町長邸の少女
街の中心に近付いて来た。テントでなく、ちゃんとした店構えの商店も並び、多層階の建物も散見される。が、やはり豊かには見えない。ちょっと路地を覗いて見れば、浮浪者やごろつきの類がたむろしている。
そんな路地の一つで、やはりと言うか、トラブルが発生しているのに遭遇する。ごろつきの一団に1人の女性が絡まれている。何でこんな環境下で女性が一人歩きしてるんだ? 一応ターバンみたいな物を顔に巻いて誤魔化しているつもりだろうか、しかし体つきで女性なのは丸分かりだ。腕とか掴まれて、もはや退っ引きならない雰囲気。
それにしても路地とは言え大通りから丸見えだってのに、誰も助けようとしていない。女性は女性で声を上げて助けを求める素振りも無い。ひょっとしてこれも此処では普通の事なのか? …いやそんな訳有るかい! 一瞬狂いかけた感覚を自己修正しながら、俺はその場に向かう。
折しも女性が引き倒され、手にしていた巾着袋をごろつきの1人が奪い取ったところである。そいつは丁度俺に背を向けており、俺の方に後ろ手に差し出す格好になった巾着袋をスッと奪い返す。
「何を…」
鼻白んでこちらを向き直り、そのまま固まるごろつきA。他の仲間も毒気を抜かれてこちらを伺っている。まあ、俺、ガタイはいいからね。俺がそのまま腕組みをしてフンッと鼻息を荒げると、そそくさと立ち去って行くごろつき達。ああ良かった、相手は明らかに素人の只のチンピラ、戦闘にでもなったら殺しちゃいかねなかった。
俺は女性を助け起こし、手に残った巾着袋を返してやる。
「有難う…ございます。」
女性は異常な程恐縮した様子でペコペコと頭を下げる。弾みでターバンが外れ、顔が見える様になる。若い女性、結構整った顔立ちだ、身綺麗にしていればそこそこ美人だろう。一見すると単に少し痩せた人間の女性だが、やや横に尖った形の耳が話に聞くエルフを思わせる。所謂ハーフエルフってやつかな等と思いながら声を掛ける。
「女の一人歩きは危険だろう、一度家に帰った方がいい。」
「有難うございます。でも買い物を済まさないと怒られてしまいますので。」
そう答えると、彼女は何度も振り返ってお辞儀をしながら商店街へと走り去って行く。
俺はこんな治安の中で彼女を1人で買い物に出した彼女の主人に憤りを感じながら、こっそり彼女を遠くから見守った。実際目も耳も人の何倍もいい俺は、充分離れた場所から彼女の動向を伺う事が出来た。
幾つかの店を回って食料品等を買い揃えて行く彼女、結構な量を買っている。しかし何故かどの店でも余り歓迎されている様子が無い。唯一最後に寄った穀物店の店主だけがやや好意的な様だ。
「おいおいブランちゃん、今日も1人かい? こんな大荷物だってのに。第一危険だよ。全くあの町長ときたら…。」
「有難うおじさん、でもしょうがないの…。」
そう言って店主に謝意を示しながら、本当に大荷物を抱えて来た道を引き返して行く彼女。
分かったのが、彼女の名が"ブラン"である事と、彼女にこの過酷なお使いを命じたのが"町長"で有る事だ。俺がこの人間街にやって来た理由、有る事を確かめたいという目的は唐突に果たされた。そしてその結果は、考えていた中の最悪のもので有った。
つい先日俺が助け損なった、とある人間の男、彼が最後の一瞬まで気に掛けていた最愛の一人娘、その名前が"ブラン"だった。男が街の代表として生け贄となる代わりに、一人娘である彼女は"町長"の庇護を受けて暮らしている筈だった。俺はそれを見届けに来たのだ。彼女が父親の希望通り、幸福とは行かないまでも、最低限普通の暮らしを出来ているのであれば、合わないつもりでいた。だがもうこのまま帰る訳にはいかなくなった。
俺はそのまま彼女を見守り続ける。大荷物を抱え、今襲われたらひとたまりも無い状況だが、幸いにも帰り道は無事だった。そんな中すれ違う者達は彼女を遠巻きにし、見ない様にしている様に見えた。やがて彼女は街でも特に立派な屋敷へと入って行く。
「遅いよのろまっ! とっととそれ置いて洗濯物を取り込みに掛かりな!」
間髪入れずにヒステリックな声が外まで響いて来る。と、通行人がその声に顔をしかめているのを見掛けた。その者に、試しに話し掛けてみる。
「何だろうね、あの不愉快な怒鳴り声は…?」
突然通りすがりの魔族に声を掛けられて、その初老の男は最初は尻込みするが。俺があの声を"不愉快"と評した事にシンパシーを感じてくれたのか、徐々に口が軽くなっていく。
「ここはこの町の町長の家なんだがね、ここで世話をされてるブランちゃんて子がいつも虐められててね。朝早くから夜遅くまで奴隷みたいに働かされているんだよ。唯一の肉親だった父親が"貢ぎ物"にされたせいで天涯孤独になったのを温情で引き取って世話してやってるんだとか言ってね、一日一回粗末な食事を与えるだけで、起きてる間中あんな風に怒鳴り付けながら働かせっ放しなんだよ。」
割と事情通な上にブラン嬢に対して同情的なスタンスのおじさん。俺はずっと感じていた疑問をぶつけてみた。
「あの…ブランちゃん…だっけ? この町長さんに限らず、街中のほとんどの人から冷たくされている様に感じるが、何か嫌われなきゃいけない訳でもあるのかい?」
「…ああ。」
おじさんは少し言い淀んだが、トーンを落として語り出した。
「まあ、あの子がハーフエルフだからって事も有るんだが、やっぱりジャコール様との一件が大きいだろうね。」
…やはり、嫌な予感はしていた。そこが繋がっちゃうんだなぁ。俺は天を仰ぐ。
「あの子の父親のチャーリーさんはババナンの栽培をしていたんだ。ババナンは基本的にエルフが自然の物を採取したのが出回ってるんだけどね、チャーリーさんはエルフから苗を分けて貰って自分で栽培を始めたんだ。苦労の末に軌道に乗せた彼の農園で採れるババナンは、野生の物よりずっと甘くて美味いって評判になってね。元々ババナンが好物だったジャコール大臣が評判を聞き付けて農園を視察にやって来て、以来足しげくチャーリーの農園に通う様になったんだけど、そうしている内にブランちゃんといい感じになっちゃったんだよ。」
なるほど、国のトップに名を連ねるジャコールと平民のブランがどう繋がるのかと思ったけど、ババナン繋がりだったのか。てかババナンって何? フルーツ的な物か?
