月光に手を伸ばしてー8
「な……っ、どういうつもりですか、時雨!」
「どうもこうもねえだろ、クソババア!」
打ち砕けるだけの力を得たのは何のためか。忘れるはずもない。忘れていいわけがない。私はあの子を守るためにこの力を手にした。あの子を守るためだけに魔術を手に取った。
なら答えは一つだ。
なんのために、誰を殺すのか。
「あなた、初を見捨てると言うのですか。初ではなくあの破壊装置を選ぶと!?」
口からこぼれたのは嘲笑うような笑み。それが強がりでしかないと自分でもよくわかっていた。それでも笑う。笑ってやった。
「初は生き返ることを望んでないからな。私一人の我儘で、あの子の望みを台無しになんかできないだろうが」
笑う。目の奥が熱くても。
笑う。頬が引き攣って痛くても。
笑う。それが嘘かもしれなくても。
「そんなもの、あの人形の想像でしかないでしょう! あんなものは口から出まかせに決まっています。なにより時雨、あなたはもう一度、初と共に暮らしたいのでしょう? あなたの幸せは初と共に人として暮らすことではないのですか!」
「ああそうだ。私にとっての幸せはあの子と一緒に暮らすことだった。あの子と二人で、平和に暮らすことだったよ。私が望んだのは、それだけだった」
「っ、なら、あんな人形の戯言を信じる必要はないでしょう。殺しさない、時雨。その人形を、厄災を、破壊装置を──初のために」
は、と。笑みがこぼれた。それは強がりなんかじゃなくて、本当に、心の底からのもの。
笑った。笑ってしまった。笑えてしまった。
だって。
「ばあさん。私が信じたのは、信じているのは初だよ。ウイの言葉でも、月の言葉でもない。私は他の誰でもない、初を信じてる」
「……どういう、意味ですか」
「まだわからねえのかよ。よく聞けクソババア。本気で初が生き返りたいって望んでるんだったらな」
願望だ。そうであってほしいという願いだ。それでも私は信じる。信じたいんだ、その未来を。
「たとえ姿が変わっても、記憶を失っていたって、戻ってくるさ、私のところに。思い出すんだよ、大事な感情全部を、自力で──!」
光は落ち続ける。祖母はもうそれを防ごうとはしない。雷は空を駆けず、流星に立ち向かわず。代わりに空気を切り裂くのは水色の矢。私の右腕が放ち続ける矢だけが降り注ぐ流星群をかき消していた。
「そんな、馬鹿なことを。よく考えなさい時雨。初を生き返らせたとて他の誰も犠牲にはならないのです。ウイの中身は厄災、いずれは殺さねばならぬ定め。そうして月とやらは初なのです。アレとて魂が取り出された今、死んでいるようなものじゃありませんか。思い出す? 戻ってくる? 必要ない。そんな無駄な期待をする必要はどこにもない! ただその魂をその人形に入れるだけ。それで全てが叶う。誰ももう苦しまない。皆幸せになれるではないですか!」
「甘えたこと言ってんじゃねえ、クソババア! 第一月の身体はまだ生きてるだろうが!」
そうだ。彼女はまだ生きている。たとえその中身が今は外に取り出されているのだとしても、それでもその身体はまだこうして動いている。生きているんだ。
だけど初は死んだ。あの日胸を貫かれて、身体は確かにその役目を終えた。魂は月と同一なのだとしても、その記憶はもう失われた。死んだんだ、身体も、きっと、その心も。……奥底に眠っているだけかもしれなくとも。それでも今、あの魂は初のものではない。あれはもうとっくに月のものだ。
「初は」
だから。
「初は」
紡ぐ言葉が震えた。認めたくない。口にしてしまえば悪夢はついに現実のものとなってしまう。
それでも。
「初は、死んだんだよ──!」
叫んだ。認めた。悪夢が現実であることを。それが覚めることなどない紛れもない現実なのだと。
空を覆うは光り輝く星々。降り注ぐ流星は全てがウイを殺すために。
空気を青い光が駆けていく。落ちてくる稲妻は、なんのために。
「っ、ウイ!」
伸ばした手がその身体に触れた。彼女を掴んでそのまま地面を転がる。体勢を立て直す間もなく感じたのは強い魔力の気配。勘だけで、それを打ち払った。
「な──」
呆然とした声を漏らしたのは祖母。思わず笑みがこぼれる。随分とまあ舐められたものだ。
「忘れたのか、ババア。私はこれでも、お前の跡を継ぐ予定だった女だ」
たった十数年。この老女に魔術の手解きを受け、偽製魔術師としての鍛錬を行なったのは、たったそれだけ。そこから先は全てが独学。頼れる師はおらず、具体的な目標も描けず、それでも魔術の鍛錬を重ねてきた。
何のために、誰を殺すのか。
「初のためなら、私は誰であろうと殺す。あの子を守るためなら、私は」
詠唱は不必要。ただ右腕を構えた。
視界に映り込むのは引き攣った顔をした祖母。降り注ぐ流星は止まず、けれど雷はとうにその姿を消していた。
「厄災であろうと、カミサマであろうと」
熱を持つ。右腕が。胸が。目の奥底が。
枯れ木のような頼りない身体が震えていた。そこに、感情を抱く。肉親の情。師への畏れ。敵対者としての憎しみ。
でも、そのどれも、この一撃には込めない。
「──実の祖母だって、殺してやる」
矢を放つ。迷いなく。一切の情けをかけず。全力で。そこに感情は必要ない。もう決めたから。あの子のために、殺すのだと。
矢は降り注ぐ流星の合間を縫って進んでいく。真っ直ぐに。震える両手が前へと突き出された。自身を守る壁を作り出そうと。
けれど。
「あ──」
矢は、その壁を貫く。
硝子が割れたような音が辺りに響いて、瞬きの後、彼女の胸には赤が滲んでいた。




