「善役令嬢になれば対義語的に考えて断罪回避できるのでは?」←このアホが俺の婚約者
王太子なんて立場に生まれたから。
俺は十歳のとき、ある公爵家の令嬢と婚約することになった。
年齢は同い年で、地位と美貌を鼻にかけたどうしようもないワガママ娘だとか、自慢の金色の長髪を撫でつつ使用人を小馬鹿にするのが趣味の性悪娘だとか、そんな噂話を聞いていた。
だが実物はもっと衝撃的だった。
「君がセレナ嬢だね? 僕はレオンハルトだよ。よろしくね」
「あ、はい……」
公爵家の庭先で初めて出会ったとき。
あいつは、なぜかおかっぱ頭で、猫背で、立ち上がったミーアキャットのように両手を前に構えていて、あごを引きすぎているせいで二重顎になった顔で、俺を心底嫌そうに見つめ返してきた。
……意味がわからなかった。
あのときの俺の気持ちはとてもではないが言葉にできない。
可愛いとか醜いとか、好きとか嫌いとか、印象や感情云々は抜きにして、ただひたすら意味がわからなかった。
本当に。
「あとは若い二人でどうぞ」なんて言葉とともに二人きりにされて。
なんとなく二人並んで花壇の花を眺めていたときのことだ。
「きれいな花がいっぱい咲いてるね。セレナ嬢はどの花が好きなの?」
「――べし」
「えっ?」
「凶星、堕ちるべし!」
「ぐえぇっ」
「お嬢様、おやめくださいっ!」
あいつは全力で俺の首を絞めてきた。
俺は潰れたヒキガエルのような泣き声をあげた。
丸眼鏡をかけた生真面目そうなメイドが慌てて助けに入ってきた。
……死ぬかと思った。
その凶行の理由を問いただせば、「ついカッとなってしまい、殺られる前に殺ろうと思った」という答えが返ってきた。
ぼそぼそとした、非常に聞き取りにくい小さな声量で。
また「いまは反省している」とも付け加えられた。
憤懣やるかたないといった形相とともに。
事が事だけに、詳しい事情を聞くわけにはいかず。
俺はあいつの父である公爵から話を聞くことにした。
「一週間前、庭で散歩をしていた際のことです。娘は石につまずいてしまい、前にたたらを踏み、ブロック塀に強く頭をぶつけて倒れてしまったのです」
「はい」
「で、起きたらああなっておりました。亡き妻が命と引き換えに産み落としてくれた大事な愛娘です。私としても方々を駆けずり回って手を尽くしたのですが……どうすることもできず、今日を迎えてしまいました」
「なるほど」
また、あいつはおかしなことをのたまわるようにもなったという。
曰く、自分は転生者であり、この世界は乙女ゲームの世界なのだとか。
曰く、自分は悪役令嬢であり、将来婚約者の俺から婚約破棄を言い渡されて断罪される運命にあるのだとか。
曰く、俺はヒロインと呼ばれるピンク色の髪をした元平民の男爵令嬢と恋に落ち、その純情可憐な乙女ぶりに夢中になってしまうのだとか。
そんな世迷言を熱心に説いてみせたらしい。
婚約の話をなかったことにするべきか。
父である国王陛下と公爵とで話し合いがなされた結果、とりあえずは様子を見てみようということで落ち着いた。
拒否する権利があったわけではないが、俺もそれを承知した。
「セレナ嬢の趣味について教えてくれるかな?」
「精神が肉体に引っ張られる、精神が肉体に引っ張られる、精神が肉体に引っ張られるぅぅぅ……!」
「あの」
「んあぁ! まだ見ぬ新種の昆虫を採集しに赴きたい衝動を抑えられないぃ!」
公爵家の庭先でのティータイム。
そう叫ぶや、あいつは公爵家に隣接する森の中へ勢いよく駆け込んでいった。
丸眼鏡のメイドがタモと虫かごを手に、そのあとを慌てて追いかけていった。
……無理だと思った。
ところがあいつは頭自体は悪くはなく、むしろかなり頭の良いほうだった。
天才とまではいかずとも、控え目に言って秀才のレベル。
失った知識の吸収力は凄まじく、王妃教育にのぞむ姿勢や結果もすこぶる上出来だったことから、仮の婚約はやがて正式なものになった。
