魔神ホンキートンク
ここは魔王が治める土地、魔大陸。その中のエボニアム領内の、更に中に有る城下町の一つ。貴族的な地位にある魔族や大鬼族の居住エリアと、外界の魔物が跋扈する地と城下町との境界の役割を担う小鬼族のエリアに挟まれた、領内で出回る食糧、物資や道具等の生産を担う、人族のエリアの中に有る、人間街。
点在する市場から発展した市街地を除き、エリアのほとんどが農耕地である。領内でも最も広大なエリアであり、そのほぼ全域が平原となっている。尚、主に鍛治等で道具の生産を担うドワーフ街は山岳地帯に、牧畜や薬の生産をするエルフ街は原野や森林地帯にといった構成だ。
そんな人間街に、異質な存在がふらりと紛れ込んで来た。頭からフードを被りほぼ顔は見えない、だが明らかに人間の体格では無い。大鬼族程では無いが、かなり大柄だ。その肩にはペットか使い魔か、妙に青っぽいカラスが止まっている。
そう、俺である。今や"魔神"なる特殊な存在となり、この国のトップでもある将軍エボニアム、それが今の俺の姿である。今日はお忍びで此処へやって来た、一応なるべく目立たぬ様変装して来たつもりなのだ。飛ばれると目立つので、お供兼助言役の魔法生物、ネビルブは肩に止まらせている。最初はこいつにしては珍しく恐縮していた様だが、早くも寛いでやがる。
まあ大柄な身体はそれでも目立つが、中身がただのヘタレ高校生である俺に圧倒的にオーラが無いのか、幸い俺の正体に気付く者はいない。一応特権階級である魔族だとは認識されている様で、面と向かって敵対的な態度はされないが、フレンドリーに迎えられる事も無い。
市街地は賑わってはいるが、並んだ売り物は品数豊富とは言えない。女子供の姿を見かける事はほぼ無く、どちらかと言えば柄の悪い、しかしどこか卑屈な感じの男達がうろついているばかり。治安に関しては推して知るべしだ。
俺は酒場らしき店に立ち寄る。酒など飲んだ事も無く、こういう場所の流儀すら知らない俺としては大衆食堂の様な処が良いとは思ったのだが、生憎見付けられたのは昼間から酒を飲む手合いがたむろする様な、古い洋画に出て来るみたいなうらぶれた酒場だけだったのだ。
取り敢えず何処かで見た感じでカウンター席に座る。店全体の空気が張り詰めたのが分かる。店主もやや警戒気味にこちらへやって来て俺の出方を待つ。壁に貼られたメニュー表に目をやり、暫し考え込む。俺が入店してから続いている静寂に、緊張が混じる。意を決した俺は店主に向かい口を開く。
「ホットミルク。」
その時に居た酒場の客全員がずっこけたのが分かった。ネビルブまで! 酔いの回っていた客の中には椅子ごとひっくり返った者もいる。だってしょうがないじゃん! 中身未成年の俺に飲めそうな物がそれしか無かったんだよ!! 店主がひきつった顔で、ミルクを温めて出してくれる。
「ああ有難う。…時にマスター、最近はどうだい?」
俺はミルクのカップを手に、反対の腕をカウンターに載せて少し斜に構え、ヤケクソでカッコを付ける。他の客が余りこっちを見なくなった、と言うかそっぽを向いて肩を震わせている。え〜え〜そうでしょうよ痛い奴でしょうよ自覚有りまくりだよでもこれで行くしか無いんだよ笑えくそぉ!
