必殺のエボニアム・サンダー
ネビルブに案内を頼み、半日程の空の旅。県を跨ぐ程度の距離は飛んだろうか。森林地帯…と言うか地帯も何も、前後左右何処を見ても森というエリアまでやって来た。手付かずの森林は無秩序で、人の侵入を頑なに拒む。そんな中に一本だけ走る街道に沿って飛び続ける。もう何時間も眼下は同じ様な景色だ。
だがやがて、遥か前方に異質な一帯が見えて来た。一面濃緑色の大地のそこだけが色が無かった。白と黒のまだらの森、焼け焦げたかの様な黒く朽ち果てた一帯と、全てが石ばかりの一帯。
「ふむ、あそこがバジリスクの棲家で間違い有りませんでクエ。」
色の無い森の範囲はギリギリ街道に掛かっている。この街道が事実上通行不可能と言われている所以だろう。
俺はその範囲から距離を取った街道上に降り立つと、慎重に周囲の様子を伺いながら歩を進める。そしていよいよ色の無い森に踏み入ると、そこは不自然な程の静寂の中だった。生きた物の全く居ない空間、鳥の一羽、虫の一匹さえも飛んではいない。そんな中にまるで生きているかの様な木々の石像。葉の一枚一枚から、幹を伝う蔓草まで、実に細密な石像だ。よく見るとそこに棲む鳥や小動物、葉につく虫まで石で出来ている。そして…人。奥へ行く程人の像をよく見掛ける様になる。人と言っても魔族や鬼族が多い。そしてそのほとんどが俺の国の兵装である。いずれの石像も鬼気迫る表情で、見ているこっちの神経がおかしくなりそうだ。それが白い森の光景だった。
一方の黒い森、そこは全てが黒く朽ち果てた死の世界だ。こちらには原型を留めている物はほぼ無く、大量の木だった物が散乱する中に、幾つかの人だった物の残骸が混じる。骨さえ黒ずんで、やはり同じ兵装を残して崩れている。こちらはこちらで俺のメンタルをごりごり削って来る。
「これが石化の視線と毒の息の被害者達でクエ。石化された者は完全にその時間の進行を止めてしまいますグワ、死んでいる訳では無いそうです。一方で毒の息にやられた方は悲惨でクエ。全身が強烈な毒に侵されて焼けただれた様になって、たちまち細胞の一つ一つまで完全な死に至り、こうして朽ち果ててしまうでクエ。あ、黒い残骸には触らない方がいいでクエよ。」
これは見通しが甘かったかも知れない。出発した時のハイテンションは何処へやら、すっかり頭の冷えた俺は、現実的な不安に苛まれている。
全てが終わっている事を示す静けさの中、ジャコールはもう手遅れなんじゃ無いだろうかという思いが募る。それ程に絶望的で問答無用な死が此処には広がっている。
そもそも俺だったら本当にこんな怪物に勝てるのか? さっきまで有ったその自信の根拠はどこに有る? 魔法の心得の無い俺に、石化の攻撃をはね除ける事など出来るのか? 俺には毒なんか効かないとタカを括っていたが、本当か? 今回の毒はそんな生優しいものと訳が違うんじゃ無いのか? 今更ながらな不安が次から次へと浮かんで来て、進める歩みにやや躊躇が混じり、背中に嫌な汗が滲んで来る。
「あっ!」
突然ネビルブが声を上げる。ビクッとなっている俺を尻目にネビルブは少し先の方に飛んで行き、石像の一つ、その頭の上に止まる。
「ジャコール元大臣クエ。」
「……ぐうぅ…」
最悪の結果だ。いや、こと此処に至っては正直予想の範囲内、むしろ黒い方で無かっただけすぐ結果が分かる分ましかも知れない。他の石像に比べ幾分立派な兵装を纏った、多分割と若い男、想像していたよりガタイが良い。それが剣を構えて挑み掛かろうという姿で固まっている。表情がかなり悔しそうなので、石化は瞬間では無く表情を変える位の猶予が有ったのかも知れない、或いはジャコール自身が抵抗して遅らせたか。
正直今すぐ回れ右して帰りたい衝動に駆られるが、このまま放っては置けないという使命感でギリギリ持ち堪える。石像達の目が向いている先、その方向に恐らく奴は居る。
「お前はこのジャコールの所で待機していろ。」
ネビルブをそこに残し、俺は決然と先へ進む。暫く歩いて行くと、やがて黒い丘が見えて来た…、最初はそう思った。しかし、丘は突如頭をもたげた、奴だ! ちょっと見は爬虫類、だが頭や足のパーツ一つ一つが何やら鶏っぽい、そして何より丘と見まごう程デカい。ネビルブが怪獣と言ったのも頷ける。これがバジリスクか!
