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月光に手を伸ばしてー7

 熱が頬を掠めた。目の前に立つ祖母の身体が震えている。彼女の魔力はもう底を尽きかけているようだった。なのに止めない、月の攻撃を防ぎ続けることを。退かない、私たちの前から。

 何のために。

 きっとその問いは彼女に向けるべきものではない。私が、私自身に向けるべきものだ。

 ──何のために、私は誰を殺すのか。

 上着からそれを取り出した。月の光によく似たそれをどうするべきなのか。もう、答えを出さなきゃいけない。

 私は月を殺すのか。

 ウイを殺すのか。

 それともあの子を殺すのか。

 誰を、何のために。


「ウイ……?」


 震える手に添えられたのは、人と同じ温度を持った人形の手。あの子と同じ焦茶色の瞳が、じっと、あの子の魂を見つめている。


「────」


 小さく息を吐いて、ウイは光を手に取る──渡してしまった。そこに私自身の意思はあっただろうか。わからない。少しもわからなかった。


「ねえ、お姉ちゃん」


 けれど、それはわかった。あの子の声だと。あの子の喋り方だと。あの子の言葉だと。でも、目の前の少女はすぐにそれを否定する。


「私は、神宮初じゃない」


 否定して、それでも言葉を紡ぐ。

 何の、ために。


「でも、彼女の記憶は持っている。だからこれは、あくまでも私の解釈。神宮初ならきっとそう思うって、あの子ならそう思ってるだろうって、私が思っただけのこと」


 見た。その目が私を。見た。そこにあの子の姿を。


()は、他の誰かを殺してまで生き返りたくない」


 あの子が、喋っている。


「私が望むのは自分が生き返ることじゃない」


 あの子の言葉が紡がれている。


「殺されたら痛いし、辛いし、苦しいよ。……ううん。すごく痛くて苦しくて、悲しくて、なんでって思った。思わないわけないじゃん。急に殺されてさ、嫌だとかふざけるなとか、思わないわけないんだよ。やり残したことだって、ほんとは、たくさんあるんだから」


 いいや、あの子のものじゃない。たとえ目の前に居る彼女があの子の記憶を持っていて、あの子のように喋っていたって。


「だから、本当は生き返りたい。まだお姉ちゃんと一緒に居たいし、友達とも離れたくなかったし、なにより、うん、まあ、まだ、お別れには早いんだよ、全部。だけど──」


 でもその笑みが、あの子と重なる。あの少女と重なった。今は空になってしまったあの器と。自らを破壊装置であると悲しげに言い切った月と。


「それで誰かが損をしたり、大事に思ってた世界が壊れるようなことは、絶対に望まない。望んでない」


 笑顔は歪んでいた。ただの強がりだ。不格好で、今にも崩れそうで、それでも、それでも笑った。


「神宮初はそういう人間だって、それは、あなたが一番よく知っているでしょう?」


 笑ったんだ、確かに。

 そこにあるのはやっぱりあの子の言葉じゃない。

 いくらあの子と同じ姿をしていたって、いくらあの子と同じ声で喋ったって、それでも目の前に居る少女があの子ではないことくらい、もうわかっていた。

 だからこれは、全てウイの想像で、そうであってくれという望みで、そうして、祈りだと思った。

 そっと、その目が月の魂へと落とされる。笑みは苦しげなものから穏やかなものへ。


「ねえ、そうでしょう」


 囁く声はあまりに穏やかで、だから、やはりそれは祈りだったのだろう。

 上げられた顔にあの子の面影はなかった。あの子と同じ顔をしていながら、その顔はもうあの子のものではなくなっていた。


「ごめんなさい、天宮時雨。これはあの子に返させてもらう」


 そうして走り出す。私に背を向けて。

 その身体を、琥珀の瞳が捉えた。


「っ!」


 降り注ぐ流星を掻き消すのは青い稲妻。ウイは一度足を止めて、けれどまた走り出そうとする。その目前に、落ちた。雷が。


「どういうつもりですか!」


 氷が溶けている。瞳の奥、感情を隠す氷が溶けて、現れた冬の海はどうしようもないほどに荒れていた。


「まさか、死にたくないと? なんのために作られたのか、それを忘れたとは言わせません。ウイ、あなたは所詮人形。あの破壊装置を誘き出し、そうしてあの子を蘇らせるためだけに作られた──それを、忘れたとは言わせませんよ」

