたの観測した世界をどうこうできるのはその世界に住む人たちだけ。そのくらい、わかっているんでしょう?」


 冬の海はぐらぐらと揺れていた。今にも堤防を乗り越えて、その目からこぼれ落ちてしまいそう。でも瞼が強く閉じられて、見えなくなる。祖母はまだ、何かから逃げているように見えた。


「それでは、それではただ黙って見ていろとでも言うのですか。手に入らない。届かない。だから諦めて、望む世界が消えることを黙って見ていろと!? それではまた失うことになる。それではまた、奪われるだけではないですか。妹も娘たちも、あなただって──!」


 パシンと。響いた音の意味を、誰がわかっただろうか。苦しげな息を漏らしながらも、それでもウイは祖母の頬を力強く叩いていた。


「それでも、大伯母様が居る世界はここでしょう!? 大伯母様が生きているのは、この世界でしょうが!」


 だったら、と。言葉に混じるのは嵐のような息。無理をしている。限界だと伝わってくる。それでもウイは言葉を紡いだ。何のために。誰のために。……その答えを知らずとも、その姿に初が重なってしまった。初が喋っているみたいだって、今更また、思ってしまったんだ。


「だったら、大伯母様が大切にするべきは今、目の前に居る大事な人たちなんじゃないの。どこか遠くの届かない世界の心配をするよりも、まずは、自分のしたことの後始末をちゃんとやりやがれ、クソババア!」


 初だって、きっと、同じことを言っただろうから。


「────」


 祖母の顔が歪む。嗚呼、まるでただの老女のようだ。紅の塗られた薄い唇が、言葉を紡ごうと開きかける。だけど彼女は何も言えない。言う時間は、もうなかった。

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