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~怪物~

前髪をもちあげる、泣きそうなほど優しく、冷たい潮風。

目の前では、ゆっくりと太陽が水平線へと沈んでいるところだった。

突然足に絡まった冷たい感触に下をみると、透明な海水。

すぐそこに貝殻がおっこちている。

なんで、海ーー?

俺は海をみたことはーー。

『君、太陽が好きなの?』

低くて落ち着く声が、俺の鼓膜にしみわたる。顔を上げると、顔の横で揺れるピアス、首元から下がる金色のタペストリーが、夕日に照らされキラリと光った。

そうだ。俺はここに来たことがある。

そして、この男の人はーー。

『きみは、   だ』

そう言ってその人は、俺の瞳を指さした。

俺は動けないまま、ひときわ大きい波の音が脳をゆっくりと侵食していくのに酔っていた。


「なんだったんだよ、ほんとに…!」

美空さんちからの帰り道を、なかば走りながらかけぬける。

甘えモードの幼馴染の威力がすごすぎて謝りながら家をでてきてしまった。

「勘弁してくれよ……」

プルルル、プルルルル…

スマホをみると島川さんとかかれていた。

今までは家の固定電話でやりとりをしていたけれど、母親からの視線に耐えるのも難しくなってきたから、つい最近自分のスマホに登録したんだった。

すぐに四宮奏楽へときりかえて、道路の端へとよった。

「はい」

『こんにちは、奏楽くん。最近体調はどう?』

「元気ですよ。どうしました?」

『いやあ、実は…今週の土曜日、渋谷の○○ホールで、スターホープ楽団の夏季演奏会があるんだ』

「ああ、去年はイタリア行ったやつですね。毎年全国まわりますもんね。今年は渋谷なんですか」

『そう!他のみんなももちろん出席するんだけど、奏楽くんは……参加する気ない?』

こくっと喉の奥に言葉がつっかかった。

すみません、今はまだーー。

いつもならこういうんだけど、このときは考えが違った。

なぜか、さっきまで一緒にいた美空さんの顔が浮かんでいた。


『返事は明日もらえるかな。一応友達や家族の皆さんを招待できるように、プレミアムチケットを君の家に送っておくよ』

そう言われた翌日、本当にポストに入っていたチケットを前に腕をくむ。

今日も美空さんは学校にこなかった。

体への負担だけでなく、風邪もいっしょにかかってしまったのかもしれない。

プルルルル…

『はい…』

すこしけだるげな美空さんの声が耳に入る。

「ごめん美空さん。しんどいのに急に電話しちゃって」

『んーんー。むしろ嬉しい、ありがと。ていうか……昨日はほんとにごめんね。まさか私、ほんとにあんなことするつもりじゃ…』

若干泣きそうな声で訴える彼女を安心させようと、軽く笑う。

「大丈夫、きにしてないよ。それより、あのさ……四宮奏楽って、知ってる?」

『え?あったりまえじゃん!あの四宮奏楽だよ!?逆に知らない人いる?』

「ああいや、えっと…」

まさかここまで言われるとは思っていなかったから、嬉しくもあり驚きもある。

『で、四宮奏楽がどうしたの?』

「あ、ああ。えと、今週の土曜日、渋谷の○○ホールでスターツホープ楽団のコンサートがあるらしくて。で、母さんがそのチケットをもってるんだけど、いるかなーって」

どうせ渡す家族も、友達もいないんだし。

『ええっ!?ほんと!?お金払わなきゃだよね?じゃあ、四宮奏楽みれるってこと!?』

すごいすごいと連呼する彼女がおもしろくて、ついふはっと笑ってしまった。