「はっ、忘れてなんていないわよ。忘れているのはあなたの方ではなくて?」

「……どういう意味ですか」


 向けられた視線は凶器。鋭く冷たく、情はなく。けれどウイはそれを受け止めて立ち続ける。あの子の魂から手を離さずに。


「私は確かにお人形だけれど、あなた、言ったわよね? 生きた人形だ、って。ええ、生きているわ、私。だから自分の意思がある。感情がある。……神宮初の模倣でしかなくとも、私には私自身の意志があるのよ!」


 響く音は鈴の音のよう。落ちてくる光に感じるのは畏れと神聖さ。それは地面を傷つけず、けれど死を予感させる。琥珀の瞳はウイを見つめたまま。そこにはなんの感情もない。

 響く音は轟音。落ちてくる雷に宿るのは怒りか悲しみか。それは地面を焦がし、けれども未だ、彼女を傷つけず。薄水色の瞳が細められる。忌まわしいものでも見るように。

 それでもウイは立っていた。足が震えている。叫ぶ声だって震えていた。けれど逃げ出さない。あの子の魂から手を離そうとしない。


「これは月に返させてもらう。この魂はもう、あの子のものよ」

「──いいえ、いいえ、いいえ! その魂は神宮初のもの。たとえ死んでも、初めからそうなると決まっていたのだとしても、それでも、その魂は──!」


 星空に見えた。ひび割れていく夜の闇に浮かぶ光たちが、それが星ではないとわかっているのに星に思えた。鈴の音に似た音が鼓膜を震わせる。降り注ぐのは流星群。たった一人を消すためだけに振るわれるカミの力。

 青い光が空を駆ける。星の合間を縫い進んで、轟音を鳴り響かせながら墜ちてくる。たった一人を取り戻すため、怒りに任せて振るわれる魔術。


「ふざ、けるな」


 どちらが当たってもウイは死ぬ。中身は焼き払われ、その身体は消し炭にされることだろう。

 どちらが当たっても月が死ぬ。祖母はあの魂を使って初を生き返らせるのだろう。空の器は魂など求めないのだろう。


「──ふざけるな」


 立ち上がる。身体には十分すぎるほどの魔力。


「そんなこと、お前に言われずとも」


 右手を掲げる。目の前が一瞬滲んで、瞬きの後、視界は急激にクリアに。


「わかってたに、決まってるだろうが」


 本当はずっと、わかっていたんだ。

 あの子が生き返ることを望まないことくらい、わかってたに決まってる。未練はあるだろう。後悔はあるだろう。殺された恨みだってあるはずだ。それでもあの子はそれを望まない。本当は知っていた。わかっていた。


「はは、面倒くさがりだからな」


 そう。誰かの日常を壊すからじゃない。この世界を滅ぼしたくないからでもない。あの子は間違いなく、こう言うだろう。


 ──生き返ってまた毎日人間の生活をするとか、なんか、面倒じゃない?


「……ああ。お姉ちゃんもそう思うよ。それでもさ」


 望んでほしかった。

 所詮は私の記憶から導き出した答えでしかない。

 生き返りたいって、嘘でもいいから。

 でも変わらない。頭の中のあの子が紡ぐ言葉は、私の願い通りにその姿を変えてはくれない。

 生き返りたいって、他の誰かを踏み躙ってでも。

 望んでほしかった。

 けれど、その願いごと。


「────!」


 打ち砕いた。降り注ぐ流星群も空気を駆け下りる青い稲妻も、自らが放った空色の矢をもって。

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