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ドジっ子王子のお守り役ですが、このたび婚約者の座まで拝命致しまして

作者: 蛹乃林檎


 いや、待て待て待て。


 と、王国騎士団所属の女騎士クレアは、今朝突然聞かされた寝耳に水な自身の婚約話にそう心の中で繰り返した。


 クレアが日課の早朝訓練に励む最中ふらりとやって来て、婚約が決まった旨を伝え去って行った幼馴染兼王太子秘書官のローウェル。

 通りがかったついでのようにそんな重大なことを軽ぅく告げていった奴のせいで、クレアはいま激しい混乱に見舞われているのだった。


 急に婚約などという話に意表をつかれて直後は頭が追いつかず、おめでとうと言い置いて帰っていく彼をその時は呆然と見送ってしまった。

 しかし、時間が経つにつれて理解を終えた頭の端から、いや、ありえないと順に喚きだしていまや思考はパンク状態だ。


 ローウェルは飄々とした顔でふざけたことを平気でするし言う男なので、これも何かの冗談かもしれない。

 

 とにかく詳細を聞くためローウェルの下へ向かおうと、クレアが王宮の廊下を急ぎ二階へあがったところで、後ろから呼び止める者があった。


「クレア!」


 呼びかけに振り向くと、階段下から顔を覗かせる青年が一人。

 クレアに向けてニコーッと満面の笑みを浮かべるその青年は、あと数日で十八になるというのに何処かあどけなさを感じさせる。

 けれどそう見えてしまうのは、幼い頃から側で見守ってきたからだろうな、とクレアは階段下の青年に向き直った。


「……おはようございます、ミハエル殿下」


「おはようクレア、今日も早いね」


 ニコニコと挨拶を返したミハエルは普段と変わらず愛らしい。しかし今日のクレアは苦々しく思いながらその笑顔を見返す。


 この人は知っているものか、否か。

 やはりローウェルのたちの悪い悪戯か。


 ミハエルの様子の変わらなさに、心中を量りかねて眉間に皺が寄ってしまう。


 何故なら、今朝ローウェルから告げられたクレアの急な婚約のお相手とは、このミハエル王子だからであった。


「いつもの訓練は? もう終わったの? だったらちょっと付き合ってくれないかな。一緒に探してもらいたい本があってね、どこにしまったか——」


 ミハエルはそう言いながらクレアを見上げて階段を上ってきた。クレアはそれにギョッとしてしまって、思案も忘れて慌てて大声をあげる。


「で、殿下! いけません!」


「あ……急いでた? ごめ——」


「いえ、急いでおりませんし、本も一緒にお探し致します! ですから今はお話しになるか階段を上るかどちらか一つに集中なさって、上るなら足下を——」



 ズダダダダダダダダダダダダダッ!



 咄嗟に制止したクレアだったが時既に遅く、あ、と短く声を発したミハエルは足を踏み外し、物凄い音を立てて階段を踊り場まで滑り落ちて行った。


「——殿下ぁっ!」


 クレアは悲鳴に似た声を出してすぐさま階段を駆け下りた。

踊り場では階段に突っ伏す様な体勢でミハエルが動かないでいるのでクレアは青ざめる。


「殿下、大丈夫ですか⁈ お怪我は⁈ 痛いところはございますか⁈」


 見たところ血が飛び散った様子はないが、ミハエルは呼びかけにも応えないし動きもしないのでクレアは焦る。

 肩口で揃えられたバターブロンドの髪が顔を隠していてミハエルに意識があるかもわからない。


 とにかく医師をと、物凄い音に人の集まって来ていた階下にクレアが声を掛けようとすると、ムクッとミハエルが身を起こした。


「……いで」


「——殿下! 起きられて大丈夫ですか⁈ ご無理なさら——」


「見ないでぇっ!」


 起き上がったミハエルは真っ赤な顔をしてクレアに振り向き涙目でそう言うと、手を付きつつ逃げるように階段を駆け上って行った。


「で、殿下! 急に動かれては……医師を呼びますので——」

「どこも痛くない! もう忘れてぇ!」


 羞恥心の滲んだ声で叫んだミハエルはそのまま二階に上がり、ドタッと転んだであろう音を残して廊下の向こうに消えた。


 残されたクレアは、そんなミハエルの様子に呆気に取られながらも深いため息を吐いてしまった。

 ローウェルの告げたありえない婚約話が、蓋然性を帯びてしまったと思えて。

  

 *

 

「今朝の話はなんだ、どういう意味だローウェル」


「どういうって、言葉どおりだろうが。それ以外に意味なんかあるか? お前、おり役し続ける為にミハエルとの婚約が決まったんだってな、おめでとう。これの何処に隠喩だとんちだを潜ませる余地がある?」


「むしろ潜ませてあってほしかったよ! なんでそんな話になってるんだ!」


 クレアは薄ら笑いを浮かべている幼馴染ローウェルにそう詰め寄った。

 あれから念のためミハエルの階段落ちの件を医師に報告したクレアは、当初の目的どおり旧知の仲のローウェルの下へ来ていた。


「なんでってそりゃぁお前、ミハエルの婚約者に相応しい相手がお前しかいなかったからだろ」


「相応しい⁈ 私のどこをどう評価したらそんな結論になるんだ⁈ 何も釣り合っていないだろうが!」


「俺が決めたんじゃないんだ、俺に喚くなよ。それに釣り合いって言うならお前の家は騎士家系の名門伯爵家。親父さんなんか近衛騎士長を務めてる陛下の信任も厚い立派な人だ。釣り合ってんだろ、それなりに」


