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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

人類は有罪です

作者: 村崎羯諦

『人類は有罪です。人類は有罪です。生き残っている人間は直ちに命を絶ってください。人類は有罪です。人類は有罪です。生き残っている人間は直ちに命を絶ってください』


 廃墟になった駅ビルの大型LEDビジョンから、例のアナウンスが大音量で流れ始める。僕と悠人はちらりと音のする方を見上げた後、何も聞こえなかったかのように前を向いて歩いていく。数年前まではたくさんの人が行き交っていた駅前の大通りには、僕たち以外に人の気配はない。歩道と車道を分ける段差は角が砕け、アスファルトには縦に長いひび割れが入っている。通りに面する店のガラスは割れ、足元にはその破片が散らばっている。無人となった店へと視線を向けても、暴徒による略奪の跡が見えるだけだった。


 そんな終末世界を、僕たちは手を繋いで歩いていく。指をさして笑う人もいなければ、すれ違いざまに嫌悪の眼差しをちらりと向けてくる人もいない。男同士で手を繋いでいることを、僕が女性ものの服を着ていることを、馬鹿にしたり気持ち悪がったりする人間はいない。世界に僕たちしかいないみたいだねと僕が言うと、大袈裟だなって君が笑う。だけど、ひょっとしたら比喩でもなんでもなくて、本当にこの世界には僕たちしか存在していないのかもしれない。数年前、何の前触れもなく、世界中のありとあらゆるスピーカーから人類は有罪だというアナウンスが流れ始めた。誰がそのアナウンスを流しているのかも、どうやってそのアナウンスを流しているのかもわからない。ただ、人類を糾弾するあのアナウンスに従って多くの人が自ら命を絶ち、そうじゃない人もその後の混乱で命を落としていった。


 人類は有罪です。僕は耳にこべりついたその言葉を頭の中で繰り返す。そんなの今に始まったことじゃないさ。遠くから聞こえてくるアナウンスに向かって、僕は心の中で言い返した。


「この前高校で寝泊まりした時あったじゃん」


 悠人がいつものように前を向いたまま話し始める。名前を呼ばなくても、目を合わせなくても、話しかける相手は僕しかいないから、僕たちはいつしかそういう話し方をするようになっていた。そのことが僕は、少しだけ、少しだけ嬉しい。


「その時にさ、一階の教室で何人かの死体を見つけたよな。その時は何も言わなかったんだけど、その中の一人がさ、実は俺の中学時代の同級生だったんだよね」

「化学準備室で集団自殺してたあの男女グループ?」

「そうそう。その中にいた女の子。カーキのダウンと膝部分が破けたデニムを着てた子」

「友達だったの?」

「友達というか……中学時代、その女の子と付き合ってたんだよな。部活のマネージャーで、あっちから告白されてさ」

「ふうん」

「あ、嫉妬してる?」

「別に。死んだ人間に嫉妬したところで、どうしようもないし」


 君が笑う。悠人の笑い声は低くて、遠くからもよく聞こえる声をしている。でも、もっとくぐもっていて、近くじゃないと聞こえないような笑い声でいてくれたらって昔はよくそんなことを思ってた。教室で僕じゃない誰かと君が笑いあう声が聞こえてくるたび、僕の心がざわついて、ダメだってわかってるのに君の方をちらりと見てしまう。それから君の楽しそうな表情が視界に入って、僕はそのまま深い嫉妬と自己嫌悪に溺れていく。もしその相手が男子じゃなくて、女の子だった時なんか、僕の心臓は不安で締め付けられて、この世界から消えて無くなってしまいたいって気持ちに襲われた。君がどちらも好きになれることを知ってたから。君が女の子たちにモテるってことも知ってたから。そして、僕たちの関係が間違ったものなんじゃないのかっていう思いが、心のどこかであったから。