と、足元に違和感が有る。奴の周囲は大地そのものが黒く染まってしまっており、俺は今その外縁に足を踏み入れたのだ。足元が熱くなりジュウジュウと湯気が立つ、奴の発する毒が黒い大地一面に染み付いているのだ。こりゃやばい、奴の毒はレベチだ!
毒のせいで丸坊主の平原にジュウジュウ足音を立てて侵入者が立ち入れば当然気付かれる。バジリスクが身をもたげ、こちらに踏み出して来る。踏んだ地面が沸騰したかの様に泡立って湯気が上がる。猛烈な毒性なのだ。そして奴の目がこちらを向く、視線が来る! だがそこは警戒していた俺は、視線をモロに浴びない様に素早く走り回る。視線と言うから見られたらアウトなのかと思ったが、奴の目から魔力が"線"状に伸びて来るのが分かる。"目からビーム"の魔法版だ。これなら何とか避け続けられるか。
そして合間に剣で切り掛かる…と言えばカッコはいいが、剣など振るったことも無いので、棒切れを振り回しているのと余り変わらないだろう。さすがにクリーンヒットはしないが、奴の皮膚は硬くは無い様で、それなりに傷付ける事は出来ている。とは言え有効打には程遠く、普通に殴った方が効くんじゃ無いかとさえ思ったので、やってみた。
「あっちいいっ!! 」
何と、殴った手が毒のダメージを喰らって焼けただれた様になった! こりゃ素手は駄目だ。
有効な攻撃方法が思い浮かばず、ジリ貧か? 等と考え始めたところ、奴の方も鬱陶しいと感じて来たのか手を変えてきた。バフッ!…とばかりに口から黒煙を吐き出して来たのだ。これが毒の息って奴か! 一気にこのエリア全体に広がる黒煙をさすがに避け切る事が出来ず、煙に巻かれてしまう。すると今度は見る見る全身が焼けただれ始める。体中に正気を失いそうな激痛が走る! 俺は堪らず翼を展開して空へと逃れる。が、奴はそれを狙って視線を飛ばして来た! 空中では地上で走る時程小回りを効かせられず、俺はこれをまともに喰らってしまう。奴の魔力が体中にまとわり付き、俺の細胞、それを構成する分子の隙間にまで入り込み、更に変化して行くのが分かる。石化が始まったのだ! 俺はもう黒煙の範囲外に軟着陸するのがやっとだった。
俺の体組織が外部からの干渉を受け付け難い特性が有る様で、石化の進行は割と遅い。が、確実に進行しており、もう走り回る事は無理だろう。あとは嬲り殺されるのみか…と、諦めが俺の心を支配する。
何で俺、こんな化け物に挑んだんだろう? なぜ負ける可能性に思い至らなかったのだろう? 喧嘩になんか勝った事も無かった俺が、ここ暫く他人様の体で無双してたんで調子に乗っちまったのか? 自分が強くなったと錯覚しちまったのか? 強いのはこの体だ! それを全く使いこなせていない俺自身は、ただのヘタレ高校生じゃないか! どうしてこんなにはっちゃけた? ジャコールを救いたかった? ブランを喜ばせたかった? 国を豊かにしたかった? 正義の味方気取りでしゃしゃり出て来て、この体たらくか! 成長しないな俺。
次から次へと後悔が溢れ出て来る。しかしもう全てが手遅れ……なのか? てっきりすぐに追撃が来ると思っていたのだが…、何も無い。巨体で踏み潰される事も無いし、重ねて毒の息を吐かれる事も無い。
落ち着いて奴に目をやれば、その理由は分かった。何と、奴の口周りが自分の吐いた毒でただれて泡立っているのだ。なるほど、こっちが石化しきるのをただ待っていればいいのだから、あんな辛い思いをしてまで追撃する必要も無いって事か。納得だ。
そんな事を思っている間にも、俺の石化は確実に進んでいる。奴の魔力の要素が俺の体の分子に結合し、擬似的な無機質に変化させていくのが感じられる。うん…、感じられる……よな。何でそんなに詳しいところまで感じられる? て言うか、最初からおかしい。今まで魔法なんて認識すら出来なかった。何なら自身に掛けられても気付きすらしなかった体たらくだ。それが今回は奴の魔力の流れを肉眼で見ているかの様に感じ取る事が出来ている。奴の魔法が余りに強烈なせいだろうと最初は思っていた、でもどうやらそうじゃ無い。"見える"だけじゃ無く、"理解"出来るのだ。奴から発せられた魔力がどんな性質のもので、どんな効果をもたらして来ているのかがはっきりと感じ取れる。