「家柄の話をしているんじゃないよ。それだって本来的には他国の王女殿下とでも婚約すべきところだろうが……もっと大本の部分が釣り合っていないだろう⁈」


 クレアがそう憤る側で、ローウェルはミハエルの公務用の資料を面倒そうに準備しながら考えるようなそぶりを見せた。


「……大本? 何のことだ?」


「とぼけたふりして揶揄っているのか? 見てわかるだろう、私は殿下よりも年上なんだ。それも十もな!」


 クレアはそう言ってバンと資料の並ぶ応接用の机を叩いた。


 そう、クレアはミハエルとは十歳離れた二十八歳の女騎士なのだ。


 向かいの長椅子に座ったローウェルはそんなクレアをちらりと見てから、ズレた資料の位置を几帳面に直した。


「俺とは七つな。だがそれが何だ。成人した大人どうしの間に歳の差があろうが瑣末なことじゃないか」


「大人として成熟していればいざ知らず、直前まで子どもだった成人したての十八歳だぞ? 十もの歳の差を瑣末で片付けていいわけないだろ!」


 そうかなぁとローウェルは惚けた声を出して、引っ詰めたアッシュブロンドを乱して訴えるクレアに座るよう促した。


「まぁ、落ち着けって。別に悪い話じゃないだろう? ミハエルは可愛い奴なんだから」


「殿下とお呼びしなさい。いくら遊び相手として幼少期から兄弟同然に接していただいているとはいえ、王太子でいらっしゃるんだ」


「……殿下に不満があるわけじゃないんだろ? いいじゃないか、婚約すれば。お前はここまで浮いた話の一つもない仕事人間なんだから、急に婚約したからって誰かとの間に何か支障が生まれるわけでなし。今までと何も変わらない、仕事の延長のようなもんだって。あのミハエル王太子殿下との婚約なんてさ」


「私のことはどうでもいい。しかし婚約が警護の仕事と一緒と——」


「同じなんだって。むしろ同じでなくちゃ困るからお前が選ばれてるんだよ。あの超絶ドジっ子人見知りあがり症王子様を婚約者、果ては王妃として永久的に支えられるのはさ。クレア、あいつを幼少期からフォローし続けて来たお前しかいないんだって」


 トンッと用意した資料を纏めて机の上で揃え、ローウェルはそう言うとクレアへニヤリと笑いかけた。



 クレアがミハエルに仕えるようになったのは、騎士候補生として訓練を始めたばかりの頃のこと。

 五つだったミハエルの遊び相手として、王の秘書官の息子であり歳も近かったローウェルが王宮に呼び寄せられたのがきっかけだった。


 ローウェルは今も対して変わらないのだが当時は中々の悪童。

 そのためローウェルの父は大事な王太子の周りをうろつかせてはまずい、と丁重に断ったそうだが王の頼みとあっては断りきれず。

 承諾したものの不肖の息子の悪童ぶりを懸念して、旧知の仲のクレアの父に相談した結果、クレアがお目付役として二人を見守ることになったのだった。


 初めて会ったミハエルは髪も長く女の子のように可愛らしくて、ズボンを履いていなければお姫様だと思ったくらいの美少年だった。

 潤んだ翡翠色の瞳で上目遣いにこちらを見上げ、蚊の鳴くような声でおどおどと挨拶を口にする姿に一瞬で護るべき対象と認識したものだ。

 そこへ悪童ローウェルが、物怖じしないどころか不敬にも本当に王子かと服を脱がせにかかったものだから、慌てて引き剥がしたのも今では良い思い出……かもしれない。


 人見知りが強いと聞いていた上に最悪の初対面となってしまったミハエルだったが、最初こそ怯えた様子を見せていたものの次第にローウェルと打ち解け、クレアにも懐いた。


 それからローウェルとは兄弟のように仲良くなり、今でも変わらず親友と呼べる間柄でいる。

 それは良かったのだが、仲良くなりすぎた為に女性側の浴場を覗くのに付き合ってしまったり、一緒になって廊下に油を撒いてはメイドや兵士達を転ばせて遊んだりするので、お目付け役としては大変苦労させられた。

 その度に慌てて止めに入ってローウェルを叱り、ミハエルを諭し、方々へ謝罪して後始末をさせられるのだから。


 そのうえそれだけでも骨が折れたのに、二人も成長してやっと落ち着いてきた頃に更に別の問題が発生、というか発覚した。

 ミハエルは歩けばぶつかり走れば転ぶ、度が過ぎた危なっかしさを備えた人だったのだ。



「……お支えはもちろんするさ。それが私の使命だと思っている。だが殿下と婚約……なにもそこまでする必要はないだろう? 私は近衛騎士としてこれからだって変わらずお側で——」


「だから、そうはいかなくなるんだって。あいつはもうすぐ成人するんだから、そうなったら国内外での公務がぐんと増える。それはつまりあいつの露出が増えるってことなんだ。するとどうなる? 今まで必死に隠してきたダメダメな部分が国民の目に触れて、こっちが必死で保ってきた優秀な王太子像が崩れることになるんだよ!」