 僕は隣を歩く悠人の横顔を見て、それから君の手を握る自分の手へと視線を向ける。女物のカーディガンの裾から覗く僕の手は、昔みたいな小さくて可愛いらしい形じゃなくて、骨が浮かび上がって、ゴツゴツとしていて、どうしようもなく気持ちが悪かった。


「そういえば何で伊織って昔から女装してるんだっけ」

「前も言った気がするんだけど」

「言ったっけ?」

「今は好きでやってるけどさ、きっかけは、昔っからクソ兄貴に無理矢理させられてたからだよ」

「あー、ごめん。聞いたことあったわ。お前の兄貴って死んだんだっけ」

「死んだよ。あのアナウンスが始まって、一週間もしないうちに自殺した。会社のトイレで首吊ってさ」

「そっか。悪いな」

「気にしなくていいよ。悲しくもなんともないから。兄貴(あいつ)は、僕のことをおかま野郎って散々馬鹿にして、そのくせ家族に隠れて、僕に無理やり女装させて楽しんでたクソ野郎だから」


 コツコツという足音だけが鳴り響く。喧騒が消えた世界でもなお、沈黙は昔と同じように身に染みる。空は灰色の分厚い雲で覆われていて、陰影が失われた街の風景は平面に描かれているみたい。瓦礫の山の一番上に乗っかっていたコンクリート片が自分の重みに引っ張られて、山の側面を転がり落ちていった。


 笑っちゃうよね。長い沈黙の後で僕は吐き捨てるようにそう呟く。


「昔から親戚にちやほやされて、良い大学を出て、有名企業に入った兄貴(あいつ)がさ、あんなアナウンスが流れただけで簡単に自殺するんだもん。有罪だって正体不明なやつから言われて、そうなんですねって間に受けてさ。きっとあのアナウンスを聞くまでは、自分自身が有罪だなんて思ってもなかったんだろうな。自分は間違ってないと心から信じることができて、自分が誰かを傷つけているなんて考えたことすらなくて、被害者になることはあっても加害者になることなんてありえないって、そう思ってたんだろうな」


 悠人が立ち止まる。僕は数歩だけ前に進んで、それから同じように足を止める。君は通りに面していた楽器店に視線を向けていて、それから、あんまり荒らされてないっぽいから中に入ってみようぜと提案する。僕たちは窓ガラスを割った後で、服が破けないように気をつけながら店の中に入った。楽器店の中は長い間閉め切られていたのか、身体をまとまりつくような湿気で満ちていて、深く息を吸うとカビが混じったような苦い空気が肺に満ちていく。悠人は鼻歌を歌いながら、暗い楽器店の中を探索し始めた。僕はレジの横に置いてあった竹網のカゴに目を向けて、中に入っていたエレキギターのピックを手に取る。プラスチックでできた安物のピックは、親指と人差し指で強くしならせるとヒビが入って、そのまま二つに割れてしまった。


「じゃーん、ギターを見つけちゃいました」


 悠人が奥の壁にかけられていたクラシックギターを手にして戻ってくる。弦を弾くとじゃらんと間の抜けた音が店内に鳴り響く。ギターなんて弾けるの? と僕が尋ねると、悠人は弾けるよと笑いながら返事をする。


「試しに何か弾いてやるよ。どんな曲を弾いて欲しい?」

「世界平和の歌」

「オーケー」


 悠人が丸いすに腰掛け、ギターを構える。だけど、悠人が弾いたギターの弦の音に覆い被さるように、店内の天井に取り付けられていたスピーカーから突然アナウンスが流れ始める。


『人類は有罪です。人類は有罪です。生き残っている人間は直ちに命を絶ってください。人類は有罪です。人類は有罪です。生き残っている人間は直ちに命を絶ってください』


 悠人が手を止め、天井に設置されたスピーカーを見上げる。小さくため息をついた後で、持っていたギターを乱暴に放り投げた。椅子から降り、壁にもたれて床に座る。悠人が僕の方を見て、誘いかけるように笑いかけてくる。僕は割れたピックを握りしめたまま悠人の隣に座った。服と服が触れ合わないギリギリまで、身体を寄せて。


