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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

純文学/ヒューマンドラマ集

銀の心臓だけが残る

作者: 兎束作哉

――――――――――

――――――――――――――――――――



「成功した、成功したぞ」



 拍手と歓声。

 絶え間なく響く老若男女の声にワタシはただ黙って笑うことしか出来なかった。白衣を着た大人達は共に抱き会い、握手を交し、レポートをまとめ、そして私にゆっくり近づいてきた。



「君は希望だ。これで、奴らに勝てる」



 その言葉に、ワタシの冷たくなった心がズキンと痛んだ気がした。

 でももう、痛みを感じない。そんなカラダで、「はい」と頷き笑ってみせた。もうワタシの目から、涙は流れない。






 ***



 月明かりが消えた闇夜に突然として現われる夜の紳士吸血鬼。人の血を吸い、そして自らの血を与えることで眷属にする。吸血鬼と言えば太陽に当たると灰になって消える、鏡に映らない、ニンニクが苦手、聖水が苦手、銀に触れられないなど強いながらに多くの弱点があることで有名だ。



 そんな吸血鬼が存在し、夜な夜な美しい女性から、男性まで襲われるという噂が立ったのは数十年前のこと。吸血鬼は増え続け、人類と吸血鬼の生き残りをかけた戦いが始まった。日中活動できないという大きなハンデを背負いながらも勢力を拡大し続けた吸血鬼。



 だが、人間の方が一枚上手だった。人間は高度なロボット技術を持ち、吸血鬼に対するある策を報じ、そしてまもなく吸血鬼は追い込まれ、絶滅していった。だが、それは人間も同じであった。




 血と金属の匂いが混ざり合い、人間と吸血鬼の死闘を繰り広げていた世界にもう誰一人として残っていない――――――



「腹が減った」



 目覚めてから数ヶ月。ろくに食事を取っていない腹は、これでもかというほど鳴り続けている。ぎゅるるるる…と苦しそうな音が、夜の街に響く。野犬の遠吠えも聞えない静かな街を、俺は足を引きずらせながら歩いていた。そして、たどり着いた大きな門の扉に手をかけ、中に入る。夜明けまでは時間があったが、さすがに道で倒れるわけにはいかない。そう考え、何処か身を隠せる場所は無いか回らぬ頭を働かし、結果たどり着いた先がここだった。



 中はとても広く静かな場所であった。建物の内部に差し込んでいる白い月明かりを頼りに奥へ進んでいく。すると、扉は大きな音を立てて閉まる。



「誰?」



と、真っ暗な建物内部に響いた女性の声。その声は幼く、女性と言うより少女のようだった。暗闇に目が慣れてはいたが、それでもぼやける視界で必死に声のする方へ視線を向ける。月明かりがスポットライトのように動き、声の主を照らし出す。白い光と共に現われたのは、黒い修道院の服を着た小さな少女だった。手には十字架が握られており、俺はスッとそれから目をそらした。



 ああ、しまった。ここは教会か。



 逃げ込んだ場所は、運悪く教会だった。少女とは言え、「吸血鬼」を退治する方法ぐらい知っているだろう。こんな少女にも、今の俺は怯えてしまうのだ。腹が満たされていれば話は別であったが。


 逃げようとしたが足がもつれ、俺は前に倒れ込んだ。飢えて死ぬか、聖なる力で滅されるか。そんなことを考えていた。どちらもごめんだ。だが、動く気力も活力も湧いてこず、俺は目を閉じた。しかし、ニンニクも聖水も、一滴たりとも落ちてはこなかった。



「何だ、俺を殺さないのか」

「ええ、殺す理由がないもの。あなた、吸血鬼なのね?」



 もう一度目を開けると、しゃがみ込み、俺の顔をのぞき込んでいる少女の顔がそこにあった。かつては恐れられ嫌われた俺を、恐れるどころか、その行動が当たり前であるかのように自然な行動であるかのように、少女は俺に近づいてきた。


 俺は、思わず鼻で笑ってしまった。こんな弱った吸血鬼、放っておいても死んでしまうだろう、手をかける必要も無いか、と。随分吸血鬼は下に見られるようになったものだ。つい最近までは、吸血鬼が人間の血を吸い、そして眷属を増やしていったというのに。食料としてしか見ていなかった人間に見下されているのは気分が悪い。不愉快だ。