「ダメダメとはなんだ! 殿下はとても優秀な方だぞ。国有農地の運用について提言された新案が、先の議会で検討入りもしただろう。あのお若さで国を良くしようと考え、国内外の情勢も積極的に学ぶ勤勉さを持った素晴らしい方じゃないか!」


「優秀は優秀だよ。だが我が国は騎士の国だ。王はその筆頭として有事があれば先頭に立って国を守って来た歴史がある。国民が王に求めるものは今の時代も強く頼もしい姿なんだよ。それが何も無いところで転んだり、自分で開けたドアに頭をぶつけて悶絶したりする情けない王では国民の不信に繋がるだろうが」


 今朝の階段落ちのように、ミハエルは歩いているだけで怪我をする懸念が付き纏う危なっかしい人なのだ。

 その為ローウェルが言うとおり、この国は今も昔も強く頼れる王を求めていると皆わかっているので、ミハエルの情けなさが表に出ぬようにクレアを始め周りがカバーしてきたのだ。


 もっとも、クレアはそんなミハエルをずっと目が離せず可愛らしいと思ってきたのだが。


「か……可愛らしいではないか。微笑ましいし、むしろ国民も親しみ易かろう」


「百歩譲ってそれだけならな。剣術も馬術も出来ぬわけでもないし。だがそれが披露出来るのも気心知れた者の前でだけだ。知らない者の前ではあがってしまってまともに喋れもしなくなるし、人見知りは行き着くところまでいって酷いと過呼吸で倒れるんだ。可愛いで済むか」


 ローウェルはそう言ってそれまでニヤついていた表情から一転、厳しい顔をした。


「クレア。お前は他国の姫君と婚約をと言うが、ミハエルがこれまでに何度か国賓と交流する機会があったのを憶えているだろう? それで将来のお妃候補たる姫君達とあいつが打ち解けたことがあったか? ないだろ? そのうえ醜態を晒しまくってきたんだから、あっちからお断りされてるのが現状なんだよ」


「なっ……醜態など殿下がいつお晒しに——」


「忘れたのか。九つの時のティアラ姫。二人で散歩でもと庭を歩かせた時のことを」


「ティアラ姫……あぁ、あれは確か……」

 クレアは記憶を辿る。


「憶えているな? そうだ、もぐらが掘った穴に足を取られて転んだミハエルが、恥ずかしさから倒れたまま動かずにいた為に、死んだと思ったティアラ姫がパニックを起こしたあの事件」


「あれは随分な騒ぎになったな。急に姫の泣き叫ぶ声が聞こえて何かと思えば、ミハエル殿下が顔を真っ赤にして地面に伏せていて……全く動かないから私が抱え上げて部屋へ連れ帰ったんだ。恥ずかしすぎて起き上がれなかったと言うのだからお可愛らしい」


 うんうんと当時を思い出して頷くクレアにローウェルは続ける。


「あれ以来ティアラ姫とは個別に交流はない。姫はしばらく庭を散歩するのを怖がっていらしたそうだ」


「姫君には申し訳ないことをしてしまった……あれ以降反省したよ。遠くからではなく、すぐにお助けできる距離で見守らねばならないと」


「他に事例を挙げるなら十三の時。とある公爵家のご令嬢」


「お二人でお茶でもと時間を設けた時のことか」


「周りが退室して二人になった途端、緊張から過呼吸を起こし倒れた」


「……あれも反省した。個室でなくオープンスペースにしてお側に待機しておけば良かったんだ。あの後私やご家族以外の女性と会話が出来なくなって……配慮が足りなかったばかりにと胸が痛かった」


 思い出すと今も胸が痛んでクレアが胸を押さえると、今度はローウェルが机を叩いた。


「これに類似することが幾度となく起きてる! お前は可愛いとでも思っているんだろうが、国内外の貴族階級の間ではミハエルは腫れ物扱いだ。縁談なんて一つも進められないんだよ。将来国民から総バッシングされるかもしれない、あんな情けない奴のフォローをさせられるのは御免だってな」


 ローウェルはそう言ってズイッと向かい合うクレアに顔を寄せた。


「いいか、あいつは穴があれば落ちるし、池があったら嵌る男なんだ。加えて俺たちのいない場所で他人に囲まれてみろ、ついには緊張のし過ぎで死ぬぞ! だが成人後の露出はこの先嫌でも増える。俺はともかく騎士のお前じゃ今までのようにべったり貼り付けない場面も出てくるんだ。それなのに、公の場で一緒に行動しても不思議でなくフォローの出来る妃候補など永遠に現れない。だからお前なんじゃないか! あいつが人見知りせず、フォローも出来て家柄も釣り合う。あいつの婚約者はクレア、お前しかいないんだ」


 鼻先まで顔を寄せて力説されてしまっては、クレアも流石にたじろぐ。


「……そ、そんな理由で、婚約……」


「安心しろ。婚約といってもお前には今までどおりのフォローしか求めていないし、あいつも求められていることはただ一つだ。いかに強く頼もしい王の姿と威信を守り抜き、次の世代に繋げるか。しかし次とは言うが子作りに励めとは言ってない。王弟殿下にはご子息が二人もいらっしゃるからな。だから安心してフォローにのみ徹しろ」


