表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/47

見知った夜闇ー4

 アパートへの帰り道、身体が軽く感じられたのは随分と久しぶりのことだった。繋ぐ手は冷たいまま。いつまで経っても温かくはならない。


「こうやって帰るの、なんか久しぶりだな」

「う、だってもう中二だよ、私。手を繋いで歩くとか子供じゃないんだからさ」

「まだまだ子供だろ」


 握りしめる。その手を。一度手を取ってしまった以上離せるはずもなかった。離したいだなんて思えなかった。

 空いてしまったものを埋めるように彼女と話し続けて、あっという間に家へとたどり着く。玄関を開けようとして、そこでようやく気がついた。


「あ、しまった」


 初に月の話はしていない。月にも初のことを、どう説明するべきか。


「……まあ、なんとかなるか」


 月とて人外の存在なのだ。そのまま説明しても問題はないだろう。ドアノブを握る。冬の夜の寒さのせいだろう、それはよく冷えた氷のようだった。


「ただい」


 ま、と。開けた扉の向こう。


「──え?」


 瞳が在った。明るい部屋の中でも強く輝く琥珀の瞳。そこに人の感情はなく。まるで満月か太陽か。宝石にも例えられぬ輝きが、そこには在った。


「つ、き?」


 動けない。動けるはずもない。首の真横には冷たい気配。動かせない。瞳も首も、指先さえも。それでも彼女の持つそれが何であるかを知ってしまう。


「────」


 銀色の大鎌。山吹色のリボンが巻かれたそれが、私の首にかけられている。心臓の音が煩い。息ができているなんて少しも思えない。

 すっと、目が細められる。満月は私を、いや、私ではなくて。


「時雨ちゃん」


 私の少し後ろを見ていた。


「それ、なんですか」

「な、に、って」


 敵意。今この場を支配する彼女の感情は敵意に他ならない。その空気がわずかに緩められる。恐らくは私の答えを聞くためだけに。


「なに、って」


 温度のない手が私の手を握り返す。振り返れない。その顔を見られない。見られなくとも、とっくに答えは決まっていた。


「……初。神宮初。私の、はとこだ」

「……神宮さん、ですか。亡くなったはずでは?」

「っ、それは、そう、なんだが。その、ばあさんが」


 生き返らせた。その言葉を彼女が信じると、どうしてか思えなくなってしまう。それでも事実は変わらない。神宮初は神宮梅花の手によって生き返った。その事実しか私は知らない……他には何も知らないんだ。


「ばあさんが、生き返らせたんだよ。だから、今日からまた一緒に暮らす」


 琥珀の瞳はまだ強く、満月よりもずっと強く輝いている。けれど数度の瞬きの後、その目はいつもの彼女のものへと戻っていた。空気はいまだ緊張感を孕んだまま。それでもゆっくりと、大鎌が下ろされる。銀の凶器はするりと空気に溶けて消え去ってしまった。


「……そうでしたか。では、同居人として自己紹介をしなくてはなりませんね」


 こほん、と咳払いが一つ。桃色の唇に笑みが浮かべられる。整いすぎたその笑顔に、親しみは少しも感じられなかった。


「初めまして、神童月と申します。先日から訳あってこの家でお世話になっているんです」

「あ、ご丁寧に、どうも。ええと、ウイです。その、よろしくお願いします」


 頭を下げた初に、いえいえと月もまた頭を下げる。やっぱり空気は少しも緩まない。顔を上げた月はまた、にこりと整った笑みを浮かべて居間へと戻っていく。こちらを振り返ることもせずに。