 しかし、最近同胞の姿を見なくなったのは事実だ。吸血鬼と人間が争い、殺し合い、生き残りをかけて互いに愚かな戦争をしていたのを仲間から聞いた。俺は直接その戦争に参加していない。守られ、一番上から見ていたのだ。


 自分が、何者だったのか。吸血鬼であることは間違いないが、元から吸血鬼だったのか、はたまた誰かに血を吸われ、与えられ眷属にされた元人間だったのか。数ヶ月の間に記憶があやふやになってしまっていた。


 そして、数ヶ月寝ている間に同胞は消えてしまった。まるで皆死んでしまったかのように。俺の寝ている数ヶ月の間に何かあったのだ。吸血鬼だけじゃ無い。街の様子を見れば可笑しいことが一目でわかる。


 同胞を探しながら、そして腹を満たすために俺は数週間と街をさまよい続けた。日が昇れば闇に姿を隠し生きてきた。しかし、やはり人間も吸血鬼も見当たらない。忽然と消えてしまったのだ。街は静寂に包まれ、細々と月明かりだけが降り注いでいる。誰もいない街。



 俺はもう一度少女を見る。金髪の綺麗な少女。珍しい、月のように白い瞳をもった少女。不気味なぐらいに整いすぎた顔と、白い肌。全てが嘘くさく、作り物のような少女に思わず俺は吐き気を覚えた。こんな綺麗な人間がいるのだろうか。

吸血鬼は美しい女性の血が好物であるが、美しすぎる少女に違和感を覚えずにはいられなかった。



「なあ、人間。お前が俺をころさないって言うんだったら、俺がお前の血を吸っても良いのか?俺は空腹なんだ」



 俺が少女にそう言うと、彼女は首を横に振った。


 しかし、空腹は限界に達していた。

 小さな子供の血は俺の好みでは無いが、生きる為だ、仕方がない俺が弱っていると思い込んでいる少女の血ぐらいすぐに吸い尽くせる。そう考えると、身体の中心に熱いモノが集まってくるのを感じた。そして、俺は隙だらけの少女に飛びかかった。本能的に、自然な行動だった。しかし、俺の牙は、爪は少女に触れることは出来なかった。



「…っ」



 少女の腕に触れた瞬間、肌が焼ける痛みが走った。掌を見ると、痛々しい火傷の跡が。皮膚がただれ、赤黒い肉が見えた掌を俺はぎゅっと握りしめた。


 俺は少女を見た。少女は深々と頭を下げていた。申し訳なさそうに、悲しそうに。

 俺は、そこでやっと全てが繋がり下唇をギュッと噛んだ。血が滲み出、口の端からたれた。



「お前は…人間じゃ無いのか」



 少女は顔を上げ、その月のように白い瞳を悲しそうに潤ませていた。泣きそうな顔をしながら、その瞳から涙が流れることはなかった。




  ***



 ×月×日


 わたしのお父さんとお母さんは、科学者です。いつも、真っ白な白衣を着て、朝早くに家を出て夜遅くに帰ってきます。帰ってきてからも、忙しそうに仕事をしていて倒れないか心配です。

 でも、お父さんもお母さんもちゃんと「ただいま」っていってくれるし、優しくわたしの頭を撫でてくれます。お父さんとお母さんの笑顔が大好きです。




 ×月×日


 今日は、大事な研究があると、お父さんとお母さんはいつも以上に早く家を出て行きました。なんだか、悲しそうなかおをして「絶対に帰ってくるからね」といって、家を出て行きました。

 本当は、他の家の子みたいに家族で遊びに行きたいし、連れて行って欲しいお花畑があったの。でも、我儘言っちゃ駄目だって、自分に言い聞かせました。

 だって、お父さんとお母さんは、悪い吸血鬼から世界を救うために働いているヒーローなんだから。わたしが我慢すれば、平和な世界になる。だから、お利口に待っていないといけない。