かわいいなって思ってしまった。君と今話してる男が、その四宮奏楽なんだよって言ってしまいたくなった。

だけど、言わない。四宮奏楽と逢沢空は、美空さんにとって違う人物であってほしいから。

「……楽しみにしてて」

『え?』

「ううん。明日ちゃんと体調なおして学校これたら、そのとき渡すよ」

『ええ!?なにそれ!じゃあ頑張ってなおす!』

彼女との電話をきったあと、俺はすぐに島川さんに電話をかけたのだった。


『ねえあなたみて、この数字』

『ん?……えっ!?君が、この額をかせいだのか!?』

『そんなわけないでしょ!あのこの、月収なの』

『月収の時点で、俺たちが稼ぐ年収よりも多いじゃないか!これはなんてことだ…』

『嘘みたい!こんなにもお金が入ってくるなら、私たち働かなくてもいいんじゃない!?』

『たしかにそうだな…いっそぱーっと海外に旅行でもいくか?』

『いいわね!私ヨーロッパ行きたかったの!』

親のそんな会話を聞いてしまったのは、俺が小学校高学年のとき。

姉さんも入れて家族四人で旅行に行くものだと思っていたのに、両親は俺に、大会も近いんだからヴァイオリンの練習をしていろと告げ、二人でさっさと旅行へと行ってしまった。

『すごいなあ空!お前は本当にヴァイオリンがうまい!天才だ!』

『本名はだめだから…奏楽、とか?奏でるに、楽しい。あなたにぴったりの名前よ、どう?』

『空はすごいねえ、自慢の弟だよ』

大好きな三人の、大好きな声、顔色、手。

嬉しい。嬉しい。俺は今、こんなにも幸せなんだーー。

その会話を聞くまでは、そう思っていた。

『ちょっとあなた!最近お金使いすぎなんじゃない!?会社やめてからお酒とかかいすぎだし…!私が使う用のお金に手ださないでくれる!?』

『っせーな!!』

徐々に親の喧嘩は増えていき、俺が中学二年のとき、両親は離婚した。

『あんたは、  だよ』

当時大学生だった姉さんは、俺にそう言い捨てて家をでていってしまった。

枯葉が枝から抜け落ちる、冬のことだった。

きづけば、電車に飛び乗り遠い所へときていた。

今まで家族四人では遠出をしたことがなかったから、窓の外に広がる青い世界を目にしたとたん、反射的に席をたった。

『海だ……』

初めて見た。ほんとに海って、世界一広いんだな…。

砂がくつにつくのがいやで、靴下とくつをぬいで、ゆっくりと水の中へ足を踏み入れた。

こんなにも海は青いのに、間近で見る海水は透明で、冷たかった。

夕日が、もう少しで海へと消えていきそうだ。

『消えていかないで……』

思わずぽつりと口から漏らしたときだった。

『君、どしたの?』

聞き覚えのない男性の声が、静かな空間に響いた。


『海莉さんがつくられた曲、いつもと変わらずすばらしかったですね!お客さんから大好評でしたよ』

『そうですか。ありがとうございます』

海莉凛、作曲家、24。

音大に通っていた時、教授からの勧めで曲をつくりオーケストラに提供したらそれが大好評に。なんか海外でも俺の曲を演奏してくれるところが多いらしく、俺の名が知られるのは日本には限った話ではなかった。

一回テレビ番組にでたのをきっかけに、俺は天才若手作曲家として有名に…なっているらしい。

フィーリングで曲をつくっているからか、俺自身がすごいという実感はあまり沸いていない。

いつも作業をする家から見える砂浜。

何か着想を得たいとき、俺はいつもここへと来る。

いつもどおり砂浜を歩いていると、珍しく人の姿が見えた。

…って、まてよ。

こいつ、あの四宮奏楽じゃねえか?