「フォローにのみ——」


「なんだ? 子作りに励みたいなら、そこは好きにしていいぞ」


「そんな話を誰がした! 経緯は理解したが、そのような婚約はありえないと言ってるんだ! 大体殿下だってこんな話を飲まないだろう!」


 クレアが睨むとローウェルは乗り出した身を戻し、何故か得意の薄ら笑いを浮かべた。


「あいつはさ、よくわかってるよ自分の立場を。使い方もな。だから望まれていることと自分が望んでいることをどう擦り合わせればいいのかも、ちゃんと考えて行動してる」


 婉曲な言い回しに要領を得ず、クレアは首を傾げる。


「……つまり、なんだ?」


「これは決まったことなんだから、王太子の任として受け入れてるってことだよ」


 この婚約が王太子の任。そう聞いて心臓がギュッと掴まれたように痛んだので、クレアは胸に当てたままだった手で胸元の服を握った。


「……そうか。王太子であられるんだ、婚姻を個人で自由になど出来ぬものな。それでも十も年上の女との婚約を承諾なさるとは……出来た方だ」


「あぁ、ミハエルはよく頭の回る奴だよ。それでお前の方は? まぁ断れるものでもないけどな。なんせ国体が掛かってる」


「……納得はしていない。が、理解はした。殿下が拒否なさらない以上、こちらから断りを入れるなど出来ようはずもない。任というのなら受ける以外にないだろう」


 そう言ってクレアは立ち上がったが、ローウェルは座ったままでじっとクレアの鳶色の瞳を覗き込んできた。


「クレア、俺はさ、あいつの親友でもあるけどお前の幼馴染でもあるんだよ。だからお前達のことはよーくわかってる。お前としては相手がミハエルで喜ばしいだろ?」


 グレー掛かった黒い瞳は仕舞い込んだ心まで見透かせるのだろうか。

 悪童だった頃と変わらずニヤつくローウェルの瞳にそんなことを思って、クレアは部屋のドアへと身体を向けた。


「……王家をお支えするのが私の仕事だ。だからこの婚約も仕事の内だ。話はよくわかった、邪魔したな。それとローウェル。私は年上だ、お前呼ばわりはやめなさい」


「クレアよ、これを機に素直になってみればいいじゃないか。年の差なんて気にしてないで、ラッキーとでも思ってさ」


 背中で聞いたその言葉には返答せず、クレアは部屋を後にした。

 


 昼も近くなってきて、差し込む日差しが早朝よりも強くなった王宮の廊下をクレアは一人歩く。

 開け放たれた窓から時折り吹き込む風が、一つに結った髪から零れてきた毛を揺らす。

 顔にかかるそれが気になって一旦髪を解いたクレアは、結び直そうとして深く溜め息を吐いた。


「任か……そうだな」


 成人したての王太子が、恋仲でもない十も年上の女と婚約させられるのだ。それこそ仕事でしかない。

 わかっていたが改めて聞くと、そんな理由でと悲しいものがある。


 では何と答えて欲しかったのかと自問自答しそうになって、クレアは頭を振った。

 あるわけないのに、いい歳をして何を考えているのだろう。まだ少年と呼んでもいい十も年下の若者に、望んで婚約して欲しかっただなんて。


「何がラッキーだ、バカめ。殿下はまだ十八だ。やっと世界が広がり始めるところで、この先出会いだって幾つもあるんだ。これは形だけの婚約なのだから、いずれ殿下は本当に慕う方を見つけてそして——」


 心寄せる人と愛を語らう姿を、クレアは形だけの妃として隣で見ることになるのだ。

 それを思うと辛くて堪らず、クレアはまた溜め息を吐いた。


 このまま警護兼フォロー役の近衛騎士として側にいるなら、いずれミハエルに現れる愛する人も受け入れられただろう。

 だが、曲がりなりにも婚約者や妃という立場になってからそれを受け入れるのは辛い。


 ミハエルの隣を不当に埋めてしまう罪悪感を抱え、一番近い場所にいるのに全うすべき職務という繋がりしかないのだと突きつけられ続けるのだから。


 それを想像すると申し訳なさと虚しさで胸が苦しくなってくる。出来るなら婚約など破棄してもらいたい。

 十も年下のミハエルのことを密かに慕ってきたクレアには、この婚約は辛いだけだ。


 護るべき対象に、それもついこの間まで子どもだった相手に懸想するなど恥ずべきことだと秘めてきた。

 それがここへ来て形だけ成就してしまっては、気持ちの方もなどと邪な考えが浮かんでしまう。


 それをクレアは振り払う。

 ミハエルにとってはどこまでいってもクレアはただの近衛騎士。

 婚約がこなすべき仕事でしかないのは当然だ。十も年上の世話役でしかないのだから。


 しかし彼はそれでも婚約を受け入れた。

 個人の感情云々よりも、王太子としての責務を優先して。


 だからクレアもこの婚約からは個人的な感情を排除するべきなのだ。

 撤回が叶わぬ以上職務として、望まれるとおり隣で彼をフォローするだけの存在となるべく。

 例えミハエルが隣で誰に微笑もうとも受け入れて。



 まだ複雑な心を抱えたまま、クレアがそう今朝から混乱続きだった頭だけは整理し終えた時、後ろから足音がした。


「クレア」


 振り向くと廊下の先からやって来たのは今朝と同じくニコニコと微笑むミハエルだった。

 