ただしアホ。
もうどうしようもないくらいにアホ。
「殿下氏、某ふと気づいたことがあるの」
「なに?」
「むしろ断罪不可的な究極の善人ムーブかませばワンチャンあるってことに」
「要するになに?」
「善役令嬢になれば対義語的に考えて断罪回避できるのでは?」
「なるほど」
当時十一歳。
そうして一人称某系善役令嬢は生まれた。
俺のことを「殿下氏」と呼ぶ、頭のおかしいアホな令嬢が俺の婚約者になった。
あいつを好きか嫌いか。
不思議と嫌いではなかった。
ほかの誰にもないそのアホさを楽しんでいた俺がなぜかいた。
また、あいつには才能があった。
画期的な遊びを、新種のおもちゃを生み出すという才能だ。
もっともまず間違いなく、それらは前世の知識を流用したものだろう。
「将棋はワシが考えた」なんて堂々と言い張ったときのあいつの目は、まさしく嘘吐きのそれでしかなかった。
「王手」
「ちょ待ったし。待ったし待ったし!」
「待ったはなし、だろ?」
「ちくせう……なら某のターン! 某は場と持ち駒の銀二枚と引き換えに、飛車を竜から銀翼の巨大龍へとワープ進化! なぎ払え、銀翼の巨大龍! 銀翼の巨大龍のブレス攻撃によって殿下氏の歩ならびに桂馬と香車および金と銀は完全消滅! 王手!」
「参りました。こんなの勝てるかアホ」
あいつが考えた遊びは将棋のほかにも多々ある。
オセロ・チェス・囲碁・麻雀といったボードゲームから、トランプや花札のようなカードゲーム、さらにはジャンケンなどのちょっとした手遊びまで。
トランプを使ったゲームとルーレット台からなるカジノなんて賭場も、あいつの考案によって開かれたものだ。
ただやはり「全部ワシが考えた」と言い張るあいつの顔は詐欺師のそれでしかなかったが。
ともあれ、あいつはそれらを公爵家の力と王家の後ろ盾をもって市場に流通させ、一大財力を手にするまでに至った。
で、やったことといえば善役令嬢の真似事だ。
手始めに俺は孤児たちの前に案内された。
「みんな、これが噂の畜生殿下氏ですよ。ほら、せ〜の!」
「「「セレナ様を断罪しないでくださぁい」」」
「……これはなんの真似だ?」
「所得全ツッパ孤児院設立ラッシュから、善役令嬢として孤児ひいては民衆のハートを鷲掴みにし、殿下氏のバーバリズムを封殺する作戦であります!」
「なるほど」
一躍、名をなしたあいつは「善役令嬢」と書かれたタスキをかけ、王都を練り歩いた。
民衆に顔を売り、「私は善人です」と聞かれてもいないことを声高に吹聴して回った。
引き連れた丸眼鏡のメイドに紙吹雪を舞わさせ、「応援よろしくお願いします。皆様だけが頼りです」と華々しく人々に訴えかけ、彼らと熱い握手を交わしていた。
また、あいつが設立した孤児院は「善役令嬢セレナの孤児院」と名づけられ、いまでは国内にいくつもの支院がある。
あいつのおもちゃ屋もまた「善役令嬢セレナのおもちゃ屋さん」などと名づけられ、こちらは国内のみならず国外にも多くの支店がある。
そしてどちらも、その外壁にあいつのなした善行履歴がでかでかと広告されている。
さらにあいつは私物を次々に売り払ってもいた。
俺からの贈り物はもちろん、ドレスや宝石といった金目の装身具をすべて。
父である公爵の私物や屋敷の調度品でさえも、自作のゴミとすり替える形で売り飛ばし、ひたすら清貧さをアピールすることに命を懸けていた。
可能なかぎり金を捻出し、そのすべてを善行のために費やしていた。
……頭おかしい。
十一歳から十五歳になるまで。
俺はそうして善役令嬢を自称するあいつと過ごした。
俺のことを「殿下氏」と呼ぶ、すこぶる頭のおかしいアホな婚約者と過ごしてきた。
あいつを好きか嫌いか。
やはり嫌いではなく、また嫌いにはなれなかった。
あんなアホと一緒に過ごしていて楽しいと思う俺がなぜかいた。
「あわわ、ついに王立学園に入学する日が来てしまったぁ……」
