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第1話


 コンコン、と小気味よい音をたてて部屋の扉がノックされる。


理央りお、起きてください。朝ですよ」


 微睡む意識の中で女の子の声が聞こえた。

 幼い頃からよく聞いている、1番心に馴染む声。幼馴染の小鳥居芹那ことりいせりなだ。


 しかし扉越し、姿の見えない控えめな呼び掛けに未だ身体は目を覚さない。


「うーん後5分……」

「早くしないと入学式に遅刻しますが……まぁいいでしょう。5分後にまた来ます」


 足音が小さくなっていく。すぐに俺の意識は途絶えた。


 しばらくして、彼女は再びやってくる。

 

「理央、起きてください」

「うーんまだ後5分」

「早くしないと入学式に遅刻しますが……まぁいいでしょう。5分後にまた来ます————という会話をすでに何回していると思いますか?」

 

 え?


「10回目です。つまり50分経ちました」


「うそぉ!?」

 

 反射的に身体が飛び上がる。


「起きたようですね。残念です」


 はぁ、となぜかため息を吐かれる。


「もしこれで起きないようだったら……」


 ちなみに、スマホで確認した時間はまだ5分しか経っていない。騙されたのだ。

 少々恨めしく思っていると、「コホン」と可愛らしい咳払いがした。


「『将来の夢・3年2組・杭原理央くいはらりお』」


「っ!?」


 その凛と透き通る声を聞いた瞬間、寒気がする。


「『僕の将来の夢は、許嫁の小鳥居芹那ちゃんと結婚して、芹那ちゃんを幸せにすることです』……と、この作文を音読したいと思っていたのですが」


「読んでる! めっちゃ読んでるからな!?」


 ちゃんと起きたのに!?


「ほんの冒頭ではないですか。恥ずかしいのはまだまだこれからです」

「マジでやめろ黒歴史すぎるから……!?」


 慌てて扉を開け放つと、目の前にいた幼馴染からありし日の作文を取り上げる。それから無数に引き裂いてゴミ箱へ突っ込んだ。これはこの世に存在していいものじゃない。


 その様を芹那は無表情で見つめていた。


「おはようございます、理央」

「お、おお……おはよう」

「起きたのならはやく準備をしてください。さっきも言いましたが、今日は入学式です」

「はいはい、わかってるよ……」


 それだけ言って芹那は俺の部屋へ足を踏み入れることすらなく、帰ってしまう。


 幼馴染で、そして許嫁であるのならもう少し、ラブコメ漫画のような甘酸っぱい起こし方を想像してしまうものだが……。

 およそ1ヶ月前から我が家で居候中の身である彼女は、与えられた役目をまっとうしているだけのようにも見えた。


 新しい制服に袖を通し、洗面所で諸々のセットアップを済ませてからダイニングへ向かう。


「あら、おはよう理央。今日は早いのね」

「ほぉ、なかなかキマッてるじゃないか。さすが今日から高校生だな」


 芹那と共にキッチンに立つ母さんと、テーブルに着いた父さんが声をかけてくる。


「おはよう。まぁ、朝から色々あったもんでね……」


 父さんの隣に座る。


「いつも思うんだが……理央と芹那ちゃんは隣同士で座ったりしないのか?」

「しません。理央なんて斜向かいで十分です」


 芹那が居候に来てからというもの、我が家の席配置は男女に分かれ、子供と大人がそれぞれ対角線で結ばれていた。


「そ、そうか……」


 一刀両断されてアワアワしている父さんに対して、涼しい顔の芹那は着々と朝食の配膳を進める。

 両親同士の仲が良かった俺たちにとって、お互いの両親は第2の親も同然だ。

 ゆえに、芹那は我が家の大黒柱への遠慮というものを知らない。それは信頼の裏返しでもあった。


「も、もうちょっと仲良くとかしないのかなー? 一応、許嫁同士なんだし? 僕たちのことは気にせず、もっとイチャイチャしていいんだよ? ね? ほ、ほら、理央もなんとか言ったらどうなんだ?」


「いや、俺はべつに……」


 苦しくなったら息子に会話を振るの、やめてほしい。


 そんな父さんに対して、芹那はやはりバッサリと切り込む。


「許嫁なんて、父同士がお酒の席で勝手に盛り上がり、ノリと勢いで決めたことでしょう?」


「うぅ゛………………っ!?」


 まるで心臓を掴まれたかのように父さんの表情が渋くなる。


「そもそも、今どき許嫁だなんて時代錯誤もいいところです。そうやって未来を決められた子どもたちの気持ちを少しでも考えたことがあるのですか? それを私たちに押し付けるのですか?」