 ローウェルによれば婚約の件は既に知っているはずだが、態度も笑顔も不思議といつもと変わらない。

 やはり職務でしかないからそこに何の感情もないのだろうな、とクレアは心の隅で虚しく思いながらも今朝の階段落ちの件を尋ねた。


「殿下……今朝は未然に事故を防げず申し訳ありません。お怪我の方はございませんでしたか?」


「え? 何のこと?」


 従者を先に行かせて立ち止まったミハエルは、笑顔を崩さずそう尋ね返してきた。無かったことにしたいらしい。

 こんな具合にたまに垣間見えるプライドの高さも可愛らしいのだとクレアは少し和んだ。


「いえ、お変わりないのでしたら結構です」


「クレアは何してるの? こんなところで」


「……ローウェルに用があったもので。殿下は朝からお忙しそうですね」


「うん、成人するにあたって式典やら何やらで確認することが多くて。ほら、僕の場合は婚約の披露も祝賀会と一緒にしてしまうから、打ち合わせも通常より——」


「——ええっ⁈」

「ええっ⁈ なに? なんで驚いたの?」


「せ、成人の祝賀と婚約披露が一緒⁈ そんな急な……まだ婚約すると決まったばかり——」


 驚くクレアにミハエルが不思議そうな顔を向けた。


「何言ってるのクレア。婚約自体は半年も前に決まったことじゃないか。僕の成人と同時にって、クレアのお父上含めて皆知っていることだよ。ローウェルから聞いていたはずでしょ? そのうえで普段通りにと——」


「聞いてません! ど、どういうことです⁈ なぜ私だけ何も……あいつめ何のつもりだ! 殿下、失礼します!」


 当事者であるのに直前まで何一つ聞かされていなかったクレアは、何かまたふざけたことを仕組んでいそうなローウェルの下へ取って返そうとした。


「クレア? どうしたの突然? どこ行く——あ」


 だが、背にしたミハエルが不穏な声を発したのが聞こえ、クレアは反射的に振り返る。

 すると今まさに追いかけようと踏み出した足を滑らせて、床に顔からぶつかりに行く勢いで倒れかかったミハエルが目に入った。

 クレアはそこへ咄嗟に飛びついてミハエルの身体を支える。


「殿下っ!」


 細身といえど成人間近の男性ともなれば子どもの時とは違う。

 支えるクレアも一緒に倒れそうになってよろめいてしまったが、なんとか踏ん張り抱き止めた。


「ご無事ですか⁈ お怪我は⁈」

「……平気。ごめん、いつもいつも……。もう随分とクレアよりも大きいのに」


 そう言ったミハエルは自身にしがみつくような形になったクレアを見下ろし、端正な顔を赤くして笑った。


 クレアは元よりそう大きい方でない。

 騎士候補生時代も支給された装備がブカブカで困った程で、年下の二人にだって背丈を追い越されるのも早かった。

 数年前に抜き去られてからは、年々ミハエルを見上げる角度は増している。

 その傾斜が急になっていく程に、護るべき対象でしかなかったミハエルに別の感情が湧くようになったのだ。


 そして今、真下から見上げるこの角度に、抱き合うようなこの距離に、クレアは波立つ心を抑えられなくなった。


「殿下……殿下は何故私との婚約に異議を唱えなかったのですか。歳の差だって十もあるのです。それなのに何故、婚約を受け入れたのですか」


 聞かずとも答えはわかっているのに、愚かにも期待してしまう。

 もしも、もしも形だけでなくそこに一欠片でも心があるのなら、と。


 しかしミハエルはどこか困ったように、見上げるクレアを見つめ返して言った。


「……僕は王太子だから。国益に関わる部分でわがままは通せない。君との婚約がこの国にとって最良の選択とされたのだから、そこに異議などあるはずもないよ」


 わかってはいたが、ミハエルの口から聞きたくはなかった。

 クレアとの婚約が職務でしかないのだと。


 クレアは身体が急に冷たくなる感覚がして、それまでミハエルを支えたままでいた手をそっと離した。それにミハエルが何かを察したのか、取り成すように笑顔を作った。


「だけど僕としては、どこかの国の知らない誰かじゃなくてクレアが婚約者になってくれて良かったと思っているよ。クレアの前でなら安らげるから。その……僕のせいで君を縛って申し訳ないと思うけれど。もしも誰か心に決めた人がいたのだったら、それは……」


 そうミハエルが申し訳なさそうな声を出したので、いけない、とクレアは泣き出しそうだった心を叱咤する。


「……いえ、そのようなことはありませんのでお気遣いなく。勿体無いお言葉までいただきありがとうございます。殿下をお支えするのが私の使命です。畏れ多い大役でございますが、この先も変わりなく仕えさせていただきます。……お止めして申し訳ありません、お送りいたしますよ。どちらに向かわれるのですか?」


 慇懃に礼をしたクレアはいつもどおりの笑顔を装って、普段と変わらずミハエルの警護に就く。

 例えどんな立場になろうと、それが使命なのだからと心に言い聞かせて。



 

