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見知った夜闇ー2

 ぴたりと閉じられた迎門の前で足を止める。黒い瓦と汚れのない白壁は憎らしいほど美しい。奥に見える屋敷は、ここを出て行った日と少しも変わっていない。あの日一度崩れ落ちたくせに、あの日と変わらぬ姿のままでそこに存在していた。


「やっぱり連れてくるべき、だったのかな」


 いや、置いてきて正解のはずだ。だってもしも、祖母にもあの少女が視えるのだとしたら──それを恐れる理由はわからない。けれどどうしてか、祖母に月を会わせたくはなかった。カミサマを名乗る存在なんて会わせたくはなかったんだ。たとえあの子と月が無関係だったとしても。

 表札もない玄関。呼び鈴が夜の山に小さく響く。人影は音もなく引き戸の向こうに。だが扉は開かれぬまま。自分で開けろ、と。感じられた無言の圧力に、仕方なしに戸を開いた。


「葬儀以来ですね、時雨」


 薄水色の瞳が私を見下ろしていた。氷に覆われた夜の海のような目が、じっと。


「ふん、あの時はお前、呼んでもないのに勝手に来たんだろうが。それで、贈り物ってやつは何処だよ。こんな日に呼び出して押し付けるんだ、さぞ立派な物なんだろうな」

「……相変わらず口の悪い。上がりなさい、奥の部屋です」


 枯れ木を思わせる身体が、暗い屋敷の中へと消えていく。わざと大きくため息を吐き出してやったけれど祖母は少しも振り向かない。仕方なし、中へと上がる。この家に帰るのは何年ぶりだろうか。けれど残念なことに、私の胸には温かな感情など少しも湧かず。

 明かりのない廊下。先を行く祖母は足音一つ立てない。このまま無言が続くんだろう。話すこともないのだから。そう思っていたのに、珍しく、本当に珍しく、祖母の口から余計な言葉が紡がれた。


「教員の仕事を辞めるつもりはないのですか」

「あ? なんだよいきなり」

「あの子が死んだ今、もう続ける理由もないでしょう。普通の暮らしを真似る必要など、もう」


 冷ややかな声音の祖母は前を向いたまま。腰まで伸びた白髪混じりの薄茶の髪の毛のせいだろう。それに隠されているせいに決まっている。背中に滲むはずの感情が読み取れないのも。彼女が何を考えているのか、こんなに近くにいても何一つわからないのだって。


「勝手に決めるな。忘れたのか、ばあさん。私は普通の人間として生きることを選んだんだ。真似る? 馬鹿なことを。私は、私たちはずっと普通に生きてきた。誰かの真似じゃなくて、私たちの意思で」

「それを続ける理由がもう無いと言っているのです。……この家に戻ればいいではないですか。どうせあの学舎で過ごし続けても、あの子は戻らない」

「っ、この家に帰ってきたって取り戻せるわけじゃないだろうが!」


 響く声に、それでも祖母は振り向かない。カーテンのような髪の毛を揺らして歩き続けるだけ。なんで、って。思ってしまう自分が嫌いだった。立ち止まって振り返って歩み寄ってくれるなんて、そんな期待なんかずっと前に捨てたのに。


「……今更、偽製魔術師になんかなるかよ」


 人造の魔力器官を得て魔術を極める。そんな生き方、生まれてから一度も魅力を感じなかった。そんな生き方をしてきた奴らを、尊敬したことなんて一度もなかった。


「あなたは既に魔力器官を得て、かつ魔術も扱える。何よりかつては当主としての教育も受けた。そのあなたがこの家に戻らぬ理由が何処にあるのです」

「はっ、魔術に興味がないだけで十分だろうが。それに」


 確かに私は魔術を扱うために魔力器官を得た。それが無ければ魔術は使えなかったから。魔術が使えなければ彼女を守れないと思ったから。だけど。


「……あの子は死んだ。守れなかった。もう魔術を使う理由も、力を求める理由も、私にはない」


 そのくせ日々の鍛錬はやめていないのだから矛盾している。だがどうせこのババアはそんなこと知らない。知らないくせに、いや、知らないからこそそんなことが言えたんだろう。


「あなたであれば、死者蘇生や時間旅行にも手が届くでしょうに」


 それは魔法。それは奇跡。魔術を極めることを生き甲斐とする偽製魔術師にとって、喉から手が出るほど欲しい本物。きっとただの人間だって求めるだろう。その夢を。それに手が届くのならば。だけど頷けなかった。何も言えなかった。拒むことも、受け入れることも、そのどちらの意思も私は示すことができなかった。