「……ええと、すまなかった、初。驚かせたよな。いきなり、あんな」

「え、あ、ううん、大丈夫だよ。何か理由があったんだろうし。それより」


 ちら、と。焦茶色の目が何か言いたげに部屋の中へと向けられる。月が掃除してくれたおかげでいくらか綺麗になった家だったが、廊下はまだ数日前と変わらぬ状態であった。


「もう。あとで掃除しとくから」

「う、本当にすまない。ああ、そうだ、和室には入るなよ。えーっと、お姉ちゃんの仕事の大事な書類とか、そこに押し込んだから」

「……なら、和室はちゃんと自分で整理してよね」


 初は一瞬だけ和室に目を向けたが、すぐに居間へと歩き出した。離れていく手が名残惜しくて、だけど追いかけられずに上着のポケットへと逃げる。

 ひりついた空気の残る家へと上がって、ちらと和室の方を確認する。扉はしっかりと閉められていた。空気の入る隙間もないくらいに。


「初」


 呼びかけに、黒い靴下に包まれた足が止まる。なに、と。首を傾げた彼女は無愛想。記憶の中とは少し違う表情をしている気がしたけれど、現実はきっと、ずっとこうだったんだろう。


「あ、いや。初の部屋はそのままになってるって言っとこうと思って。何も触ってないから安心してくれ」

「……そう。ならいいけど」


 焦茶色のショートヘアが揺れる。前を歩く姿は何度も見たというのに、抱いた気持ちは懐かしさでも安堵でもなく寂しさ。まるで、そこに在ってほしいものが無いような。そんなはずないのに。身体以外は何も変わってはいないはずなのに。

 居間はどこか寒さを感じる空気で満たされていた。エアコンはきちんと稼働しているから、私自身の気持ちの問題なのだろう。月はソファに座ってテレビを見ている。かけられているドラマが興味深いのか、こちらに顔を向けようとはしない。


「ん、ちょっと私、お風呂入ってきてもいいかな。それともお姉ちゃん、先に入る?」

「いや、私は後でいいよ」


 そう、と頷いて、初は自室の扉に手をかける。ふと、彼女の右手が動かされた。持ち上げられた手が前髪に触れる。強い風が巻き起こったのはそれと同時だった。


「──は、え?」


 ぱちぱちと瞬きが繰り返される。何が起きたのか理解できずに。それは初も同じ。大きく見開かれた硝子玉の瞳が彼女を見つめ返していた。自身の右手首を強く掴んでいる、月を。


「──な」


 ぎち、と。音がして、月はぱっと初の手首から手を離す。桃色の唇から吐き出された息に滲むのは安堵の色。その意味がわからぬままで駆け出していた。もっと早く動かなきゃいけなかったのに。


「なにしてるんだ、月!」


 驚きから力が抜けたのだろう。へにゃりと床に崩れ落ちかけた初の身体を受け止める。そっと、小さく震える人形の指が青い髪留めをなぞった。


「外さないでください、それ」


 ひどく厳しい声だった。ここ数日、いや、出会ってから一度も聞いたことのない声。そもそもあの少女がこんな声を出すなんて思えないのに。


「その髪留め、絶対に外さないでください」


 思いたくないのに、その声のままで月は言葉を続けた。恐る恐る目を向ける。そこに居るのは月という名の少女のはずなのに、なんだか別の、知らない人みたいで。


「いいですね?」

「わ、わかった。外さないよ」


 初が頷いたのを確認して、月はそっと彼女に手を差し出す。おずおずとその手を取った初に、月はにこりと微笑みを返した。


「すみませんでした、急に」


 まるで真冬が急に春になったよう。それに戸惑っているのは私だけじゃない。だが月は何を気にする様子も見せず言葉を続ける。


「お風呂に入るんでしたよね。さ、どうぞ、ごゆっくり」


 ぱっと手を離して月はソファへと戻っていく。初は静かに頷いて、私から離れて自室へ。着替えを手に出てきた彼女は不安げな視線を月へと向ける。顔を向けた月に、初は。


「外さなきゃ、いいんだよね」

「ええ。絶対に、ですよ」


 明るさも何もない、真剣な声だった。その真剣さが伝わったからか、初はそれ以上何も訊かず、わかった、と頷いて風呂場へと消えていった。洗面所の扉が閉められる。月の顔からはまた、笑みが消え失せていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