「さ…最近ねえ…ぷくく、何か中央の方でゴタゴタが有った様でね。前みたいに副将軍のお抱え連中が大きい顔をしなくなったので、やり易くはなりましたな。」
なるほど、グレムリーの一派は此処でも嫌われているんだなほんとに笑いやがったなこんちくしょ。だが奴が死んだ事までは伝わっていない様だ。
「まあ物は取られるが命までは取られ無いというのが我々人族にとってギリギリの妥協点だったのですが、副将軍の治世の元ではそれさえも危ういという状態でしたから、実に生き辛かったですねぇ。ジャコール大臣がいらした頃は未だ良かったんですが…。」
「まあ、あんな事が無きゃあな。」
酔った客の1人が横から口を出して来た。ジャコール大臣? 前にも聞いたなそんな名前…。
「あんな事って、そのジャコールさんに何が起こったんだい?」
「いやあ、魔族様の中のご事情は、私共人族には分かりかねますが…。」
俺の問いにマスターが言い淀んでいると、さっきと同じ客が又口を出す。
「女だよ、女! あの大臣さん、街の視察中に市民の女とねんごろになっちまったのさ。それも人族とだぜ! そりゃあいろいろ勘繰られるってもんだぜ。」
「魔族が人族とねんごろ? 有るんですねぇそんな事。」
「まあ、恋愛は自由ですし、別に悪い事じゃ無いと思いますが…。」
やはりどうも口が重いマスターだが、そんな事お構い無しの酔客。
「悪かぁねえが下手を打ったって事よ! なんせグレムリー副将軍の耳に入っちまったからな。いい様にネタにされて、最後は大陸の外の人間の国と繋がってるとまで言われて、気付けば脱落だ。脇が甘かったんだよ!」
「まあ、そんな噂は有りましたがね…。」
「噂じゃねえさ、俺は知ってるんだ。相手の女ってのがあれだろ、町長んとこのムゴモゴオ…」
この辺りでその酔客、隣の客に口を押さえられら「お前飲み過ぎだ」などと叱責されながら引き摺られる様に退場して行く。
「ま、上の方のゴタゴタなんて我々下々の者には良く分かりませんねえ。」
マスターはそう話を括って、それ以上は何も語ろうとはしなかった。他の客達も今はこちらを見ないようにしている。こりゃこれ以上の情報収集は無理かな。俺はミルクを飲み干し、カウンターに銀貨を1枚置くと、ご馳走様と言いながら席を立つ。
「あ…りがとうございます。」
意外そうな顔で礼を言うマスター。ありゃ、何かおかしかったのか?などと思いながら店を出ると、中の話し声が漏れ聞こえて来た。
「おい、金払ってったぜ、ミルク一杯に銀貨一枚!」
「ああ、タダ酒飲まれ倒して終わりかと思った。」
「こりゃあグレムリーが失脚したらしいって、あながちガセじゃねえかもな。」
と、そんな内容だ。なるほど、俺はグレムリー一派のごろつきの1人くらいに思われていたのか。そりゃ何も教えて貰えない訳だ。
店を出てからは、町の中心を目指して歩きながら、ネビルブ相手に情報の補填を謀る。
「ジャコール元総務大臣の事ですクワ? 確かに失脚の原因はスパイ疑惑だったはずですが、その根拠がさっきの人間女性との恋愛話だって言うなら、随分とこじ付け臭い話でクエね。ええ、お察しの通りジャコール大臣はグレムリーの政敵でしたし、大臣のスパイ疑惑を告発して、糾弾して、追い落としたのも、結果として内省における実権の全てを手にしたのも、副将軍その人に他ならないでクエ。」
「そいつは…中々明からさまだな。ジャコールってのはどんな奴だったんだ?」
俺は続けざまに質問する。
「事務方の中では若いのに有能な成長株と目されていたでクエ。魔族としては変わった考えの方で、人族の生産能力の有効活用を掲げて、人族の生命の保証や生活の改善をする事により生産性を向上させようとクワ、他国との無用な争いを控えて国力を蓄積させようとクワ、それまでとは大きく転換する方針を掲げておられたでクエ。」
「…それ、絶対そっちの方が良かっただろ! そうした方が確実に国が豊かになる。何でそんな真っ当な考えの者をグレムリーなんかの言いがかりに乗せられて失脚させちゃうんだ⁈ 裁定した奴、無能かよ!」
俺が苛立ち混じりの呆れ声でそう言うと、ネビルブが困惑した顔でこちらを見つめて来る。うん、察しました。裁定したのは他ならぬ"俺"。そう、この体の元の宿主、"真の"エボニアムその人って訳だ。まあ、俺はこの真のエボニアムに一度だけ接触したが、国民を豊かにするとか、無用な争いを避けるとか、そういう発想は根本的に無いのだろうというメンタリティなのは感じられた。残念ながら最初からジャコールの考え方が受け入れられる土壌など無かったのだ。
「…まあ、その辺りは記憶が飛んでいてな。ち…ちなみにジャコールは今どうなっているんだろうな?」
「確か前線送りになったとは聞いているでクエ。南部の未開の森に出る凶悪な魔物を討伐に向かわされたとか。碌な共も連れて行けず、実質死にに行けと言っているのと同然の派遣だったと言われているでクエ。」
…話の流れからして彼を死地へと向かわせたのも元の俺の裁定なのだろう。その当の本人に面と向かってこの言い草、本当にコイツいい性格してるな。