 そうして普段どおりを機械的に繰り返すうちに、ついに迎えた祝賀会当日。

 ミハエルの成人に纏わる式典を全て終えたその日の午後に、賓客を招いての祝宴が開かれクレアとの婚約も披露される。


 式典の間は近衛騎士として警護に従事していたが、午後は主役の一人となるのだからクレアはなんだか変な感覚がしている。

 普段は騎士団支給の制服や儀装なので、久々に袖を通すドレスにも感覚を狂わされているのだろう。


 鏡の中のすっかり見慣れなくなってしまった自分を見つめて、クレアは溜め息を一つ吐いた。

 こんなにも憂鬱な祝宴があるものかと。


 いっそ感情を消してしまえたら良いのに。そう思ったところで時間となり、クレアはまた一つ溜め息を吐いて会場へ向かった。


「クレア! ドレスも似合うね、とっても綺麗だ」


 会場前ではミハエルが既に待機していて、クレアがやって来たのを見るとそう声をかけてくれた。

 しかし声の明るさとは裏腹に顔はどこか青白い。


 午前の式典では普段関わらない者達に囲まれたのだ、無理もないだろう。大きなトラブルこそなかったが、相当緊張していたに違いない。


「殿下こそ正装が凛々しくきまっておいでです。ご緊張なさったでしょうに、式典でのお振る舞いもご立派でございました」


「なんとかね……無事終えられて安心したよ。でもこの後の方が……大勢の前で話さなければいけないと思うと……」


「……私が隣に居りますよ。お支え致します、ご安心を」


 早くも想像で緊張してきたのか、ありがとうと頷いてから黙り込んでしまったミハエルの隣でクレアも覚悟を決める。

 

 邪な私情は滅し、この先はミハエルを支えるためだけに生きるのだ。

 例えミハエルが他の誰かを愛すことがあっても、それも全て受け入れて。


 そう自身に言い聞かせ終えた時、会場の扉が開いた。ミハエルとクレアが並んで足を踏み入れると、その瞬間大きな拍手で迎えられる。

 国内貴族はもちろん、他国からの賓客も多く駆けつけているようで会場内は大勢の人で溢れていた。

 それらの内の大多数がミハエルがどういう人物かを知っているので、クレアは歳の差に対する好奇の目の中に憐れみも混じるのを感じ取ってしまった。


 その後、壇上にあがるのに躓きかけたり手の震えが止まらなかったりと細かなことはあったが、ミハエルが無事一通りの挨拶を終えたところで祝宴はしばらく歓談の時間へと移った。


 ますます顔が白くなったように見えるミハエルは一旦下がるとのことで、クレアは今のうちに同僚に挨拶をと警備にあたる騎士達の下へ行こうとした。

 しかしその時、ざわっと一部が騒がしくなった。


「——きゃ……」

「おやめに——」


 トラブルか、とつい普段の癖で様子を窺いに行くと、そこには女性達に執拗に絡む男がいる。


「……あれは」

 随分と酒に酔った様子で女性に管を巻く男。


 彼は辺境領の侯爵家の息子ニック。

 普段はとても腰が低いのだが、酒が入ると反動なのか粗暴な言動や態度が目立ち始め、ちょくちょく騒ぎを起こす人物だった。


「周りも知っているだろうに誰が酒を渡すんだ」


 クレアも警備にあたった際に彼を止めに入ったことがある。

 酒が抜けると途端に大人しくなって可哀想になるくらい縮こまってしまう人なので、騒ぎが大きくなる前に退出させてあげようとクレアは駆けつけた。


「ニック卿。本日はご列席ありがとうございます。如何致しましたか?」


「あ? どうってなぁ、この女が俺の誘いを……んん? あんたは……名門伯爵家のご令嬢、王子の子守役クレア嬢か!」


「存じ上げていただいて光栄です」


「存じてますよ、この前の舞踏会で俺をつまみ出してくれたではありませんか。恥をかかされたのです、忘れませんよ」


 ならば学習してほしい、とクレアは苦笑いする。


「……少々お酒が過ぎたのではありませんかニック卿。ご一緒致しますので一度風に当たりに行かれては如何でしょう?」


「一緒に? あんた今日王太子と婚約したばっかだろ。いいのか早々に他の男と二人でなんて。まぁ、あんな情けないガキじゃ物足りないよな色々と。向こうも十も歳上なんて御免だと思ってるだろうが、形の上では王子の妃になるのにあんたも良い性格してるな」


 ハハハと愉快そうに笑ったニックにクレアも手が出そうになるが、素直に応じてくれたのでグッと堪え、様子を窺う警備の者達に目で合図しながら連れ出す。なんとか大きな騒ぎにはならなそうだ。


「なぁ、なんで十も歳上のあんたが婚約者なんだ? お守りを引き受けてくれる姫がいなくて貧乏クジ引かされたか? それともあんたが王子様を懐柔してきた結果か?」


 普段は気弱な男にこうも配慮や礼儀を欠いた言動をさせるのだから、酒は怖いなとクレアは適当に相槌を打つ。


「だとしたら幼少から取り入っておくなんて上手くやったもんだな。その年で縁談の一つも纏めなかったのは、これを狙ってわざとか? それで物足りない分は他所で埋めようっていうんだから、実直そうな見かけによらず強かな女だ」


