月光に手を伸ばしてー4
「よいしょ、っと」
温度のない指が私の目元に触れる。そっと動かされて、こぼれかけていた涙が取り払われた。起き上がった少女はやっぱり笑みを浮かべたまま。それはなんだか、仕方のない姉を見つめるみたいな顔だった。
「……お前は、もしも自分が死ぬようなことがあったとして、生き返りたいと思うか」
そんな質問をしたのはきっと、まだ夢にしがみついていたかったからなんだろう。あの子ともう一度、なんて夢に。
「馬鹿なことを訊いてるのはわかってるよ。ほら、お前、死にそうにないし。けど、それでも、答えてほしい」
その問いかけの答えにあの子を見たかった。あの子の答えを知りたかった。
その求めに、彼女は迷わず口を開く。
「望みませんよ、そんなこと」
思わない、ではなく、望まない。その言い方が気になった。でも訊ねるより先に月は言葉を続ける。
「だって私は所詮、道具でしかありませんから。代わりなんて創ろうと思えば創れる。そういう存在なんですよ」
「そう、そういうことを訊いてるんじゃない!」
だってそれはお前の言葉じゃない。確かに口にした、望まないと。それは生き返りたいと思うかどうかの答えじゃないはずだ。お前自身の言葉じゃないだろう──。
月は困ったように頬を掻いて、私からわずかに視線を逸らす。長いまつ毛が何度か上下して、桃色の唇が小さく息を吸い込んだ。
「正直に言えば、生き返りたいかどうかなんて興味がないんです。どうだっていいんですよ。自分が生きていようが死のうが、人間らしさを求められていようが道具として生きることを望まれようが、全部」
白い瞼に琥珀の瞳が隠される。次に現れたそれはにっと細められていて、その笑みは初めて出会った日のようで。
「……それでも、聞きたいんだよ。お前が、生き返りたいと思うのかどうか」
「……そうですねぇ。もしも私が生き返りたいと願ったとして」
そこで一度言葉を止めて、月はまた瞼を閉じてしまう。浮かべられた穏やかな表情は人間とは違うもの。作りもののように整っていて、芸術品のように美しくて、そうして。
「でも、それを願うことで誰かが損をしてしまうのなら、生き返りたくなんてないです。誰かの日常を奪ってまで自分の日常を取り戻したい。……そんな執着は、少なくとも私にはありませんから」
その言葉には神聖さすら感じられた。
人間であってくれと願った。でも彼女はそれを拒絶する。言葉は語る。自分は人間ではないのだと、何度も。自分はカミサマなのだと、無慈悲に。自分は道具なのだと、言い聞かせるように。
「だけど時雨ちゃん、私の答えを聞いても仕方がないでしょう」
「……なんでだよ」
「だって私は初じゃないです。初の答えが知りたいなら、初に訊かなくちゃ」
どうやって。もう答えてくれる相手は居ないのに。
そんな私の考えを察したように、月はわずかに目を伏せる。
「初は確かにもう居ません。でも、時雨ちゃんの記憶の中には残ってるんじゃないですか。初の表情や声や、喋り方や、考え方なんかが。だから、わかるはずです。初ならなんて言うか。彼女がなにを求めるのか。それは所詮、時雨ちゃんの考える初の答えでしかありません。でも、それでも私の言葉なんかよりずっと意味のあるもののはずですよ。……私には、わかりませんから」
琥珀の瞳が揺らいだ。そうして。
「私は初じゃありませんし、何より人間じゃありませんから」
笑う。月は笑顔を浮かべる。どこからどう見ても人間にしか思えない笑みを。だって道具だと、人間じゃないのだと受け入れているのなら、そんな顔をするはずがない。そんな悲しそうに笑うわけがない。ないのに。
「ええ、よく理解しているようでなによりです」
カタリと、音がした。
「その通り、あなたは所詮破壊装置でしかない。その器に縛られている限りは、ですけれど」
薄茶の髪の毛がぶわりと舞う。瞳の奥を隠す氷は今日も分厚く。冬の海の底は誰にもわからず。
「ですから、わたくしが」
誰よりも細く頼りない腕が伸ばされる。その手首に、何か、ミサンガのようなものが付けられているのが目に入った。
「っ、月、逃げ」
ろ、と。その言葉は間に合わず。私が言い切るより先にその腕が私を放り投げていた。
「な──っ!」
あの細身の何処にそんな力が。切り替わる視界。星の見えぬ空。硬い地面。そうして月へと手を伸ばす老女。
「ババア、お前──!」
止める言葉は届かない。いや、この老女に声が届いたと思えたことがこれまで一度でもあっただろうか。
「わたくしが、あなたを人に戻してあげましょう」
「ふざ、ぐ、う」
「月!」
本当に、何処にそんな力があるのか。ミサンガの付けられた左手が月の首をキツく握りしめていた。ぎちぎちと力の込められたその手は今にも月の首をへし折ってしまいそうで──そんなこと、許せるはずもないだろうが。
「ババア!」
腕を構える。狙いは一人。撃つ。撃てる。だが込めた魔力を射出する前に稲妻が落ちた。
「っ、ぶな。おい、可愛い孫に何しやがる!」
だが祖母は私には目を向けず。そうして稲妻を落とされたのは私だけではなかった。
「クソ、月!」
彼女はブロック塀へとその身体を叩きつけられていた。全身を覆うのは空から落ち続ける青い光。苦しみに歪んだ瞳がそれでも祖母を睨みつけていた。
「な、ん、なんですか、こ、のっ、ただの、偽製魔術師の、くせ、にぃ」
じたばたと足を動かしているがそれ以上の抵抗はできないらしい。大鎌を取り出すこともできていないあたり魔力阻害の術式でもかけているのか。いや、そもそも何故祖母は月に触れられる。私が彼女に触れられる理由もわからないが、祖母が触れられる理由だって──。
「っ、月、そのミサンガを!」
それさえ千切れば何かが変わるはず。だがそれを千切る隙が何処にも無い。
祖母の右手が持ち上げられた。
「──おい」
その手に握られているのは白い凶器。
「めろ」
青い稲妻が空気を走る。近づかせないと語っている。
「やめろ、ババア──!」
走った。膝を撃たれ、肩を撃たれ、伸ばした手すらも撃たれて、それでも月の元へと。今度こそ間に合わせるために。もうこれ以上、何も奪わせないために。
だけど。
「────あ」
その胸に、ナイフが沈み込んでいた。




