年度末
今日は月曜日!
今日の月曜真っ黒シリーズは、文字通り“真っ黒”です。
確かに持って降りた筈なのに……電車の中にカバンを忘れた。
あの中には会社の見積書と家庭裁判所からの離婚調停の呼び出し状が入っているのに!!
大慌てで駅長室へ駈け込み、さっきまで乗っていた電車へカバンを忘れた事を申告すると「何が入っていたんですか?」と訊ねられ、「会社の見積書と家庭裁判所からの離婚調停の呼び出し状」と答えたら「それは会社にバレたら非常にマズいですね」と返され青くなった。
ここで夢から覚めた。
3月末の今朝は花冷えとの予想通り、ガランとした部屋は深々と寒いのにオレは冷や汗をかいている。
結婚して6か月余り、玲奈が出て行って約1か月……荒れた部屋の中でオレは独りため息をつく。
昨日と一昨日は応援販売で“自主的に”休日出勤していた。
しかし自社製品の売れ行きは芳しくなく、打ち上げの席でオレは店長にビールを注ぎながら平身低頭だった。
「しかし……『滝化成さん』の新製品、あんまり動いてないしな」
「それは“売り子”が私だからですよ! それが証拠に『星印さん』が薦めてくれるとお客様に買っていただけたでしょう?!」
「そりゃ、宮部ちゃんだからなあ~」
「どうかもう少し見ていただけませんか?」
「だったら2週間な!それでも芳しくなかったら店頭とバックヤード分、全部引き上げろよ!」
「ハイ!」
社長へのお酌が済むと、オレは向うの席でワインを嗜んでいる『星印』の女性セールス宮部さんの元に馳せ参じた。
「お疲れ様です。色々ありがとうございました」と傍に有ったワインボトルに手を伸ばすと
「ああ、そんなのはいいから」とにべもなく断られた。
その言葉に俯いてしまったオレに
「でもタキカさんも大変よね。新婚でしょ!土日とも出勤じゃ奥さんも良い顔しないでしょ?」
オレはまだピカピカ光っているのに“ワケ有り”になってしまった結婚指輪に目を泳がせた。
「ええ、まあ……」
「だよねえ~自分だけ月、火休んでもね」
その言葉に……宮部さんが年度末に代休が取れる立場だと思い知る。
ウチの会社ではそんな事は有り得ない。
『タキカのセールスから声を掛けられても絶対に付き合うな!』と言うのがこの業界にいる“女子”の不文律になっているし、それは社外だけでは無く社内の女子達にも遵守されている。
だからオレは玲菜の事をマッチングアプリで見つけた。
色々と取り繕って結婚まで漕ぎ着けたが、玲菜の希望に沿って9月の連休に結婚休暇をくっ付けて休みを申請し、押し通した事が上司の逆鱗に触れ、披露宴の席で嫌味を言われ火種となった。
そしてハネムーンの間中それが燻り続けての新婚生活への突入だった。
だから、オレの化けの皮が剥がれるのにさほど時間は掛からなかった。
そして、今オレは“独りになってしまった”神奈川県内の自宅から、徒歩と電車で……千葉との県境にある都内の会社へと出勤している。
勿論、席が空いて座っても居眠りなんかしている暇は無い。
今朝、課長へ“最終数字”をどう報告するかを必死に考えている。
現在の達成率は83%……
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課長の前に立たされ、数字を報告した後に返された言葉は
「下田!お前、あと500万な!」
予想を遥かに超えた数字に目の前が真っ暗になる。
とにかく得意先行脚するしかない!!
「すぐ!得意先を回ります!!」と悲鳴に近い声を上げると
「逃げるな! 電話でやれ!!」と釘を刺される。
見ると、先輩や同僚達は始業前にも拘わらずスマホを握りしめて電話営業をしている。
オレはヨロヨロと席に着き、スマホを立ち上げる。
始業のチャイムが鳴り30分もすると営業事務の女の子が各セールスの前に印字された紙の束を置いて行く。
課長ががなり声を上げる。
「いいか!1月からの注文残をわざわざ紙で出してやったんだ!無駄にするなよ!」
その後から営業事務の女の子が叫ぶ。
「拾った注残は手書きのオーダー表で私に回してくれたら入力します! 〆まで時間がありませんから急いで下さい!」
電話営業を終えたセールス達は、まずそのオーダーを手書きして事務に回し、手元の紙の束を繰り始めている。出遅れたオレは得意先に電話を掛けながら手元の紙から必死になって未出荷を拾いオーダー表に書き写している。
「数が違うだろう!!」
怒鳴られて振り返ると課長が仁王立ちになっている。
「なぜ100個と書かない?!」
「だって注文伝票には1箱と……」
「箱と言えば外箱のことだろう?! 100個入りの!」
この商品を100個もまとめて仕入れる店なんてありはしない!
それなのにこんな事を言うのは『確信犯で間違えろ!』と言う事だ。
オレが逡巡して手を止めてしまうと課長がいきなり直立不動になった。
「下田よ!お前、タバコ吸うか?」
と聞いて来たのは部長だった。
「いえ、吸いません」と震える声で答える。
「なら、どこもかしこも禁煙でタバコが吸えないオレの気持は分かんねよな」
声を出せずにただ頭を下げるオレの傍ににじり寄った部長はいきなりオレの右脇にあるキャビネットをガンッ!と蹴飛ばした。
「オレはなあ!タバコを吸えなくてイライラしてんだ!! 何とかしろ!! 下田!!!」
水を打った様に静かになった事務所にキャビネットを蹴飛ばす音だけが響いた。
結局オレは水増しカラ売りを重ねて300万の数字を作った。
今年の年度末に新たに部長の靴跡が付いたキャビネットは3台。
凹んでいないキャビネットがあるのは部長席と課長席だけだ。
嵐が過ぎ去って一瞬机に蹲っていたオレは、ハッ!と気が付いて慌てて総務へ駈け込んだ。
明後日には得意先から怒りの電話が入り、押し込んだ商品を引き上げに行かねばならない。
しかし、1台しかない軽トラは既に何日も貸し出し予約で埋まっていた。
明日から新年度と言うのに……数字は大きなマイナスからのスタートで商品の引き上げすらままならない。
何もかも出遅れた!
しかも、来月は横浜家庭裁判所へ出頭しなければならない!
横浜なんてオレの営業エリアでは無いから仕事途中で行くわけにもいかず、どうあっても休まなければいけない!
いったいどういう言い訳で休めばいいのだろう??……
暗澹たる気持ちで目を上げると総務の掲示板に『4月1日は入社式の為、全体朝礼は4月3日に変更になります』と貼ってある。
こんなブラック企業へ入社して来るなんておめでたいヤツもいるもんだ!
でも、オレもその“おめでたい”一人で……ひょっとしたら今年入る新人に追い抜かれて……ソイツの部下になってしまうのかもしれない。
外は桜が咲いているのに……今、オレの目の前には絶望の二文字しか横たわってはいなかった。
終わり
「この大変な会社は、まだ日本にあるのです。たぶん。」
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