「有罪って言われても、何罪だよって感じだよな」


 何度目かすらわからないそんな話題を悠人が口にする。


「旧約聖書によると、人間最初の罪は善悪の知識の木の実を食べたことらしい」

「現代でいうと何罪?」

「善悪の知識の木が神様の所有物なら窃盗罪かな」

「窃盗で死刑か。血も涙もないな」


 アナウンスはすでに止んでいた。耳を澄ますと隣から悠人の呼吸が聞こえてくる。身体を動かして、君と身体をくっつける。触れ合った肩から君の心臓の鼓動が伝わってくるような気がして、嬉しいはずなのに、どうしようもなく心が苦しくなってしまう。


「聖書で思い出したけどさ、キリスト教じゃ俺たちみたいな同性愛者は罪人らしいぜ」


 悠人がつぶやく。服の上から、悠人の胸が呼吸のたびに上下するのがわかった。


「全部じゃないよ。福音派教会とか正教会とかそこらへんの宗派」

「細かいことは置いておいてさ、そういう宗教からしてみたらさ、まさに俺たちってあのアナウンスの言うとおり有罪だなって思ってさ」

「信じてんの?」

「いや、信じてはないけどさ。もし神様がいるとして、そいつは俺たちのことをどう思ってんのかなと思って」

「神様が本当にいて、僕たちのことを快く思ってないとしてもさ、そんなの関係ないよ。神様のご機嫌を伺うよりも、僕は愛を選ぶよ」

「そうだな」

「そうだよ、きっと」


 自分で自分に言い聞かせるように僕は呟いた。自分がそんなに強くないことも、その言葉が強がりだってことも分かっていた。だけど、そう言い聞かせでもしないと、自分の感情を見失ってしまいそうになる。


 世界が終わる前。この葛藤は、僕のことを馬鹿にしたり、気持ち悪がったり、面白がったりするやつらのせいなんだと信じていた。世界からそういう奴らが一人残らず消えてしまえば、世界が僕と君だけになってしまえば、きっと僕は自信が持てて、もっと素直に自分の感情を受け入れることができるって本気で信じていた。だけど、実際にそういう奴らが死んでしまって、僕と悠人だけになった世界になっても、この葛藤はなくならなかった。僕の心の中には神様がいた。あのアナウンスと同じように、僕のことを有罪だと心の中で弾劾する神様が。


「有罪だとしても、関係ないよな。また天井のスピーカーからアナウンスが流れたらさ、うるせーって言い返してやろうぜ」


 僕は悠人の方を見る。悠人もまた僕の方を見ていた。心の中を見透かされていたみたいな君のタイミングの良さに、やっぱり好きだなって、そんな気持ちが溢れ出してくる。最高じゃん。僕が笑いながら返事をすると、悠人は満足げな表情で笑い返してくれた。僕の手が膝の上から落っこちる。そこには悠人の手があって、僕と君の手が運命のように重なり合った。


『人類は有罪です。人類は有罪です。生き残っている人間は直ちに命を絶ってください。人類は有罪です。人類は有罪です。生き残っている人間は直ちに命を絶ってください』


 天井に取り付けられていたスピーカーからアナウンスが流れ始める。僕たちは顔を見合わせて、それから二人で笑いあう。有罪かどうかなんて僕たちが決めることだし、それすら罪だと言うのであれば、別に有罪であっても構わない。君となら、いつの日か心の底からそう思うことができるような、そんな気がした。横に座っていた悠人が立ち上がり、近くに転がっていたチューナーを手に取った。


「うるせー! バカ!!」


 悠人が叫び、握りしめていたチューナーをスピーカーめがけて投げる。チューナーがスピーカーに命中して、軽やかな音が狭い店内の中に響き渡った。

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