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月光に手を伸ばしてー1

「しーぐーれーちゃん、朝ですよー」


 明るい声に重なるのはシャッ、という小気味良い音。身体の重さがなんだか懐かしい。瞼は開きかけて、閉じて、また開きかけて。


「ほら、起きてください」


 私を覗き込む琥珀の瞳と、目が合った。


「朝ごはん、もうできてるんですから。あっ、今朝はちょっと薄味に仕上げてありますので」

「……ああ」

「ほらほら、起きて起きて。早くしないと部活、遅れちゃいますよ。それにしても祝日も関係なくお仕事とか、やっぱり学校の先生ってブラックじゃないですか?」

「……ああ」


 返せる言葉は同じものばかり。それ以外の音を忘れてしまったかのように、口からは同じ相槌ばかりがこぼされる。夢から覚めきらぬ心地のまま、それでも起き上がった。覚めたくないのに。現実になんて戻りたくないのに。……かといって、夢が心地よかったわけでもなかった。

 適当に身支度を整えて居間へと向かう。ソファにはウイの姿があった。テレビを見ていたらしい彼女は、出てきた私に気がつくとこちらに顔を向けてくれた。


「おはよう」

「……ああ」


 ろくな返事をしなかったからだろう。ウイはあからさまに顔をしかめて大きなため息を吐き出す。


「体調でも悪いわけ? ま、寝不足が大きいんだろうけれど。……昨日、遅くまで何処に行ってたのよ」


 気がつかれていたのか。いや、月には出かけると告げていたから、彼女から聞いたのかもしれない。


「……散歩だよ。外の空気を吸いたかったんだ」


 言いながら、椅子に座る。テーブルの上にはすでに朝食が並べられていた。ご飯は少なめ。味噌汁は豆腐とわかめのシンプルなもの。あとはもやしの和物と鶏ハム。


「これなら、少しは食べられるんじゃないかと思って」


 よいしょと声を出しながら、月は正面の席に腰を下ろしていた。


「寝不足だとか体調不良だとか、起きてくるまでわからないだろ」

「夜に出歩いた次の日の時雨ちゃん、あんまり食欲がなさそうでしたし。だから今日もそうかな、って」


 いただきます、と手を合わせて月は箸を手に取る。ぼんやりとその様子を眺めていれば、月はまた口を開いた。


「まあ、最初はそれが時雨ちゃんのデフォなのかなーって思ってたんですけど、ウイが来てからは夜に外に出ることがなくなったじゃないですか。そしたら時雨ちゃん、ご飯の量が増えたんです。だから、ああ、寝不足の時は朝ごはんあんまり入らないんだなーって」


 心臓が不自然な音を立てる。がりがりと脳を引っかかれるような感覚に、知らず、前髪を握りしめていた。

 ──ああ、私は何をしていたんだ。

 内側から胸を突き刺すのはあの子への罪悪感。あの子とは違う存在をあの子だと思い込んで、勝手に日常を取り戻した気になって、そうして、犯人探しまで放棄して──。

 そっと、ソファの方へと目を向ける。ウイは朝のニュース番組を見ているようだった。その姿はやっぱりあの子そのもの。だけどこちらに向けられた瞳と声はあの子のものじゃなかった。


「なにか、言いたいことでも?」

「あ、いや」


 この子は、あの子じゃない。それでも唇は勝手に言葉を紡ぐ。その姿があの子と同じだから。その記憶があの子のものだから。きっと、望む答えを与えてくれると思って。


「その、お前は、自分を殺した犯人を、見つけたいと思うか」


 問いかけは震えていた。

 答えを待つ。あの子の言葉を。

 だけど。


「はあ?」


 鼓膜に叩きつけられたのは乱暴な声音。

 ウイは、あの子ならば絶対にしないような顔をして私を見ていた。


「殺されたの、私じゃないんだけど」

「……そう、だったな。すまない、ウイ」

「わかったならよろしい。それより、そんな馬鹿な質問をする暇があるのなら早くご飯を食べたらどうかしら。遅刻するわよ」


 ああと頷いてようやく箸に手を伸ばした。目の前に座っている月へと目を向ければ、彼女は満足そうに自分が作った食事を食べ進めている。私とウイの会話には自分は関係ないとでも言いたげに。少しも気にする様子を見せずに。

 訊くべき、なんだろうか。

 目の前のこの子があの子だというのなら、この子にこそ訊ねるべきなんだろう。だけど私の唇は言葉を紡がない。

 怖かった。答えを聞くのが。これ以上目の前の彼女にあの子を重ねてしまうことが。

 だって、そうしたら、私はきっと。

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