 白い足袋に包まれた足が、ようやくその歩みを止める。上げた視界、自分が何処に連れてこられたのかを認識してしまう。もうそれだけで、息が止まりそうだった。


「おい、ばあさん。なんで、ここに」


 趣味が悪い。趣味が悪いとしか言えない。だってここは。


「なんで、あの子の部屋に」


 ここはあの子がかつて過ごしていた部屋。あの子が一人、ずっと囚われていた部屋だった。

 ぴたりと閉じられた障子を針金のような指が指し示す。伸びた薄茶の前髪が顔に落ちた。その隙間から見える瞳に宿る感情が、私にはわからない。これまでただの一度も読み取れず。きっと、これからだって。


「この部屋に、あなたへの贈り物があります」


 その指を、いっそ折ってやりたかった。散々罵って、肉のないその頬を殴って、とっととこんな屋敷から飛び出してしまいたかった。


「……そうかよ」


 それでも、手を伸ばす。ここで背を向ければ、それこそこのババアに負けたことになる気がして。だから開けた。障子を。勢いに任せて。そこに何が待っているかもわからずに。そのまま足を踏み込もうとして、でも、身体はそこで動きを止める。


「────」


 脳は考えることを放棄した。瞳は針で固定されてしまったかのよう。瞬き一つできない。この現実を現実として認識できない。だって、部屋の中には。


「──は?」


 彼女が居た。

 あの文化祭の日。そこで時間を止めてしまったはずの彼女が。


「なん、なん、で」


 焦茶色のショートヘア。同じだ。髪の毛と同じ色をした少し人形じみた瞳。同じだ。その目はわずかに吊り上がっていて、でも機嫌が悪いわけじゃない。同じだ。左目の下には小さな泣きぼくろ。同じだ。


「う、そだ」


 違うところを探したかった。違うものだと思いたかった。祖母が用意したのであろう、黒いシャツに赤いスカート、白いカーディガン。これは違う。でもそれ以外は──あとは、前髪に付けられた一つの青い髪留め。彼女と違うものはそういう、身につけているものだけだった。


「あ」


 目が合う。やめろと叫びたかった。何かを期待する心があった。わからない。何もわからない。わかりたくない。だと言うのに。


「お姉ちゃん」


 その声や呼び方までもが、あの子と同じだった。姉ではない私を姉と呼ぶ、わずかに首を傾げて。それは、それは、それは。


「どういう、つもりだ」


 意識していなければ息が止まりそうだった。いや、いっそ止めてしまえた方がよかったのかもしれない。


「どういう、つもりなんだよ」

「お姉ちゃん?」


 かた、と。彼女の手が動く。指先。その不自然さにようやく気がついた。人形の手だ。見えている部分を必死になって観察する。人じゃない。これは、人形だ。


「──ババア、どういうつもりだ!」

「ちょ、ちょっと!」


 ふざけるなと叫んだつもりだった。だけど声は言葉にならず。それでも胸ぐらを掴んだ。睨みつけてやった。なのに祖母はわずかに眉間に皺を寄せるだけ。ただ小さくため息を吐き出すだけだった。


「説明しろよ、ババア。なんのつもりだ。これはなんなんだ、何が起きた、一体どうなってんだよ!」


 その身体は枯れ木のように薄っぺらい。そのくせいくら揺さぶってもびくともしない。着物を握りしめる手に力がこもる。祖母は私の手を振り払うこともせず、ようやく紅の塗られた薄い唇を開いた。


「彼女はウイ。わたくしが初を模して作り出した、生きた人形です」

「……はっ、馬鹿なこと言うな。生きた人形? 人形が生きてるわけないだろうが。何か種があるんだろ。ボイスレコーダーか? それとも魔術で認識を弄ったか? なあ、そうなんだろ、そういうことなんだろ!」

「信じられぬのならそれでも構いません。その場合、あなたは初を取り戻したいとは思っていない、と受け取りますが」

「っ、それ、は、違う、だろ、話が」


 ため息で空気が揺らされる。胸ぐらを掴んでいた手は呆気なく振り払われた。黒紫の羽織が揺れる。香ったのは線香の匂い。誰を悼む心も持たないくせに、どうして。


「今はその子を連れて帰りなさい、時雨」


 冷ややかな声で下されたのは命令。そこに感情はなく。


「それが、あなたたちの幸せに繋がるのですから」


 それきり祖母は姿を消した。長い廊下の向こうへと。一方的で勝手な言葉だけを残して。

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