ほとんどテレビにでない四宮奏楽の顔を知っているのは、彼が小さいころからのファンだからだ。

たしか彼が所属するスターツホープ音楽団は、俺の曲を演奏したことがないはず。

けれど、一ファンとして必死でチケットをとり演奏をみるくらいにはファンなのだ。

壇上の天使。心が自然と浄化されていくようなあたたかい微笑みと、卓越した演奏スキルをみて、人々は彼をそう呼ぶ。

けれど、俺は彼のことを、天使だとは思えなかった。

ただまっすぐに水平線をみつめる中学生ぐらいのそいつの横顔は、舞台にいるときの雰囲気とは一転、ほの暗く憂いのあるもので。

『消えていかないで…』

彼のその言葉を聞いて、俺は思わず声をかけていた。

『君、どしたの?』

四宮奏楽が、俺を瞳にうつした。

それだけで、自然と手に汗がにじむ。

世界をも虜にする神童が、目の前にいる。

その事実だけで、柄にもなく笑いかけようとする余力がなかった。

『なんで消えていかないでって…』

『…ああ』

彼は居心地が悪そうに斜め上をむいた。

『だって、太陽が沈んだら夜が来る』

彼の顔に影が差した。

『君は、太陽が好きなの?』

四宮奏楽には才能がある。ほとんどの人が彼を称賛する中で、彼を疎む人も必ずいる。

そしてその一部は、彼によって淡い憧れと絶望を味わわせられる凡人の演奏者たちなのだ。

『夜よりもずっと』

俺は彼の瞳を指さし、静かな口調でこう口にした。

『きみは、怪物だ』

あたたかくて明るい朝を食いつぶすかのように、空一面に広がる真っ暗闇。

演奏者たちの、彼らが抱く自信をすべて真っ黒にぬりつぶすかのような絶対的存在。

そうだ。四宮奏楽は、夜に突如現れ人々をどん底へと突き落とす、怪物のようなんだ。

『…それ、姉さんにも言われた』

『え?』

『おまえは怪物だって。俺は、もうーー俺自身が人間なのか、わかんないよ』

そう言ってくしゃりと顔を歪ませ、その場にうずくまってしまった。

その姿は、羽をもがれた天使のようで。

四宮奏楽ではない、ただの普通の男の子のようで。

『もう、やめていいんだよ』

海水に濡れるのもいとわず、彼の肩を両手でつかみ、顔をあわせる。

『つらかったね。自分の生き方に迷うほど、自分を追い詰めなくていいんだ。いいこいいこ』

それから、空がうっらと濃い青で染まり始めるまで、四宮奏楽は泣き続けた。

少し落ち着いてからどこかふっきれたかのような顔で、彼がふわりと微笑んだ。

至近距離の、俺が何度もコンサートで見てきた天使の笑顔に、思わずドキリとする。

『ありがとう、お兄さん。心が軽くなりました』

『い、え…』

思わず敬語で返事をしてしまうほどに、彼の笑顔の威力は絶大だった。

『俺、帰らなきゃ…この恩は忘れません。じゃあ』

去っていく四宮奏楽の背中を見て、俺は誓った。

四宮奏楽に弾いてもらえるような曲をつくる。

他人を癒すばかりで、実は自分自身が傷ついていることに気づいていない彼が、弾いている間はその痛みを忘れられるような、そんな曲を。


「はあ…」

ステージの裏で、久しぶりに着るスーツに袖を通した四宮奏楽の姿があった。

普段のメガネと長い前髪とは一転、いつもの四宮奏楽と同じで髪をセンター分けにセットしている。

「大丈夫?奏楽。無理はすんなよ」

「ソウダゾ」

「ファイト!」

同じ楽団メンバーが、気遣うように声をかけてくれる。

それは、もう何年も同じ舞台を経験してきた仲間だったからでてくるものだった。

「ありがとう」

すうっと目をとじる。

少し前の、学校から飛び降りようとしいていたときの自分の姿を思い出す。

……まさか、またここに戻ってくるなんてなあ。

長年の相棒を手にもち、目をあけた。

ここからは、逢沢空ではなく、四宮奏楽だ。

「お次は、三か月ぶりに復帰を叶えた四宮奏楽さんです!それでは四宮奏楽さん、お願いします!」

美空さんは、どういう顔をするだろうか。

カチッとスイッチを切り替えて、壇上への一歩を踏み出したのだった。







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