 それともこっちが本性か、と下衆さが増していく発言にあと少しの辛抱とクレアは耐えつつ思う。

 しかし、会場から出してしまえば後はふん縛って……と思った時、急に肩を掴まれ引き寄せられた。


「いいぜ、気に入った。可愛がってやる。王子様の妃を愛人にしてやるなんて俺ぐらいにしか出来ないことだもんな」


 肩を抱くニックに、調子に乗りすぎだ酔っ払いのクズめと流石に口にしそうになった時、クレアの肩を掴んでいた手が突如引き剥がされた。


「失礼、ニック卿。随分とお酒を召していらっしゃるようですが、流石にその行為は看過できませんよ。仮にも一国の王太子たる私の婚約者となった女性に、軽々しい口を利きあまつさえその汚い手で触れるだなどと」


 そう言ってクレアの肩に置かれた手を掴み、引き離したのはミハエルだった。


「……殿下……?」

 休んでいるものと思っていたミハエルの登場に驚くクレアをよそに、ミハエルはクレアをグイッと引き寄せ肩を抱く。見上げたミハエルは怖い顔をしているしそんな場面でもないのに、肩を抱く手にクレアの心臓は大きく音を立てた。


「へぇ……今日はまた随分と饒舌ですねぇ、王子様。なぁんでも尻拭いしてくれるナニーがいると気が大きくなるものなんですかねぇ」


 挑発的な態度を取るニックだが、ミハエルは動じずニッコリと微笑み返した。


「そうですね。やはりお慕いする方の前では良く見せたくなるものですから。貴公もそうでいらっしゃるでしょう? お酒に頼らなければ女性に話しかける自信もお持ちになれないのでしょうから」


「な——女と言わずまともに人と話せもしない小僧が……!」


 図星をつかれたのか激昂したニックはそう不遜な物言いをした。すると突然、低く鋭い声が響いた。


「無礼な。ここが何処で、私が誰であるかわかっていての発言か」


 鋭い声の主はミハエルであった。

 威厳ある言葉と風格に場の空気が一変する。


「貴公の言動と無礼な振る舞いの数々は、もはや酩酊を理由にしてすら看過出来ぬものだ。即刻退出を命じる。処分については酔いが醒めた頃にお父上を通して追って伝えよう。無論、貴公のみでなく連座での処分となることを心しておけ」


 毅然と言い放ったミハエルに先刻までの頼りなさはない。その凛とした立ち居振る舞いは、この国の求める強く頼もしい王の姿を彷彿とさせる。


 ニックはそれに呆気に取られてしまったのか動かなくなった。直前まで赤かった顔が青ざめているので酔いも醒めたのだろう。

 いよいよガタガタと震え出したところで、警備の騎士に強制的に連れ出されていった。


 しかし騒ぎは収められたが、いつの間にか注目を集めていたミハエルの豹変ぶりに驚いて会場中の空気は止まってしまっている。


 それに気づいたミハエルは表情を緩めて会場を見渡すと、集まる視線を物ともせずまたも堂々と語りかけた。


「お集まりいただいた皆様にはお見苦しい場面をお見せしてしまいお詫び申し上げます。一度気分を変えましょう。是非ダンスでもお楽しみください」


 ミハエルがそう微笑んで合図をすると会場に音楽が流れ出し、少しすると騒然とした様子も落ち着き出した。

 ただクレアを始め、周囲はミハエルの変化に驚きどおしだ。


「おいで、クレア。一度僕達も出た方がいいだろう」


 ミハエルはそう言って呆然としていたクレアの手を引き、当初の雰囲気が戻ってきた会場を後にしようとする。

 しかしクレアはそんなミハエルの様子に戸惑ってしまった。 


「殿下……ど、どうなさったのですか……大勢の人前であのように……緊張は——」


「緊張? 大勢の人の前だからって、それが何? そんなもの一切しないよ。人見知りなんてとっくに克服済みだもの」


「——しない? ですが、今まで式典や祝宴の度に幾度も倒れ——」


 あっははっ、とそこでミハエルは急に大きな笑い声をあげ、クレアの顔を覗き込んできた。


「クレアは僕の親友が誰だか知らなかった? あの悪童ローウェルだよ? あれに付き合い続けるには、人見知りするような繊細さなんて持ち合わせてはいられないよ」


 ミハエルの豹変に目を白黒させるクレアに、立ち止まったミハエルは急に甘えるような態度を見せた。


「騙してごめんね? 人前で喋れなかったり過呼吸で倒れたり、あれは全部演技だったんだ。だって僕は王太子だから、好きな人と好きに結婚なんて許されないでしょ? だから理由を作らなくちゃいけなくて。周りの皆を納得させられてそれしかないって思わせられる、好きな人と必ず婚約にこじつけられる正当な理由をさ」


「演技⁈ す……好きな人とって……何を仰って……」


「察しが悪いなクレア。僕は王太子なんだから、放っておいたら他国の王女とでも勝手に縁談が組まれてしまうんだ。僕には彼女しか考えられないってくらいに好きな女性がいるんだもの、それは困る。だから僕はローウェルと相談して、この国に根差す思想を逆手に取ることにした。国民から敬遠される頼りなくて情けない王子になれば、縁談相手が勝手に避けてくれるのじゃないかってね。だって僕との婚姻は国民から罵詈雑言を浴びせられる地獄になるのだとわかっていれば、誰も飛び込んでは来ないだろう?」