「まあ、最初は微笑ましい話と受け取られてたんだけどね。この話が元で、比較的人間街に対して良くしてくれていたジャコール様の立場が悪くなり始めてから潮目が変わったんだ。急にふしだらだとか遊びに決まってるとか否定的に見られる様になってね、遂にジャコール様が失脚となってからはもう完全に悪者で、今じゃ…」
「おいオード!」
突然屋敷から出て来た男が俺の話し相手のおじさんを怒鳴り付ける。小太りの、尊大な態度の男。
「おわ、ちょ…町長っ。」
「貴様、妙な噂を立てやがったらただじゃ置かんと言っただろ…う…が……」
怒鳴っていた町長らしき男は俺の姿に気付いて急速にトーンダウンする。そうこうする間に屋敷から町長の部下らしき強面の男共がわらわらと出て来て、話し相手のおじさん、オード氏を取り囲んで小突き始める。
「ひいいい…」
この連中は町長の部下兼用心棒と言ったところか。さっきのごろつきとは違い素人では無い様子で、オード氏はかなり萎縮してしまっている。
「やあ済まん済まん、私が無理に聞き出そうとしたのがいけなかったね。」
俺はそう言いながらオード氏と用心棒達の間に割り込んだ。さすがにたじろぐ用心棒ズ。その隙を見て、慌てて逃げて行くオード氏。
「あ…、あのヤロウ!」
見咎める用心棒Aの顔の正面に俺の顔を持って来て、ニッコリ。引き下がるしかない用心棒A。俺もこういうの上手くなったなあ。
「あ…あの男は出鱈目ばかり言いふらすんで困っておってな。あんな奴の戯言を真に受けちゃいかんですぞ。」
と、町長は言い訳がましい。
それにしても、平民街とは言え町長クラスともなれば元の俺との面識が有っても不思議は無いと思うのだが、正体がバレる気配は無く、町長の態度は相変わらず尊大だ。俺ってどんだけオーラ無いんだろう?
「さて、あなたがこの人間街を取り仕切る町長殿と言う事でよろしいですかな?」
「あ…ああ、そうだが、貴方は?」
「まずはご報告を。実はつい先日、こちらから貢ぎ物とされた、チャーリーさんといいましたかな。え〜と…、ディナーとなられましてね。」
実に表現しづらいな、この話。
「ふ〜ん、そうなのか。」
何の感慨も無さそうな町長の反応に内心イラッとする。お前等はあの男の犠牲の上に生きてるんだぞ、ふ〜んじゃねえだろふ〜んじゃ! と叫びたくなるのを我慢し、俺は続ける。
「それでまあ、恒例として、食材となる者の遺言と言いますか、最後の願いを一つだけ叶えてやる事になっているのですが、チャーリーさんの願いと言うのが愛娘のブランさんが今後平穏に暮らしていける様に保証して欲しいと言う事でしてね。その実現と、その為の下調べが私に言い付けられた次第です。元々貢ぎ物となった者の家族には便宜が図られるのが通例ですし、身寄りを無くしたブランさんの後見人を町長ご自身がお引き受けになったとお聞きしましたので、この件について、私が手を下すべき現状の大きな変更の必要は無いだろうと期待しておりますがね。」
「むうぅ…それは…」
少し焦り始める町長。その時。
「やっと終わったのかい、遅いんだよグズ! 次はこの庭の雑草を全部きれいにむしるんだよ。終わるまで晩飯を貰えると思わない事だね!! 」
さっき聞いたのと同じ怒鳴り声が辺りにこだまする。俺は首をすくめてみせる。
「ええ〜っと…、今のは?」
「いやははは…、新入りの使用人を教育しとるんだな。大分熱が入ってしまってる様で。」
滝汗の町長。目配せされた用心棒の1人が声のした方へとんで行く。
「いやいやまあ…、調査と言ってももう時間も遅いし、今夜は我が家に泊まってもらって明日から始めたらいかがかね? 今晩は歓待の席を設けたいと思うんだが。」
町長が提案して来た。どうせ碌な事を考えてはいないだろうと思ったが、敢えて受ける事にした。実際もう日も暮れかけているし、色々とこの町長の出方を見てみようと思ったのだ。