 ×月××日


 雨が酷く降っていました。お父さんとお母さんは帰ってきませんでした。

 お父さんとお母さんの仕事仲間が家に来て、わたしに研究を手伝って欲しいと言ってきました。白衣を着た大人にわたしは尋ねました。お父さんとお母さんは?と。

 大人は何かを隠すように「君のお父さんとお母さんは素晴らしい科学者だったよ」といい、頭を撫でました。でも、その顔は、笑顔は薄っぺらかった気がします。

 もし、わたしが大人達の研究の手伝いをしたら。お父さんとお母さんは楽になれるのかな?わたしも、悪い吸血鬼をやっつけるヒーローになれるのかな。




 ここで、『わたし』の日記は途切れていた。






 高度な技術をもった人間はどうにか吸血鬼をやっつけようと、多くの案を出しあった。各国の偉い人間が集まり、科学者達が集まりその頭を悩ませ、知恵を絞り出し、そしてある研究が始まった。



 その間にも、俺の同胞は人間の血を吸い眷属にしていった。この時点でもう人間は吸血鬼に『人間』として勝つ方法は無いと考えたらしい。



 もし、吸血鬼が太陽を克服したら?聖水も効かなくなってしまったら?



 仮説、憶測、人間達は焦っていた。一つの国はもう全員が吸血鬼になってしまったというのだから、残された時間は少ないと人間達は悟った。


 しかしながら、吸血鬼もこの時点でまいってしまっていた。自分たちの主食は人間の血。人間がいなくなってしまえば、絶滅の可能性だってある。同胞同士で殺し合いが始まることも、そんな非常事態すら考えていた。だから、少しの間人間を襲うのをやめたのだ。


 だが、それが間違いだった。吸血鬼の絶滅を回避できない事態へ繋がった。

 吸血鬼の襲撃が減り、チャンスとみた人間は研究を最終段階へ、そして仕上げたのだ。吸血鬼に勝つ方法。



 人間は、『人間』をやめ、吸血鬼を滅ぼした。





「なるほどな。で、ロボットはお前だけなのか?」

「ええ」



 少女はいった。



 俺が眠っていた数ヶ月の間何があったのか。


 吸血鬼と人間の戦いに終止符が打たれたこと。吸血鬼が負け、滅んでしまったこと。人間の血を吸えず、餓死するもの、同胞同士で血肉を喰らい傷つけ合ったこと。

 人間は、そんな吸血鬼の様子を勝ち誇った顔で見ていた。昼も、夜も。人間は克服したのだ。もう暗闇が支配する夜すら、怖くないのだと。吸血鬼など、恐るるに足りないのだと。

 さぞ、滑稽だっただろう。あれだけ、気高い吸血鬼が同胞同士で争い合い、醜い姿をさらしたんだ。恐怖の対象が、見物になり、それはそれは人間は愉快だっただろう。



「吸血鬼を滅ぼした後の世界はどうなったんだ」



 俺は、少女に尋ねた。ロボットの少女は、少し考える素振りを見せ、そして俺の方を見た。



「吸血鬼に勝つことだけしか、皆頭に無かったの。大切なことを忘れていたの。ワタシ達は、『人間』の身体を捨てて、ロボットになった。この街に人…ロボットがいないんじゃ無い。皆死んでしまったの」



と。少女はまた悲しげな顔で俯いていた。



 彼女の言うロボットの『死』とは、思考の停止のことであった。


 人間は、吸血鬼に勝つために肉体を捨て、鋼鉄のカラダを手に入れた。頑丈な吸血鬼の拳で蹴りで壊れないように、吸血鬼が触れない素材、『銀』をカラダに溶け込ませていた。だから、俺は少女に触ることが出来なかった。



 そうして、吸血鬼から身を守るため、人類の平穏を取り戻すため人間は皆、ロボットへと変わっていった。記憶をロボットに転送し、そして肉体は焼き払う。ロボットのカラダは自分そっくりに作られているから、おしゃれだって何だって出来た。肉体に未練がある人間もいたらしい。しかし、焼き払わなければ血を吸われる。だから、人間は自らの手で自分の身体を燃やしたのだ。