「……ローウェルと……さっきから何の話しを——」


「クレアは本当に鈍い。だからこそ婚約の件もここまで伏せておけたんだけど。まだわからない? だからさ、僕みたいな情けない王子には、完璧に支えられる人がいなくちゃ駄目なんだって周囲に思わせたかったんだよ。今日までの情けない姿は、僕には君しかいないんだって周りに納得させるための何もかもだったんだ」


 ミハエルはそう言うとクレアの右手を取り口づけるように顔へと寄せた。


「クレア、僕は幼い頃からずっと君が好きだったんだ。仕事に真面目で直向きで、こんな小さな身体が随分大きく見えたくらいにいつだって僕を守ってくれた君が。失敗すれば必ず寄り添って慰めてくれて、悪戯をすれば窘めてくれる。何か成功したり嬉しいことがあれば誰より喜んで褒めてくれた。騎士といえど君だって由緒ある伯爵家のご令嬢のはずなのに、十も年下の僕に仕えてなによりも優先してくれて。情けない姿を晒しても優しく見守ってくれた、そんなクレアがずっと好きなんだ」


 突然の告白に、言葉もなく固まるクレアに構わずミハエルは続ける。


「何度もこの気持ちを伝えてしまおうと思ったよ。でも僕は年下の子どもで、下手なことをしたら君に迷惑がかかるからずっと抑えてきたんだ。だけど今日やっと君と対等の大人になった。もう遠慮しない」


 ミハエルはそう言うとクレアの手をぎゅっと握った。


「クレアは十も歳上の大人だから僕のことをそんな風に見れないかもしれない。囲い込むような真似して婚約させて、卑怯だってこともわかってる。軽蔑するかもしれないことも。だけどクレアじゃなくちゃ駄目だから、このわがままだけはどうしても通したかった。クレアに大人として見てもらえるように、好きになってもらえるように頑張るから。これからは僕がクレアを守っていくから。だからどうか許して。情けない演技で周りの評価を落とそうが、君が側にいてくれるなら構わなかった。それくらい、クレア、君が好きだ」


「……殿下……」


 クレアは口許を押さえる。

 自分との婚約など職務でしかないだろうと思っていたミハエルの本心に、胸がいっぱいで言葉が出てこない。

 気を抜いたら泣き出してしまいそうで黙ったまま見つめていると、ミハエルが悲しそうな目をして握っていた手を離した。


「……無理、だよね……許すなんて。騙し打ちで婚約させたんだ、軽蔑して当然だ……酷いことしてごめん」


 そう言ってミハエルは俯き後退るようにクレアと距離を取る。それにクレアはローウェルの言葉を思い出して、勇気を振り絞った。


「——してません殿下! 大変驚きましたし、なんてことをと思いましたが……軽蔑なんてしておりません。それよりも……う、嬉しい気持ちが、何よりも勝ってしまいました」


「……え?」


 ミハエルは顔をあげる。

 伝えることなど永遠にないと思っていた気持ちを口にするのが恥ずかしく、クレアは顔が熱くなるのを自覚しつつも意を決して言葉を紡いだ。


「じ……十も年下の貴方にこんな気持ちを持つなんてと恥じてきました。けれど、婚約した今なら言えます。私も……私もずっと同じ気持ちでおりました。ミハエル殿下のことをお慕いしております」


「クレア……!」


 クレアの返答を聞いてミハエルは、ぱぁっと顔を明るくして破顔する。

 そして顔を真っ赤にするクレアを抱きしめようと腕を広げて駆け寄った。


 だが。


「——あ」

「え?」


 踏み出した直後靴先が床に引っかかってつんのめり、不穏な言葉を発したミハエルはクレアの真横をすり抜けて、壁際に設置されたグラスや食器の載った給仕用のテーブルへ突っ込んで行った。



 ガシャァーーーーーーーーーーーーーン!



 ミハエルが激突した衝撃で落下した皿やグラスが盛大に割れ、会場中に轟音が響き渡る。


 全て演技と聞いていた為に一瞬何が起こったか把握出来ず、対応できなかったクレアが我に返り慌てて駆け寄ると、ミハエルが床に伏しテーブルクロスに埋もれていた。


「……殿下⁈ ご、ご無事ですかっ⁈」


「……み……見ないで……嫌われたくない……」


 蚊の鳴くような声で呟いたミハエルは、テーブルクロスを握りしめ真っ赤な顔をして涙目になっている。

 再び注目を集め会場中が騒然とするなか、ずっと見てきた変わらないミハエルの姿にクレアは思わずふふっと微笑んだ。


「嫌いませんよ。貴方のそういう放っておけないところが、可愛らしくて大好きなのですから。これからも変わらずお側におります」





おわり

ドジっ子は演技じゃなかったという。


お読みくださってありがとうございました!

またどこかでお目に留めていただけることがありましたら嬉しいです。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ドジっ子は演技じゃないんかーーいwww 面白かったですww
[良い点] 殿下とクレアがかわいくてしょうがなかったです 殿下の本性が表れたときはそうきたかと驚きましたが 殿下のドジだけは治らなかったのがとても良かったです。
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