第4話
「遅くなった! さっきから変な放送が流れているが、皆無事か?」
金呉と木理矢のいざこざが終息したしばらく後、職員室から担任の教師が戻ってきた。
教室の前に立つ教師を見た生徒たちは、期待を込めて自動ドアの前に集まる。
しかし、申し訳なさそうな教師の表情から、教師が説明をするより先に事情を理解した。
「すまん。何故だか先生たちのアカウントが全部使えなくなっていて、システムの操作ができなくなってるんだ」
「そ、そんな」
「おまけに、校舎の出入り口もロックがかかっていて外に出られないし、電話で外部へ連絡を取ろうにも何故か繋がらなかった。先生たちにも、なにがなんだか」
セキュリティ意識の高まった社会は、学校の校舎を要塞へと変えた。
安全のために、不審者が外部から入って来れない様に、そして内部に侵入した不審者が逃げ出すことができない様に、物理的な強度を上げた。
裏を返せば、今回のように何らかの事情で校舎内へ閉じ込められた場合、校舎の中から力づくで外へ出る方法がないということだ。
「先生たちのアカウントが全部使えなくなっているとなると、校長のアカウントでも奪われたんだろうな」
教師の言葉を聞いた木理矢は、パソコンを打ちながら呟いた。
意味深な言葉を吐いた木理矢に、教師と生徒たちの視線が向かう。
「管理者権限が奪われたとは、どういう意味だい?」
先程、叉銅と一緒に金呉を止めた男子生徒である力也は、真っ先に木理矢へ質問をした。
一瞬だけ金呉の方に視線を向けることで、木理矢との会話は俺がするというけん制をしたうえで。
「言葉通りだよ。全教師のアカウントがログインできなくなったってことは、教師のアカウントが無効されたか、アカウントそのものを削除されたかしかねえ。そんなことができるのは、教師のアカウントそのものを管理できる権限を持つアカウント、つまりは校長のアカウントくらいだと思っただけだ」
アカウントとは、何ができるかという権限を管理する仕組みだ。
学校システムにおいていえば、教師のアカウントは生徒のアカウントよりもできることが多く、教師のトップである校長のアカウントは教師のアカウントよりもできることが多い。
生徒のアカウントがあれば、時間割や教師からの連絡事項を見ることができる。
教師のアカウントがあれば、教師からの連絡事項の作成や生徒のアカウントの追加や削除ができる。
校長のアカウントがあれば、校舎のロックや教師のアカウントの追加や削除ができる。
木理矢は一生徒だ。
それぞれのアカウントが何をできるか具体的に把握などしていないが、一般論からの推測で、概ね正解をあてていた。
とはいえ、ITの一般論を知らない他の生徒たちは、力也は、もっとシンプルな言葉を使った予想に辿り着く。
「ハッカーに、何かされたって事かい?」
「そうだな。加えて言うなら、おそらく内部からのハッキングだろう」
「内部? 何故、そう言える?」
「学校のシステムは、校内ネットワーク……要は、学校内にあるパソコンからしかアクセスできない制限がある。外部の人間がやすやすと入れたりはしないだろうという推測だ」
パソコンの知識に疎い力也は、木理矢の言う内容の半分も理解できなかった。
故に確認のため、木理矢の声が聞こえていただろう教師に視線を向ける。
力也の視線を受けた教師は、肯定を示すために頷いた。
ただし、その表情には一つの疑念を含んでもいた。
「確かに、うちの学校のシステムは外部から使えない様になってはいる。だからと言って、内部から校長先生のアカウントが奪われるというのも考えにくい。アカウントのパスワードは先生たちが厳重に管理しているし……」
アカウントを操作するためには、アカウントへのログインが必要だ。
そして、アカウントへのログインへは、アカウント名に加えてパスワードが必要だ。
当然、校長のアカウントを使用するには、校長だけが知っているパスワードを知る必要がある。
担任の教師は、他社のパスワードを知ることを現実的でないと考えた。
同時に、一つの仮説立った。
「もしかして、校長先生が今回のことを企てたとでも言いたいのか?」
校長のアカウントしかできないことを実行するもっとも簡単な方法は、校長自身が手を動かすことだ。
教師は、信じられないといった表情を浮かべ、疑問を口にする。
「違います」
が、即座に木理矢によって否定された。
「なら、誰が? 先生たちの中に、校長先生のアカウントを奪った犯人がいるとでも言うのか?」
「いえ、俺は生徒を疑っています」
「先生でもなく、生徒の誰かが犯人だって? 小暮、それは無理だ。先生たちがシステムを使うときに見るサイトは、小暮たちが普段使ってるサイトとは別物なんだ。仮に校長先生のパスワードを手に入れたとしても」
「いえ、入れますよ」
木理矢はパソコンを操作する手を止める。
そして、パソコンの向きを変え、ディスプレイに映る映像を教師へとみせた。
「そ、それは、教師用のサイト!? どうやって?」
「教師用のサイトは、学内からアクセスする場合に制限なんてかかってないんですよ。URLさえわかれば、先生たちでなくともアクセスできるんですよ」
教師は、目の前の光景が信じられないとでも言いたげに、口を開けたまま固まった。
従来型と呼ばれるネットワークのセキュリティ対策は、敵は組織の外におり、組織の中には味方しかいないという方針で設計されている。