 そこまでして、人間は吸血鬼に勝ちたかったらしい。



 機械には詳しくない俺だったが、そこまできいて人間が実に愚かで、阿呆な生き物だと思った。こんな奴らの血を吸ってしか生きていけない自分の身体がいかに貧弱で、そんな人間の血で生かされている自分の身体が嫌になってしまった。



「吸血鬼の生き残りは貴方だけなの?」

「多分な。でも、もうどうでも良いことだろ。人間がいないんだったら、俺は生きられない。全部人間の身体は焼き払われてしまったんだろう?」



 少女はコクリと頷いた。



 靄のかかった記憶が、その靄が晴れていく。


 眠りにつく前、何かを察した同胞が「逃げてください」と俺を棺桶の中に押し込めた。吸血鬼の『王』である俺をぞんざいに扱うとは許しがたい行動であったが、同胞の必死さに負け俺は棺桶の中で数ヶ月の眠りについた。



「『王』そうか、そう…なのか」



 そこで、思い出した。


 自分が何者なのか、何故自分だけが生き残っているのか。


 『王』。そう、俺は『王』だったのだ。吸血鬼の『王』だったのだ。気高く、強く、美しい吸血鬼の王。

何よりも同胞を救わなければ、導かなければいけなかったのに、数ヶ月という間に同胞は皆死んでしまった。今俺が飢えで苦しんでいるように、皆それ以上の飢えに苦しみ死んでいったのだ。挙げ句の果てに、同胞同士の血肉をくらいあって。どれほど苦しかったのだろう、辛かったのだろう、人間を恨んだのだろう。俺にはその苦しみも痛みもわかってやれない。もう、死んだ者達のことなど、悲しむことしか出来ない。仇討ちも、『仇』を討つ相手すら居なくなってしまったのだから。



 この怒りの矛先は誰に向けよう。


 俺は、少女を見上げた。少女も憎しみの顔で哀しみの顔で俺を見下ろしていた。地面に手をつき、俺は爪が食い込むぐらい強く拳を握る。



「『わたし』のお父さんとお母さんはね、ロボットの研究に携わっていたの。それでね、ロボットに記憶を植え付ける際失敗して、そのまま死んでしまったの。お父さんの記憶は感情は…、お父さんはもう何処にもいないの。お母さんはね、記憶をロボットに映すことは出来たけど、自分がロボットになってしまったことを受け入れられなくて暴走して、壊れてしまったの。そうして、『わたし』は何も知らないまま、お父さんとお母さんのためになるって信じてロボットになったの。一番最初のロボット。それがワタシ」




 少女は言うと、色あせたノートのようなものを差し出した。可愛らしい花柄のノート。俺は血の滲んだ手でそのノートをぺらぺらとめくっていった。




***




 ×月×日


 夜、お父さんとお母さんが帰ってこなくて、黙って家を出てしまいました。夜は街の中をうじゃうじゃと吸血鬼が歩き回るから危ないと言われていたけど、言いつけを破って外に出てしまいました。

 そして、わたしは吸血鬼に出会ってしまったのです。逃げようと思いましたが、丁度食事中で、人の血を吸っている所を見てしまい、足がすくんで動けませんでした。そんなわたしを吸血鬼は見つけ、飛びかかってきたのです。もうダメだ。と思い目を閉じた瞬間、誰かがわたしの肩をそっと抱きました。

 目を開けると、格好いい顔の吸血鬼がわたしをもう一人の吸血鬼から守ってくれていたのです。助けてくれた吸血鬼を見ると、もう一人の吸血鬼は青ざめ何処かへ行ってしまいました。

 わたしは、助けてくれた吸血鬼にお礼を言おうとしたのですが、いつの間にかその吸血鬼は消えていたのです。お礼が言えないままでした。たった一言、ありがとう。って。





 ×月×日


 次の日、お友達が吸血鬼に襲われしわしわな状態で見つかったと電話がかかってきました。吸血鬼は子供を眷属にしたくないらしく、血を一滴も残さず吸い尽くすのだそうです。

 お友達のお葬式は、その日に行われました。こんな貧相な葬式しか開けずごめんね。とお友達のお父さんとお母さんは泣いていました。

『絶対に吸血鬼を許さない』とお葬式にきていた人達は皆いっていました。

 わたしは昨日の出来事を口にすることはありませんでした。確かにお友達が死んだことは悲しいことです。でも、わたしを助けてくれた吸血鬼。優しい吸血鬼だって居ることをわたしは知ってしまったのです。


