第10話
額と机のぶつかる音が、教室中の空気を震わせた。
誰もが固まり、強の突然の行動に目を丸くした。
「まだまだああああああ!!」
強は、何度も何度も額を机にぶつけた。
ルッキズムデスゲームにおいて、他者への暴力行為は禁止されている。
逆を言えば、自分への暴力行為――自傷行為は禁止されていない。
強の割れた額からは血がぞくぞくと流れ出て、強の目や鼻を赤く染めていく。
だが、強は窓ガラスに反射する自分を見て、流血程度では容姿が大きく変わっていない自分に落胆した。
運動部にとって、怪我による流血など日常茶飯事。
否、勲章にすらなりうる。
強は自分の顔をじっと見つめ、顔の真ん中にある美しい鼻が目についた。
強君の鼻は高くて羨ましいな、という女子生徒からの誉め言葉を思い出す。
「おおおおおお!!」
拳を握り、強は顔面を殴りつける。
強の鼻の骨が折れ、鼻がゴキリとひん曲がる。
鼻から流れ出た血が唇に触れると、強は血を舌で嘗めてふき取った。
チャラ男組とスポーツマン組の大きな違いを挙げるならば、容姿へのこだわりと、痛みへの覚悟だ。
チャラ男組にとって、容姿の良さはステータスであった。
日ごろからケアを欠かさず、容姿を良くすることばかり学んできた。
故に対極である、容姿を悪くする方法については髪を乱す程度しか思いつかなかった。
だが、スポーツマン組である強にとって、容姿とは生まれた時から側にあった何かでしかない。
努力で得たものではない。
強にとって最重要なのは、努力によって鍛え上げた肉体。
だからこそ、自身の顔を壊すことにためらいがなかった。
そして、スポーツマンとは常に痛みと限界と戦っている人間だ。
自分の顔を自分で壊すという痛みと恐怖も、スポーツによって作り上げてきた健全な精神によって乗り越えた。
「はあ……はあ……」
強の顔面は、お化け屋敷が似合うような、血だらけ青あざだらけになった。
折れた鼻に、膨れた肌。
強が口の中に溜まった血を吐くと、血と一緒に歯がひとかけ放り出され、床へと転がった。
正々堂々。
強は戦った。
二軍以下のほとんどが、決して真似できない方法で。
固まる男子生徒たちの中、動いたのは力也と剛だ。
「やるな、強。実に、強らしい戦い方だ。ああ、そうだな。俺たちには、この体さえあれば顔なんていらない」
「最高に、正々堂々とした勝負だ。強、お前最高だ!」
力也と剛もまた、強を見習って顔面を壁や机に打ち付けた。
自分で自分を傷つけて、容姿をどんどん悪くしていく。
スポーツマン組の行動に唖然とし、止まっていた二軍の男子生徒たちの時がようやく動き始める。
「お、お前たち、何をやってんだ!?」
「や、やめろー! やめてくれー!」
二軍の男子生徒たちの目から見て、強の容姿は二軍の男子生徒と同等の水準にまで落ちていた。
否、二軍の下位に匹敵するほど、崩れていた。
もちろん、AIによる採点が行われていない以上、確定ではない。
が、その目による採点結果がAIによる採点結果と一致していた場合、二時間目の終わりに死ぬのは二軍の男子生徒の誰かということになる。
強だけならば、まだいい。
力也と剛、生き残っている一軍男子全員が強と同じくらい点数を下げようとしている現状は、二軍男子たちにとって無視できるものではなかった。
「おい馬鹿、止めろ!」
「AI! これは暴力行為じゃないのか!?」
二軍の水泳部組の男子生徒、日々島海英がカメラに向かって叫ぶ。
しかし、機械音声はうんともすんとも返事をしない。
「ちくしょおっ!」
少なくとも二時間目から四時間目までの間で死ぬことはないと高をくくっていたところに、目の前の惨状である。
海英は、スポーツマン組がデスゲームで自分たちを犠牲にして生き残るつもりだと恐れ、必死に叫んだ。
「止めろー! 俺を殺すつもりか!?」
「そんなつもりはない! 俺たちは、俺たちなりに正々堂々と戦っているだけだ!」
だが、力也の答えは、悪意とは程遠い爽やかな声で行われた。
「ふざけんな! お前らの点数が下がれば、俺が死んじまうんだよお!」
「ならば海英君も俺たちと同じことをすればいい! いや、俺たち以上の方法で点数を下げればいい! 俺たちは正々堂々と戦って、負けたら潔く死ぬ覚悟を決めたんだ!」
「ふ、ふざけんな! ふざけんな! ふざけんなあああああ!!」
海英はスポーツマン組に怒鳴った後、近くの机に視線を落とした。
スポーツマン組の言う通り、この机に顔面をぶつけ続ければ、海英の容姿は悪くなり、死亡圏内から抜けられる可能性はある。
否、元々の容姿がスポーツマン組に劣る分だけ、スポーツマン組よりも死亡圏内から抜けられる可能性は高い。
「……っっっ!!」
海英は机に手を置き、後頭部を後方へと下げる。
「お、おい」
「うるせぇ!」
友人の制止も振り切って、海英は机に額を打ち付けた。
ゴツン。
小さな音が教室に響いて、すぐに消えた。
海英は痛がりながらも、隣に立つ友人へと振り向く。
「ど、どうだ? 額割れたか? 血とか出てるか?」
「え、いや。全然」
しかし、行動の結果は期待外れ、
海英の額は赤くさえなっておらず、数秒間だけ痛んで終わった。
「く、くそっ! もっと強くしなきゃダメなのか!」
傷一つできていないとわかった海英は、再び机に額をぶつける。
ゴツン。
ゴツン。
ゴツン。
何度も同じ場所が打ち付けられ、額の一か所がじんわりと赤くなっていく。
「どうだ!? 額がへこむくらいしてるだろ!」
「いや、ちょっと赤くはなってるけど」
「なんでだよ!!」
何度も打ち付けるが、流血することはない。
額がじんわりと赤くなるだけ。
海英自身もその理由に気づいていたが、受け入れることができなかった。
怪我をする覚悟ができない、臆病な自分の存在を。
「く……糞……!」
海英は額を打ち付けるのをやめ、忌々しそうにスポーツ組を睨みつける。
曲がった鼻。
腫れと痣だらけの顔。
奇妙な容姿のまま、スポーツマン組の三人は互いの健闘をたたえ合っていた。
まるで、一つの試合でも終えた後のように。
海英はぎりぎりと歯ぎしりをした後、友人に向かって叫んだ。
「おい! 俺の顔に傷をつけろ! 不細工にするんだ!」
自分で自分を傷つける勇気がなかった結果、海英は友人に傷つける勇気を押し付けた。
「む、無理だよ。だって、暴力になっちゃうよ」
だが、海英の命令は、デスゲームのルールによって阻まれる。
誰だって、自分が死ぬとわかっていながら、他人を傷つける手伝いなどできはしない。
行き場のない怒りと恨みを抱え、海英はその場で地団太を踏んだ。
「ど、どうなるんだ?」
「もしかして俺たちの誰かが……死んだりなんか……」
海英の周囲からも、弱気な声があがる。
二時間目が死地でなかったはずの、二軍の男子生徒たちの絶望が漂い始める。
「死んでたまるか……」
海英は迫りくる絶望から逃げるように、次の一手を考えだした。
自分で自分の容姿を悪くできなくなった人間が取れる手段は、もはや一つしかない。
即ち、他人を良くすることだ。
どこまでも他力本願。
海英は先ほどよりも強く歯ぎしりをしながら、スポーツマン組の元へと向かっていった。