つまり、学校の外からのハッキングに対しては高い防御力を誇るが、学校の中からのハッキングに対しては性善説で動いている可能性がある。
現在、学校に導入されているシステムも従来型に属しており、それ故に教師用のサイトに生徒がアクセスできてしまうという脆弱性を残していた。
もっとも、アクセスできたところでパスワードが分からなければ悪用できないという、最後の壁は残っているが。
驚いたのは担任の教師だけでなく、隣で木理矢を見ていた力也も同様。
いや、正義感の強い力也は、教師よりもさらに先を見て動いた。
「小暮君、まさかとは思うが」
「言っておくが、俺はやっていない。もし俺が犯人なら、こんなに堂々と手の内を明かしたりしない」
「まあ、そうだね」
即ち、犯人の手口かもしれない方法を再現した木理矢に、疑いの目が向くことを避けることだ。
事実、木理矢が犯人かもしれないと考えて再び動こうとした金呉の足が、力也の発言によって床を一歩動いただけで止まっていた。
仕切り直しとなった空気の中、教師がパソコンを指差す。
「いや、だが、例えログイン画面に入れたとしても、校長先生のIDとパスワードが分からなければログインはできない」
「IDは、Administrator。パスワードはkotyo123456789」
「は?」
「昔、校長室に用事で入った時、校長のパソコンに付箋で貼られていました。その時のままなら、校長室に入ったことがある生徒なら、誰でもパスワードを突破できるようになりますよ」
でたらめと指摘するにはあまりにも堂々と発した木理矢の言葉に、担任の教師は呆れ、あの校長ならばやりかねないという思いとともにその場にへたり込んだ。
パスワードの設定に必要なのは、暗記だ。
若者であれば問題なくできるだろうが、高齢となって記憶力が落ちれば落ちるほど、暗記は困難な作業となる。
その対策として生み出されたのが、付箋にIDとパスワードを書き、パソコンの近くに貼っておくという裏技だ。
もちろん、セキュリティの観点からすれば愚策であり、たった一人の悪意によっていくらでも悪だくみに使えることは言うまでもない。
情報の授業で、危険な行為として教えることもある。
そんな愚行を学校のトップである校長がやっていたとなれば、教師の呆れようもやむを得ない。
校長室に入ったことのある生徒たちのが、パソコンに何か貼られているのを見たことがある、何か書かれていたのを見たことがあると囁き、木理矢の言葉の説得力を後押しする。
「もしもパスワードが分かるなら、入れるんじゃないのか?」
力也が駄目元で尋ね、木理矢が出来レースをするように答えた。
「すでにパスワードを入力してみたが、駄目だった。ま、俺が犯人でも、ログインして最初にするのはパスワード変更だ」
「だろうね」
木理矢の提示した手段は、一つの仮説でしかない。
しかし、実演も相まって、他の生徒たちも内部に犯人がいるのではないかという思いを固めていった。
もっとも、現状を打破する方法にならないのも理解していた。
犯人を見つけることができれば馬鹿げたゲームを終わらせることはできるかもしれないが、名乗るわけもない。
そもそも、生徒の中にいるのか教師の中にいるのかも確信がない。
システムへのアクセス履歴を確認できれば、誰のパソコンからアクセスされたかがわかり、芋づる式に犯人の名前もわかるだろうが、システムへのログインもできない。
八方塞がりだ。
だが、システムにログインさえできれば、校舎のロックを外せるだけでなく、犯人の見つけ方がわかったのも事実だ。
「わかった。先生たちは、なんとか外部に連絡をとれないか引き続き試してみる。パスワードも突破できないか試してみよう。幸い、何回間違えても打ち直せるからな」
教師が自虐的に笑う。
本来であれば、システムにはブルートフォース攻撃――パスワードの総当たりによる突破を防ぐ機構が備わってしかるべきである。
しかし、幸か不幸か学校のシステムにはそれがなく、無限の時間があればいつかは突破できる仕様だった。
「そうですか」
教師の言葉に、木理矢は適当に相槌を返した。
現状のあり様では、外部へ連絡を取ることも、パスワードの総当たりによって突破することも、どちらも不可能だと内心で思っていたからだ。
教師はやるべきことを自分の中で決め、再び教室を覗き込む。
「できれば、お前たちもパスワードを突破できないか試してみて欲しい。人手は多い方がいい。小暮、悪いがログイン画面へ行く方法を、みんなに教えてやってくれ」
「わかりました」
「それと、状況の管理を花野に任せたいんだが」
そこまで言って、教師は現状の違和感に気付いた。
こういった場面では、真っ先に教師の下へ来るはずの書絵がいないのだ。
書絵を探す教師の視線を誘導するように、自動ドアの前に集まった生徒たちの塊が割れる。
そして教師は、割れた空間の先、血の水溜りに倒れる書絵と銀河の姿を目にした。
「花野……! 永遠……!」
教師の頭の中に、ルッキズムデスゲームの開始を宣言する謎の放送が思い出される。
外部に連絡する方法に意識が持っていかれ、ただのいたずら放送だと頭の片隅に避けて置いた言葉が、想像以上に危険な言葉であったと今更に牙をむく。
「急いでこの扉を開ける! 待ってろ!」
教師は顔を青くして走り去っていった。
教師が去った後、木理矢の元にはログイン画面へのアクセス方法を聞きに着た生徒たちが群がった。