 だから、わたしはその日何も言えませんでした。皆が皆、悪い吸血鬼じゃ無い。それを少しでも他の人に知って欲しかった。




***




 目にとまったそのページを見て、俺は目をかっぴらいた。いつの日か、気まぐれで助けた少女のことを思い出したからだ。悠久の時を生きる吸血鬼にとっては、人間の一日なんて一瞬のことで、そんな記憶すぐに忘れてしまうのだが、頭の片隅にあったその記憶が呼び起こされた。



 本当に気まぐれだった。同胞の食事があまりにも汚く、吸血鬼の恥だと思ったから、そしてその汚い手で少女まで食べようとしていたから俺は止めに入った。気まぐれだ。本当に気まぐれだった。その少女が今、目の前に居るのだ。いや、もう、俺の助けた少女ではないのだが。



 少女と目が合った。



「あなたでしょ、『わたし』を助けてくれたの」

「ああ、ああ…そうだな。でも、勘違いするな。助けたんじゃ無い。ただの気まぐれだ」

「傲慢だなあ」



 少女はそう言うと、プッと吹き出した。ロボットでも、笑えるのかと俺は不思議そうに見ていると、少女の顔はまた暗くなった。その表情はうかがえない。そして、ぼそりと呟く。



「『わたし』は吸血鬼を恨んでいなかったけど、ワタシは吸血鬼のことが大嫌い」



 機械を通して発せられたその声は、かすかに震えていた。



「だって、だって!吸血鬼のせいで皆死んじゃったんだよ。お父さんも、お母さんも。吸血鬼がいなければ、きっと生きていた。もっと違う研究をして皆を笑顔にしていた筈なんだもん」

「俺も、『人間』がいなければと思っていたよ」

「そんなこと―」

「だがな、俺たちは人間がいなきゃ生きていけなかった。だから、感謝している。だが、許せない」



 俺がそう言い終えると「ワタシ達と一緒じゃない」と少女は小さな声で言う。



「大切なことを忘れていたのよ。人間は。こうなる未来を予測できなかった」

「お前らが吸血鬼になりかわり、悠久の時を生きていくんだ。死ねない。苦しい、ひとりぼっちでな」



 俺はそう吐き捨ててやった。


 だんだん思い出してきた記憶。俺は最初ひとりぼっちだった。吸血鬼は俺だけだった。吸血鬼だということを隠し人間と遊んでいた。友人と呼べる存在も出来た。



 でも、俺の身体は成長しなかった。ある程度まで、成人男性の身体になるとその成長は止ってしまった。皆、皺が増え、腰が曲がり、髪が白くなっていくというのに、俺の身体は老いることが無かった。そして、友人はいなくなってしまった。


 そして、俺は孤独に悩まされ、人間の血を吸い、自身の血を与え眷属にした。俺の孤独を知って欲しかった。一緒に生きて欲しかった。ただれそれだけだったんだ。



 それがいつしか、吸血鬼の王と呼ばれるようになり、吸血鬼と人間が…。



「じゃあ、ワタシ達、二人ぼっちだね」



 そう口にしたのは少女だった。少女は照れくさそうにそう言って、俺の手に触れようとした。



「ッ」

「あ、ごめんなさい。そんなつもりじゃ」

「わかってる。わかってるんだが」



 そこに壁があるようだった。触れられる距離にいるのに、触れることが出来ない。少女が俺を抱きしめれば、俺は全身火傷で死んでしまうだろう。そんなことは互いにわかっているのだ。わかっていても触れたいと思ってしまうのだ。



