不思議なドロップ
一つ食べれば姿が消え、二つ食べれば声が出なくなり、三つ食べればなににも触れられなくなる。
そんな代物を、私はこのたび、通りすがりの魔女からもらった。
「やばいんじゃないの、それ」
「そうかな」
「そうに決まってるわよ」
夕陽が射しこむ公園の前に自転車を止め、なかのベンチに腰掛けて、二人でしげしげと、透明の袋に入ったその一粒一粒を眺める。
見た目はただのドロップだ。完全に、ただのドロップのかたちをしている。舐めてみたことはないので、どれくらい甘いのか、そもそもちゃんと甘いのか、ちょっとまだよくわからない。
色は白。もっとくわしく言えばミルク色をしている。ところどころ茶色いシミのような模様が入っていて、つまりそこだけ、ミルクティーのような色合いになっている。
「まさか、食べないわよね」
「いまはね」
「いまは?」
「必要がないときには食べないけど」
けど、の、そのさきを彼女は理解したようだった。
「必要があれば、食べるってわけね?」
怒ったような口調に、私は少しだけ口ごもる。
「……まあ」
「絶対にやめておいたほうがいいと思う。だって、三つ食べたらどうなっちゃうっていうの?」
「さっき言ったとおりだよ」
「どうしてそんな、ふつうのことみたいに言っちゃうの? 三つ食べたら、誰にも気づいてもらえなくなるっていうのよ?」
「うん」
「そんなの、そんなの……水のうつわに閉じこめられたさかなみたいじゃない。それも、たった一匹で」
とってもおっかないことだわ、私たち、人間にとっては。そう言って彼女は首を横に振った。
私は、夏から玄関の金魚鉢で飼い始めた、朱色の彼を思い浮かべた。帰ったら、ただいま、と声を掛けてあげよう。
「絶対に食べないでよね」
「お腹を壊すかもしれないしね」
彼女はほんとうに怒り出した。
「お腹を壊すだけで済んだら、もうけものじゃない!」
大きな白いトートバッグをかついだ、おつとめ帰りのお姉さんが、何事かとひっそりこちらを見た。私はへらへらと笑った。お姉さんも少しだけ微笑んで、そのまま電柱の向こうへ消えた。もう夕方なのに、とても綺麗な赤いくちびるをしていた。
「もう、どうしてあんたみたいな子が、魔女になんか会っちゃうのかしら」
彼女は信じている。私がこの公園に辿りつくまでの道端で、ほんとうにどこかの森からやってきた魔女に会って、変な受け売りとともに、このドロップを渡されたということを。
「ケイちゃんがそう言うなら、食べないよ」
私は彼女を安心させるために笑って言った。けれど私の言葉は、どうやらその場しのぎの嘘にしか聞こえなかったらしい。彼女はまだまだ信じてくれそうになく、顔をしかめながら数粒の――私の目には七粒あるように見える、三の倍数でないのはとても不思議なことだ――ドロップを見つめ、なにか考えごとをして黙っている。
「ほんとうに食べないよ」
「ほんとう?」
「私が嘘をついたこと」
「たくさん、たくさんあるわ」
私にはいろいろと前科がある。たとえば夏休み最後の日。宿題が終わったと嘘を吐いて彼女と遊びに出かけ、夕方になってようやく嘘がバレて、そのときも、彼女は大きな声を出して怒った。
「どうして秘密にしたの!」
彼女は自分の夕飯もそっちのけで私の家に居座り、風景画をイチから手伝ってくれた。私は写真を一枚用意して、あとはひたすら絵の具と水とを溶く係をした。彼女はその筆で私のおばあちゃんちの絵を描いた。彼女は絵がうまいのだ。
私のために、少しだけ下手っぴに仕上げた、平屋と田んぼと、空と雲の絵。彼女はそれを扇風機に当ててしばらく乾かしておくように言うと、虫がじゃんじゃん鳴くなかを、自転車でさっそうと帰っていった。私にとって、その絵は宝物になった。
「怖いから、あたしが預かるわ」
それ、と私の手元を指さして、彼女は言った。
「ケイちゃんがそう言うなら」
私は素直に、七粒のドロップが入った袋を、差し出された彼女の小さな手のひらに乗せた。
「どうしても見たくなったら、うちに来れば見せてあげる。少し遠巻きにね」
「わかった」
ちなみにね、と私は言った。
「それは、一週間すると効果をなくして、ただのドロップになるんだって」
「魔女がそう言ったの?」
「そう。今日からきっかり一週間」
へえ、そうなの、と言う声と、それから少しの沈黙。
「……じゃあ、こわいから十日にしましょ。十日経ったら、まずは半分に割って、食べてみない?」
じつは、とっても美味しそうだと思っていたの。と、彼女は顔をほころばせた。彼女はこういう、ミルク味のドロップがとくべつに好きなのだ。
「もちろん、そうする」
かくして、私は十日後、彼女の家に遊びに行く口実を得たのだった。
終
このお話はファンタジーではありません。