第8話
『十分間の休憩時間に入ります』
午前九時五十一分。
一時間目が終わった教室は、しばしデスゲームから解放された。
「叉銅ええええ!! うああああああ!!」
金呉は、叉銅の死体に縋りついていた。
金呉と叉銅の点数は、五点差。
叉銅が生き残るには情のように騙し打つしかなく、しかし叉銅は正々堂々とゲームを受け入れた。
自分の死が見えてなお、親友である金呉が生きてくれることを選んだ。
本能で叉銅の想いを察した金呉は、泣いて泣いて泣き続けた。
一方、情の死体は放置されたままだ。
愛美と恋々は情に軽蔑の視線を向けるだけで、弔うことはなかった。
「金呉!」
恋々は、泣きじゃくる恋人の元へ行き、その背中に抱き着いた。
恋々は、金呉と叉銅の仲の良さを知っている。
それ故、現時点で自分にできることなどないと理解し、自分が代わりに側にいるという想いを伝えるために抱き着いた。
対し、愛美は手に持ったハサミを見つめ、決意を固めていた。
(情は、あたしを見捨てやがった。死んで当然だ。……でも、情は正しかった。誰かを、信用なんて、しちゃ駄目だったんだ!)
誰も信じないという決意を。
「あは……あははははは!!」
愛美は、高ぶる感情を発散させるように、ただ叫んだ。
教室中の視線が愛美へと刺さる。
愛美の変化を感じた恋々は、金呉から離れ、心配から愛美の元へと駆け寄った。
「愛美!」
「来んな!」
が、愛美は手に持っていたハサミを恋々に突きつけて、恋々の動きを止めた。
愛美の凶行に、恋々は怯えた表情で愛美を見つめた。
「なによその表情? 今度は、あんたがあたしを騙そうってわけ?」
「え、違」
「騙されねえよお! もう、あたしは誰にも騙されない! 生きてやる! どんな方法を使ってでも!」
ディスプレイには、教室内の生徒全員の点数が流れていた。
現時点で女子生徒の一番は、恋々。
そして、二番が愛美。
ずたずたになった髪型は、愛美の順位の点数を七十点台にまで落としていた。
しかし、それでも二番。
愛美は、依然として死の圏内だ。
「騙したりなんかしないよ!」
「嘘つけ! 情も、同じことを言った! あたしを油断させるためにな!」
「わ、私は」
「もう誰も信用なんかしねえ! ここにいる全員殺してでも、あたしは生き延びてやるからな!!」
恋々は愛美の表情から、自分では愛美を説得することができないと判断した。
そもそも、普段の説得役は情だ。
情で駄目だと、叉銅がさりげなく仲介に入っていた。
だが、既にどちらも生きていない。
恋々は、僅かな希望をかけて金呉の方を向く。
だが、金呉は叉銅の死体にしがみ付いたまま動かない。
その背中からは、まるで廃人のように生気を感じなかった。
「あ……うう……」
恋々は現状をどうすることもできない無力感に落ち込み、ただその場に立ち尽くし、ただ涙を流した。
愛美に言葉も届かず、過去の信頼関係も届かないことを悲しんだ。
「どうせそれも嘘泣きだ! あたしを騙すための嘘だ!!」
教室の一角で起きる、いずれ死ぬ一軍同士の争い。
生徒たちは気まずそうに現状を見守る。
そんな緊張を動かすのは、いつだって正義感だ。
「おい。そこまでにしてやれ」
力也が恋々を庇う様に、恋々と愛美の間に入る。
(本来は、あいつの役目なんだろうが、いい加減見てられねえ)
力也が一瞬後方に視線をやると、うずくまる金呉がいた。
彼女を助けるべき彼氏があのざまであれば、第三者が動くしかないという判断だ。
愛美の暴力から助けられた恋々を見て、情に助けられなかった愛美は、恋々への不快感を増長させる。