「この街にはもうワタシしかいない。何もすることなく、過ぎていく日々を浪々と生きているだけ。優しい吸血鬼さん。よければ、お友達になって欲しいな」

と、少女は。



 俺は考えた。俺の寿命は精々もって何日か。もう、食料である人間はいないわけだ。それに比べ、少女はロボット。きっと燃料か何かさえあればずっと生きていける。

 それに、『王』である自分のプライドがそれをよしとしなかった。いつの日からか、『王』として自覚し、恥じぬように生きてきたせいか。理由は何だっていい。ただ、初心に返り、「孤独が嫌だ」という言葉だけを頭に刷り込ませ、俺は少女を見た。



 ロボットの少女と吸血鬼の王か。


 どちらも、人間ではない。長い時間を生きるもの同士、悪くないのかも知れない。



「いいだろう」

「やった!じゃあ、今日からワタシ達友達だね」



 はしゃぐ少女は、その容姿に似つかわしい年相応の女の子だった。だけれど、機械的で全てが綺麗で。喜びを表現しようとしているのに、何処かぎこちない。冷たい。

 少女はそのことに気がついているのだろう。気がついていて、気付かないふりを続けているのだろう。人間だと振る舞いたい。


 彼女はいっていた。『わたし』とワタシは別物だと。

 もう『わたし』は何処にもいないのだと。悲しいことだ。




 昔、人間の友人がいっていたことをおもいだした。



「ロボットはね、便利なんだ。温度調節しなくてもいいし、風邪引かないし。寝なくても怒られない」

「それは、いいことなのか?」

「良いこと…だと思う。けどね、ロボットには感情が無いんだ。感情らしきモノがインプットされていても、それは厳密には感情じゃ無いし、泣くことだって出来ない。鋼鉄のカラダから水は出ないからね」



 そんな在りし日のことを思い出し、俺は目を閉じた。少女のことを考えたのだ。少女は何を考えているのだろう。本当の「彼女」だったら、何を思うだろうか。とそんな馬鹿げたこと。



「どうしたの?吸血鬼さん」

「いや、ロボットが感情を感じる部分はあるのかと」

「そうねー、でもねロボットも心臓があるの」



 少女は何かひらめいたように、きていた修道院の服を脱ぎだした。いきなり何をするんだと、俺が目を塞ぐと「ロボットのカラダだよ」と少女は悲しそうに言う。



 でも、お前は普通の女の子だっただろ。



 そう返そうとして口を閉じた。彼女が気にしていることを口にするのは良くない。俺は首を横に振った。



「ほら、吸血鬼さん。これがロボットの心臓」

「…綺麗だな」



 へへ、ちょっと恥ずかしいな。と少女は照れ笑いする。少女は、胸の真ん中にある銀色の塊をみせてくれた。とても、心臓の形とは言えない、ただの銀の塊。俺が触れることが出来ないその塊は、月明かりを浴びて白々と輝いている。



「ここにね、記憶があるの。『わたし』だった頃の記憶がね」

「そうか、絶対に吸血鬼には壊せない触れられない部分にあるんだな」



 少女は、銀の心臓をしまうとまた服を着て月のような瞳を爛々と輝かせた。



「大切な、大切なモノ。もう、ここでいたいとか悲しいとか感じないけど。でも、思い出すことは出来る」




 俺は黙って少女の話を聞いていた。



 懐かしそうに自分の胸に手を当てそうして、少女は祈りを捧げるように手を合わせ目を閉じた。ロボットであるが、その姿はやはり綺麗だ。どれだけ、高度な技術があればこれほど人間に似せてロボットが作れるのだろうか。吸血鬼の世界には無かった技術、触れられなかった記述だけに珍しく、興味が湧く。


 ただ、やっぱりそこに壁があるのだ。

 人間と、吸血鬼の世界は違うワケで。


 祈を終えた少女は、ふうと息を吐く。



「何を祈ったんだ?」

「ナイショ」

「教えてくれたって良いじゃないか」



 そう俺が言うと、少女は「いつかね」と口に指を当てて笑った。

 いつか、とはいつだろう。とふと考えてしまう。俺達の「いつか」は数日先でも数年先でもない気がする。もしかしたら「いつか」なんてこないかも知れない。それだけで、俺は悲しくなってしまった。



