名伏し難いもの
「名伏し難い」
さて、この言葉に見覚えのある人は、どれぐらいいるのだろう。
多いのだろうか、少ないのだろうか。
クトゥルフ神話関連のSNSや小説、漫画などで目にするかも知れない。
しかし率直に話を進めると「名伏し難い」とは、「名状し難い」の誤りである。
「伏」と「状」の字を見間違ったものであることは、おおよそ想像が着く。
意味は、「言葉に出来ない」、「あるものの状態・様子を言葉で説明できない態」である。
名状し難いは、英語のUnspeakable(口にしてはいけない)、Unnamableの対訳語である。
クトゥルフ神話では、特にハスターの異名として使用される。
あるいは、ラヴクラフトの短編小説『名状し難いもの(The Unnamable)』のタイトルである。
そもそも名状し難いものが土地なのか神なのか種族なのかもラヴクラフトは、明言していなかった。
まさに正体不明の”何か”を差していたのである。
後にハスターを指す言葉としたのは、ダーレスと言われている。
クトゥルフ神話の創始者、ハワード・フィリップス・ラヴクラフトは、好古趣味でも有名である。
古い街並みや建物を愛し、作品の中で頻繁にその背景描写がある。
一方、日本人の我々には、馴染みがないのだが原書でラヴクラフトは、古い英語や昔風の言い回しを好んでいた。
特にアメリカ英語ではなく、イギリスで使用されていたつづりを使用した。
ラジオ放送が始まるとイギリスでは、発音やつづりの統一が始まった。
これがクイーンズイングリッシュ(女王の英語)である。
対して既に大英帝国から独立していたアメリカは、イギリスと別につづりの統一を始めた。
これがアメリカ英語の起源である。
例えば、Electric torchは、「懐中電灯」のことだが主にイギリスで使用される言葉だ。
アメリカでは、Flash lightを使う。
他にも彼の時代には、置き換えられていた語に代わって難解な古い語彙を使用していたという…。
而して「名伏し難い」は、「名状し難い」の誤りと分かった上でクトゥルフ神話の愛好者の間でしばしば使用されている。
あるいは、それと知らずに拡散しているのかも知れない。
名伏し難いという言葉は本来、存在しない。
しかしこの言葉が使用されるのは、クトゥルフ神話の愛好者の間だけである。
従って通じる相手は、クトゥルフ神話の愛好者だけとなる。
いわば、この言葉そのものが愛好者同士のクトゥルフ神話の合言葉(?)となっているのだ。
しかしいずれは、単なる誤字・誤用として駆逐され、消滅していってしまうだろう。
方言やつづりが整理されて行くように一部のシーンでしか通じない言葉は、なくなってしまう。
個人的には、少し寂しい。
私個人として名伏し難いは、あながち間違った慣用句とも言えないと考えている。
名状し難いものハスターは、そもそもどういった存在なのかさだめられていないままだった。
名伏し難いという言葉も、そもそも存在しない。
そもそも存在しない対象を言い表す言葉として新しい慣用句が産まれた。
そのように解釈しても面白いのではないだろうか?
あるいは、宇宙的恐怖に遭遇した人間が意味のない言葉を口走ってしまった。
いわば正気の消失を表現する方法として、間違った慣用句を発するというのは、表現の一つと考えられないだろうか?
以上の意味を踏まえて「名伏し難い」という語には、新語として生き残って貰いたい。
などと考えているのである。