「ヒロインとのイベントがあるんだったか?」
「左様。まず某と殿下氏がいま話しているこの正門の前に、ヒロインの乗る馬車が暴走して突っこんできます。次に殿下氏がそれを防ぎ、ヒロインを助けます。最後に某が烈火のごとくヒロインにブチギレます。あわわ、そんなイベントが起こってしまうぅ……」
「楽しみだな」
「畜生、さすが畜生殿下氏。人の不幸を喜ぶことに余念がない」
「ほぅ、随分な言いようだな。いまこの場で断罪してやっても構わんのだぞ?」
「ぁひぃゃぁ〜!」
王立学園の正門の前で。
そんな会話をすると、あいつは最後に情けない声をあげながら逃げ去っていった。
校舎とは真逆の方向へ。
そのあとを丸眼鏡のメイドがいつものように慌てて追いかけていった。
だが結論からいえば、ヒロインは王立学園には現れなかった。
あいつが言ったようなピンク色の髪をした女子生徒は学園には入学しなかった。
「おぉん? なんでヒロインは入学してこないのかしら?」
「なんでだろうな。まぁ、そもそも全部お前の妄想だった可能性が大なわけだが」
「はっ、笑止。笑わせるではないわ小童が。寝言は寝て――あ痛たたた! 某のいたいけな顔面にアイアンクローをかますのはやめて!」
ところが実際、ヒロインとやらは存在しなかったわけではなかった。
いることにはいた。
ただ学園に入学することはなかった、というだけの話だ。
同時期に学園に入学することになる令嬢で、元平民かつピンク色の髪をした男爵令嬢。
学園に入学する一年前から、俺はその存在の有無を部下に調べさせていた。
すると驚くことに、入学式の少し前、とある男爵家が平民の子供を養子に迎え入れたというではないか。
経歴と特徴の合致する女子がたしかに一人現れたのだ。
そこで俺は部下にそいつを秘密裏にさらわせ、王家所有の地下室に閉じこめた。
地下室にしばらく監禁し、適度に精神的に疲弊させて本性を引き出しやすくしたのち、ちょっとした尋問をしてみることにした。
「お前はヒロインとやらか?」
「ヒロインとやらって、なんでそのことを……まさか私以外にも転生者が……?」
「そうか、お前も転生者というやつだったか」
「やっぱり……でもどうしてレオンハルトが私を……まさか!? レオンハルト、もしかしてこれには悪役令嬢――あなたの婚約者のセレナが関わってるんじゃないの!?」
「そうだと言ったら?」
「お願い、どうか騙されないで! きっとセレナが私についてなにか悪いことをあなたに吹き込んだと思うの! でもそれは全部間違いなのよ! 私はなにも悪くない! 悪いのは全部セレナで、私はあなたと結ばれる運命にあるヒロインなの!」
そんなやり取りを済ませたあと。
そいつを魔法で眠らせてから、重厚な鉄製の箱に部下の手で押し詰めさせて運ばせ、馬車で揺られること三日。
やがて着いた港湾都市ラムダで、一隻の船を借り受けて出た沖合いにて。
――俺はそいつを詰めた箱を海に沈めた。
ちょっと地下室に閉じ込められたくらいで取り乱し、誰かを悪く言う。
頭のおかしい善行を積むことに必死なだけで、まだ悪事をなしていない誰かを悪役令嬢呼ばわりする。
自分の正しさを主張するために誰かを貶める。
誰かにまだ呼ばれてもいない俺の名を気安く呼び捨てにする。
思うことは多々あったが、なにはさておき。
そいつが有害な存在であったことは間違いなかった。
ヒロインとやらに満たない器であったことも間違いなく、王太子の権限でもって処分しても構わない凡愚であったこともたしかだった。
よって害をなす前に速やかに処分した。
その決定に私情を挟まなかったといえば嘘になる。
生まれてこの方、あれほどまでの苛立ちを覚えたのは初めてだったから。
なにに苛立っていたかはわかりきったことだ。
なにも知らないそいつが、あいつを一方的に罵ったことが心底我慢ならなかっただけ。
……あいつを罵り、アホ呼ばわりしていいのは俺だけだ。