俺には4本の角が有る、頭頂部に2本、耳の後ろに2本だ。その耳の後ろの角の根元辺りでそういった魔法の感知をしている様だ。目で見える、耳で聞こえる、角で感じ取れると言う風に。そして頭頂部の角の方の根元辺りでは、自分自身が内包する魔力を感じ、更にそれを発動させるべく制御する事が出来る様だ。魔法器官とでも言おうか、どちらの器官もここへ来て急に働き始めた様に感じる。
きっかけは分からない、しかしこれだけははっきり分かる、俺の中にはかなり潤沢な魔力が有って、俺はそれを活用する事が可能なのだ。現に今俺の石化がちっとも完了しないのも、俺自身の魔力が奴の視線の魔力と反発して、その働きを阻害しているからだ。
ひょっとして…、そう思い立った俺は、体内の自分の魔力を活性化する様操作してみた。果たしてバジリスクの魔力要素は体外に押し出され、中和され、散華していく。既に俺の体組織と結合し石と化していた魔力も、やや時間は掛かったが、無理矢理引き剥がされ、同じ様に消滅して行った。俺の魔力要素の方が、奴のそれより上位に有るらしい。
かくしてすっかり元通りの体となった俺は、少し自信も取り戻し、リベンジとばかり再び剣で切り掛かる。もうそれ程石化の視線を恐れる必要が無くなったので、最初から空を飛んでの攻撃に切り替える。実際石化の視線はもう俺の体に入り込んで来る事は無かった。そこで奴は鋭い嘴と長い尻尾で反撃して来る。体がデカい分威力も凄そうだが、視線を避ける苦労に比べたら鬼ごっこの気楽さだ。
もう一度だけ毒の息を吐かれたが、空中で羽ばたいている俺には届かず、自身が受けるダメージに見合わないと思ったか、3度目を吐かれる事は無かった。
とは言えこちらの攻撃も効果を上げているとは言えず、ふと気付けば手にした剣は黒く変色してボロボロ。
そこで俺は、今なら出来ると言う確信が有る攻撃魔法を使ってみる事にする。ぶっつけ本番にも程が有るが、このままでは消耗戦だ。より多く動いているこちらの方が不利になるだろう。
攻撃を避けながら頭頂部に意識を集中する、魔力を具体的な現象に変換して相手に放つイメージを組み立てて行く、より強烈な現象を思い描き、更に具現化する。4本の角が光り、頭頂部の角に魔力が集中して行き、俺の気合いと共にバジリスクに向かってほと走る! そっちが目からビームならこっちは角からビームだとばかりに発射された稲妻状の光線がバジリスクに直撃! 一瞬自身が石化したかの様に硬直したバジリスクは、そのままどおっ!! と倒れ伏す。直後に一旦巨体が更に膨れ上がったと思うや、全身からもうもうと水蒸気を吹き出し始め、辺り一面今度は白い霧に包まれる。俺の魔法を受けて、体内の水分を一気に全て蒸発させたのだ。そしてサウナの様に周囲を巻き込んで温度が上がって行き、遂には発火炎上! それが結末だった。
「まさか…一撃で…、魔法すげえな。肉弾戦のあの苦労は何だったんだ?」
初魔法の予想を遥かに超える効果に自分で引いている俺の元へ、ネビルブが飛んで来る。
「やりましたな将軍! 魔法無しではどうかと思ってたクエが、魔法、思い出されたんですな。」
その"魔法無しではどうかと思ってたクエが"って辺りを先に言わんかい! とは思うが、まあコイツらしい。
「それにしても余り見ない魔法でしたが、新技ですクワな?」
「ああ…、エボニアム・サンダーとでも呼ぼうか。」
「ださ。」
「ん、何か言ったか?」
「いやあ〜、カッコいいでクエなあ、エボニアム・サンダー、如何にも必殺技でクエ!」
…ちょっと傷付いたからなこのヤロー。それにしても魔法の発現は行使者のイメージで見た目も効果も変わるものの様だ。俺のイメージは"角からのビーム"だったからなあ。多分この世界の人が持つイメージとはかけ離れているんだろう。
「まあ何はともあれ思い出されて良かったでクエな。これなら石化した連中を元に戻す事も可能かも知れないクエ。ジャコール元大臣も。」
そうなのか⁈ 死んだ訳じゃ無いとは聞いたけど、魔法で戻してやれるのか。連れて帰れるんだな!