 吸血鬼は、悲しいと思うんだ。こんなにこんなに悲しいと思うんだ。



 お前が感じられなくなった分、俺は心を痛めているんだ。

 少女の話や、世界の現状を聞いてやり場の無い怒りも、恨みも何処かに消えてしまった。それこそ、靄のように粒子となり散らばっていった。



「こんなことを聞くべきじゃないと思ってはいるが、答えてくれ。君は人間に戻れるなら何がしたい?」



 その質問は、傷つかない少女を傷つける発言だったと思う。だが、聞きたい。

 お前に心があるというなら。



「え、えっとね。ワタシはね…えっとね」

「俺が人間だったら、皆と同じ時をいきたい。同じ風に笑って老いて、それで死ねればと思っている」




 吸血鬼さん。と、彼女の手がまたすっと俺に伸びた。

 でも、すぐに引っ込め少女は質問の答えを出した。




「ワタシね、泣きたいんだ。一杯、一杯泣きたいの」




 ***



×月××日


 ワタシはロボットになった。「わたし」の日記帳に、ワタシが書く資格もなにもないかもしれないけど、この気持ちだけは書き残したかった。きっと、これはワタシであって「わたし」でもあるから。


 科学者達はわたしに「希望」だといった。でも、わたしは希望になれない。


 お父さんとお母さんが死んだことに絶望しているわたしは、皆の希望になれない。希望を持っていないわたしに、何も救えない。


 ああ。こんなに悲しくて辛くて胸が張り裂けそうなのに、ちっとも心が痛くない。お父さんとお母さんの帰りが遅くても我慢していたかなしみも、お友達が死んだかなしみも、もう何も感じないの。

 ずっと、ずっと涙を我慢していたのに、やっと泣ける泣いていい場面に出くわしたのに、わたしはワタシは泣けないの。



 わたしの身体を返して。


 こんなに悲しいのに、辛いのに、ちっとも心が痛くないの。お願い、泣かせて。誰か助けて。




 ***



「そう、か。泣きたいのか」

「うん。泣きたいの。一杯一杯悲しいことがあったのに、「わたし」だった頃は全部我慢してたの。それで、ワタシになってからようやく泣ける、泣いていい…お父さんもお母さんも死んで、自分がロボットになっちゃって、それまでの哀しみが一気に押し寄せてきたのに」



 こういうとき、頭を撫でるべき何だろうなと思った。でも、俺の手は彼女に触れることは出来ないのだ。あの日あった彼女じゃ無いから。



「悲しいって、思ってるんだろ。だったら、泣けるさ」

「悲しいって記憶の中だけだもん。ワタシの心は冷たいままで」

「いいや、お前はずっと悲しい顔をしてただろ。ロボットにも心はある」



 教会に差し込む月明かりは、いつの間にか温かい太陽の光へと変わっていっていた。



 夜が明ける。朝が来る。

 しかし、もう俺は歩く気力も何処かへ隠れ生きる気力も失っていた。誰も残っていない世界、生きている意味は無いだろう。いいや、もう永遠はこりごりだ。



「吸血鬼さん、寝るの…?」

「ああ、もう疲れたんだ。寝るよ」

「また、起きたら友達としてお話ししてくれる?」

「ああ、そうだな。それじゃあ俺が子供の時の話をしようか」



 少女は「嬉しい」と笑顔を作る。でも、俺がもう一勝目を覚まさないことを悟ったかのような笑顔に、俺は胸が痛くなった。

 ごめんな。もっと早くお前と出会っていたら、もっと早く人間のお前と友達になっていたら、お前を助けられたかも知れないのに。



「じゃあ、子守歌。歌うね」

「…ああ、ありがとう」



 俺は目を閉じる。優しく、温かい子守歌を少女は歌う。人間のような抑揚のある美しい声に耳を傾けながら、俺は少女の歌に包まれながら意識を手放した。

 朝日が、教会の中に差し込み俺の身体は灰となり、風に運ばれていく。灰となっていく俺を少女は抱きしめた。少女の月のような瞳から冷たい何かが零れ灰とともに流れていく。光り輝く涙を、俺は確かに見た。



「吸血鬼さん…ありがとう」



 少女もそう言って、前へ倒れた。バラバラになった鉄の塊の中で、銀の心臓だけが美しく輝いていた。


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