「うぐぅぅぅ゛………………っ!?」


 父さんはすでに瀕死だ。


「芹那ちゃんごめんね……ほんとごめんね……理央がこんなブサイクだからダメなんだよね、ごめんね……」


「そこで俺!? 悪いのはあんただろ!?」


 たしかに俺はイケメンではないが。

 そんな話はまったく関係ない、はずだ。


「とまぁ、そこらへんの憤りがあるのは事実ですが、理央とは結婚するのでご心配なく」


「え?」


 そのセリフに、今度は俺が驚く番だった。


「なにせ理央は昔から私のことが大好きですからね。今更、許嫁解消なんて言ったら可哀想なので、幼馴染のよしみで結婚してあげますよ」


 芹那はわざとらしくニヤりと笑う。


 それから一呼吸置くようにして表情を消したのち、淡々と述べた。


「ですが、結婚するまではあくまで他人。婚前にイチャイチャなどと、そんな不健全極まりないことをする理由は一切ありません」


「「はい……」」


 なぜか俺と父さんは一緒になって頷いてしまった。


「理央ぉ……芹那ちゃんが怖いよぉ……シクシク。でも結婚してくれるって。良かったなぁ理央ぉ……」

「息子に泣きつかないでくれよ……」

「だってぇ……」


 縋り付く父さんを引き剥がして席に戻した。


(でも……まさかな……)


 芹那は俺と結婚する気があったらしい。

 理由は実に不可解だが、それでもその言葉は俺の心に根付いた。


 会話は終わり、朝食を食べ始める。


「あ、芹那。醤油とって。……おーい、芹那?」


 返事がない。


「無視しないでー?」

「名前で呼ばないで、といつも言っているはずです」

「あ、あー、うん。ごめん」


 小さな頃は芹那ちゃんと呼んでいたから、そのクセが抜けないのだ。


 そっちは俺のことを名前で呼んでくるじゃないか、とも思うのだが「この家には杭原さんが3人いますが?」の一言で俺は黙らされた。


「小鳥居、醤油とって」

「どうぞ」

「どうも」


 アジの干物に添えられた大根おろしに醤油をちょっぴりかける。


「なんてラブコメらない会話なんだ……僕は、僕は悲しい……!!」

「はいはい泣かないで〜」


 ついには母さんが席を立ってまで父さんを慰めている始末。


「母さん、愛してる」

「私も愛してますよ、あなた」


 子供の前でイチャイチャするのはやめもらっていいですかね……。


 まぁでも、前向きに考えれば今朝は父さんのおかげで俺にとって利のあることが聞けた。


 だから俺も今から、ラブコメを試みるぜ……!


「あー、この干物美味いな。めちゃくちゃ美味いよ、せり……小鳥居」

「そうですか。私はグリルのスイッチを押しただけですが」


 あっれー?

 めちゃくちゃ素っ気ない。こちらを見てすらくれない。


 ここはもう少し嬉しそうにして、頬なんか染めちゃったりするところでは?


「え、いや、でも、その……美味いよ?」

「それならアジをとった漁師さんと干物にした魚屋さんと魚焼きグリルという文明の利器に感謝してなくてはいけませんね」

「お、おう……」

「料理を褒めるのなら、もっと手の込んだものを作った時にしてください」


 芹那はそさくさと食事を済ませると食器をまとめて立ち上がる。


「私はもう少し登校準備をしたいので失礼します。食器はあとで洗いますから、みなさん洗い場に出しておいてくださいね」


 芹那の去った食卓で、涙を流す父さんと目が合う。


 ごめん父さん、俺にラブコメの波動は生み出せなかったよ……。


 これが俺こと杭原理央と小鳥居芹那のなんともしょっぱい許嫁関係だった。




 ☆




「それじゃあ、いってらっしゃい〜」

「僕たちは後から行くからね。式ではいい顔で頼むぞ〜!」


 我が家の前で晴れの日の写真(俺も芹那も無表情)を撮った後、両親と別れる。


「…………………………」


 許嫁と2人きり、初めての登校に会話はない。

 話題がなければ俺たちはいつだってこんなものだ。

 傍からすればとても許嫁には見えないのだろうが、よく言えば無言が苦しくないふたりとも言える。


 特に険悪な空気があるわけでもなく、学校へ向かった。

 

 学校が近くなってくると、同じ新入生の姿もちらほらと見えてきた。


「ん、小鳥居?」


 芹那が足を止めたことに気づいて、俺は後ろを振り返る。


「どうした? 大丈夫か?」


 突然のことに少し心配になるが、答えを返してくれない。

 

 芹那は瞳を閉じて一度大きく息を吸うと、ゆっくり吐き出した。

 もう一度開いたとき、その瞳がわずかに揺らめき、煌めいて見えた気がした。

 まるで何か、不可思議なモノが宿ったみたいに。


「もぉ、理央ったら、なんで小鳥居なんて、そんな他人行儀な呼び方をするのですか?」

「は? そりゃおまえが言ったからじゃ……」

「芹那です。芹那と呼んでくれなきゃ、嫌です……」


 芹那は強引に、そして大胆に俺の腕を取って、ぎゅっと抱きしめてくる。


「だって、私たちは、ラブラブな許嫁同士なんですからね……♡」


 それは俺の知らない許嫁だった。

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