助けた力也への恨みも増長させる。
「なんだよ! お前もあたしを騙す気なのか! 恋々と結託して! 糞っ! 友達だと思ってたのに!!」
「騙す気なんてない。俺は今でも、お前を友達だと思っているし、お前が助かる方法を考えてい」
「嘘だ! 嘘つきばかりだ!」
愛美の身長は、百六十五センチメートル。
恋々の身長は、百五十センチメートル。
小柄な恋々に対して、愛美は恐怖を抱くことなどなかった。
学力であればいざ知れず、力づくで抑え込まれるなど想像もできなかった。
しかし、現在愛美の前にいる力也の身長は百八十センチメートル。
疑心暗鬼に陥っている愛美にとって、威圧感と恐怖を感じるには、十分な身長差だった。
話を切り上げて去りたい気持ちもわずかにあったが、恋々に対して振り上げた拳の下ろしどころを見失っており、力也の目の前から去る選択肢を失い、叫び続けた。
「近づくな!」
「近づいてなんかない。まずは、落ち着いてくれ」
「あたしを殺す気なんだろ! あたしを!!」
愛美は、近づく力也の幻影を見て、手に持ったハサミを振り回し始めた。
そして一歩、踏み出した。
「おいっ!」
力也は咄嗟に、恋々の肩を押して、逃げるように促した。
恋々は力也の意図を察し、現時点で最も信用できる人間の元へ、金呉の元へと走った。
抜け殻になっているとはいえ、恋々が一人でいるよりは安全圏だ。
力也は恋々を、そして他の生徒を庇う様に、両手を広げた。
決して、自身の手を愛美に近づけることはしない。
愛美に恐怖を与えないため、愛美の動きを無理やり止めることもないという意思表示だ。
非暴力を盾にして、力也は説得を繰り返した。
「愛美。俺たちは、お前の敵じゃない」
「嘘だあああああああああ!!」
絶望が、愛美に汗をにじませる。
汗が、愛美の手からハサミを奪い取る。
「…………あ」
愛美の手から離れたハサミは、矢のように飛んで、力也の左目に突き刺さった。
「ぐうっ!?」
力也は左目を押さえ、その場にうずくまった。
愛美自身、ハサミを振り回したのは他人を近づけさせない意図であり、危害を加えるつもりなどはなかった。
自分の引き起こした結果を自覚した瞬間、愛美は真っ青な顔で力也を見た。
「あ、違……あたし……そんなつもりじゃ……」
『暴力行為を確認しました』
目にハサミの刺さった力也を見て、愛美は確かに反省をした。
頭に上っていた血の気も一気に消え、力也への謝罪の準備ができていた。
それはともかく、赤いレーザーが愛美を打ち抜いた。
システムに、感情などない。
愛美が、その場に倒れた。
「やあああああああああ!?」
愛美が床に倒れた音と同時に、教室に恋々の悲鳴が上がった。
愛美の死を見て、ではない。
金呉に襲われて、である。
恋々は床に仰向けで倒れ、その上に金呉が覆いかぶさっていた。
金呉の手は恋々のシャツを脱がすことを目的に動き、恋々のシャツのボタンは既に二つ引きちぎられていた。
シャツで隠されていた恋々の白い肌には、正気を失った金呉の視線が集中する。
「なあ、いいだろ! どうせ助からねえんだ! なら、最後にやらせてくれよ!」
「やだあ! 離して!!」
「ずっとやらせてくれなかったんだ! 最期くらいいいじゃねえか!!」
「やあああああ!!」
金呉がシャツを左右に引っ張ると、全てのボタンがはじけ飛んだ。
上半身が露になる恋々と、正気を失った瞳で恋々の体を求める金呉。
『暴力行為を確認しました』
赤いレーザーが金呉の額を打ち抜いたのは、はじけ飛んだボタンが床に落ちるのと同時だった。
金呉の死体は、床に倒れる恋々の上へ力なく倒れた。