やや小走りに俺はジャコールの元にやって来ると、耳の後ろに神経を集中する。するとついさっき俺も取り憑かれたバジリスクの魔力要素がジャコールの体にも入り込んでいるのが分かる。既にジャコールの体組織と結合し、安定してしまっているので、見ただけでは気付かなかった。
試しにジャコールの石像に触れ、俺の魔力を流してみる。すると今まで安定していたバジリスクの魔力要素が追い立てられる様に活性化し、その結合を解いて行く。更に魔力を流すと徐々に顔色等が戻り、身動きし始める。
「ぐ……ぬ……むぅ…」
何だか苦しそうだ。どうやら俺の魔力を流されるのが結構な負担になる様だ。調子に乗ってバンバン流し過ぎると逆に死んじゃうかも。
俺は一旦魔力注入を止め、既に注入した分の魔力を操作して、バジリスクの魔力要素を追い出す様に活性化させた。ジャコールの鼓動や呼吸が再開し、荒い息をしながら脂汗を流し、固まっていたポーズを解いて手と膝を大地に付いた辺りで、残った俺の魔力はジャコールの体外に放出させ、散華させた。これで大体"加減"も分かった。
「…何故……貴方が……?」
未だ荒い息使いながら、真っ直ぐな目でこちらを見つめるジャコール。
「少し状況が変わってな、君を連れ戻しに来た。」
「状況が…、変わった?」
「詳しくはまた説明するが、とりあえず君の嫌疑は晴れた。グレムリー副将軍が死んだ。君に国政に復帰して欲しい。そんなところだろうか。」
混乱している様子のジャコールに要点のみ軽く説明するが、余計に混乱させてしまう。まあリアル浦島太郎だろうし、無理も無い。
「後これは伝えておこう。ババナン農園のブラン嬢だが…、貢ぎ物に選ばれた。」
「なっ!…」
「それを父親のチャーリーが身代わりになって、先日役目を終えた。」
「何と……」
「そしてババナン農園は、ブラン嬢が引き継ぐ事になった。」
「それは……」
俺の報告に対し素直に一喜一憂するジャコール。彼の性格が何と無く伺える。
「将軍が…、ババナン農園の件までご存知なのですか?」
俺がどの位まで事情を把握しているのかを探り探り、ジャコールが質問して来る。
「ブラン嬢には今回の俺の出立に際し、支援をいただいている。ババナンをたらふくご馳走して貰ったのだ。今日の勝利はババナン・パワーのお陰だぞ!」
俺は極力軽い感じに受け答える。軽口のつもりで…。しかしふと、今の自分の発言を反芻してみる。ババナン・パワー…?
そう言えばババナンが五臓六腑に染み渡るのくだりの時。栄養が行き渡って目覚めたと感じた臓器の一つが角の根元の器官だった、そこが則ち魔法器官だった訳だ。…て事は、ババナンを腹一杯食べたお陰で魔法が使える様になったって事だ。ババナン・パワーのお陰…って、マジなんじゃん。
て言うか、ひょっとして今の今まで魔法が使えなかったのって、単に空腹だったからってだけなのか? 知識が無いからとか、練習して無いからとかじゃ無く、ただの単なるガス欠だったのか⁈ だとしたら…、間抜け過ぎる!
すっかり気の抜けた俺は結構だらしない顔をしていたに違い無い。少し動ける様になったジャコールが訝しげにこちらを伺っている。
「あー…、まあいいや。他の石像も戻して回るとするか。」
「は、…将軍がご自身でですか?」
心底意外そうにしているジャコール。
「まあ、後から別の者を寄越すよりはその方が早いだろう。」
俺はそう答えると、早速手近な石像に魔力を流し始める、今度は加減して。
その間にジャコールがネビルブとヒソヒソ話をしている。
「将軍はどうされたんだ? 部下を救助に来られたり、ご自身の手で回復させて回ったり、そういう事をなさるイメージが全く無かったんだが…」
「面白いでクワ? 少し前に勇者パーティーと戦って、勝ちはしたもののご自身も結構な深傷を負ったのだそうで、少し記憶も失ってしまったクエ。それ以来というもの、日々の行動も主義主張も、以前とは随分変わってしまったんでクエ。今は国の内部をひっくり返してる最中で、お側にいて飽きないでクエよ。」
「確かに変わられたのは分かる。かつての寄る物全
てを射殺しそうなヒリヒリしたオーラを今は少しも感じない。」
等と小声で話をしている2人(?)だが、生憎俺の耳には丸聞こえだからな!
その間にも俺の作業は進み、効率も上がって来たし、復活した中にも石化回復が行える者がおり、最終的には数十人にも及ぶ被害者を、小一時間程で回復し終えた。
八割方が俺の国の兵士で、後はやむ無くこの街道を通った行商人等。もちろん毒の息でやられた者も居ただろうが、そちらはもうどうしようも無い。サービスで馬や積荷等も戻してやった。感謝されたが、昔の俺を知る兵士連中は、絶対何か裏が有ると訝しんでいた様だ。