「殿下氏! 某へのお土産をいただきましょう!」
「は?」
「港湾都市ラムダへ旅行に参られたのでしょう? では某にお土産を買わないだろうか? いや、買わないわけがない。反語。なにせ某は殿下氏の婚約者なのですからな!」
「まぁ買ったには買ったが――」
「スーパーラッキー! みんなぁ、某お土産をいただきましたぁ!」
授業終わりの教室の中。
あいつは俺から奪い取った化粧箱を手に、友人たちの輪に戻っていった。
そして化粧箱をさっさと開封し、雫の形をした青い宝石がトップのペンダントを手に無邪気な笑みを浮かべた。
「さぁさぁ皆々様、このペンダントをご覧遊ばせ! 一体いくらで売れると思いますか!?」
「う〜ん……十万ルピー!」
「そうねぇ、十二万ルピーってところかしら?」
「私は八万ルピーだと思います」
「あらら、そんなもん? ちぇ、しけてんなぁ……まぁいっか! じゃあまずは宝石店に寄ってこいつを売っ払って金を作り、いくらか寄付に回したあと、残ったお金で流行のスウィーツでも食べませう! さぁ参りましょう、某のおごりですよ!」
友人たちを連れ、楽しそうに帰っていくあいつの背中はいまでもはっきりと覚えている。
いまだかつて、あれほどまで蹴りたいと思った背中はなかったから。
せめて俺のいないところでやれ、なんてことを考えるよりまず、その背中を蹴飛ばしてやりたくてたまらなかった。
そんな学園での三年間はあっという間だった。
でも、あいつがいたせいでいつもやたらと騒々しく、静かな時間だなんてものは無きに等しかったと思う。
小バエさながらに、いつも視界のどこかでうろちょろされていたせいか、気の休まるときは一時たりともなかった。
一番に目障りだったのは、剣術や魔法の授業でやたらと張り切られたことだろう。
変に優秀なせいか、あいつはトップである俺の次席に常に位置してきたのだ。
「力を、断罪を打ち砕くことのできる無双の力を手に入れねば……」などとほざきつつ、令嬢にも関わらず死ぬ気で努力していたのだから質が悪かった。
ヒロイン不在の状況にも、「まだ油断はできぬ……」などといかにも神妙な雰囲気を醸しつつ、えげつない鍛錬の積み方をするのだから目を離すこともできなかった。
しかも力をつけたらつけたで、今度はその力でもって自発的に学園外で善行を積み始める始末ではないか。
スラム街の清掃を始め、悪人をこれでもかと捕縛して回った。
冒険者になって王都周辺の魔物を狩り始め、西に東にと忙しく奔走していた。
困った人がいれば「善役令嬢参上」なんて言って助け、「礼はいらねぇぜ」なんて格好つけて立ち去った。
毎日の平均睡眠時間なんてたったの一時間だ。
孤児院やおもちゃ屋を展開しつつ、授業や王妃教育で好成績を維持し、鍛錬に清掃に冒険にと走り回る生活は、もはや苦行以外のなにものでもない。
その慌ただしさたるや、それらに付き合われるこの俺が血尿を出すまでに疲弊させられたほどだ。
弱音を吐くなんて真似はもちろん一度足りともしていないが、ゲロは隠れて何度吐いたかわからない。
治癒の魔法の手助けがなければ絶対に過労死していた。
「セレナ様、スラム街の清掃を完了なされたとお聞きしました! もう本当に素晴らしくって、私尊敬いたしますわ!」
「あちゃ〜、聞いちゃいました? ま、でもほら、某ってつい善行しちゃうタイプじゃないですか? なんかいてもたってもいられなくって〜」
「凄いよなぁ。セレナ嬢はそれでいて王妃教育をこなし、学園でも常に成績二位なんだから。本当に凄すぎるよ」
「ま、二位って順位も殿下氏をたてるイイ女って感じなんで。某が本気を出しちゃったら、ね? おっと、いまのはオフレコでお願いしま〜す」
結果を出し続け、実績を積み上げ続けてきたからか。
いつしかあいつはみなから持てはやされるような存在になっていた。
いつだってクラスの中心におり、得意げな顔で自分の善役令嬢ぶりを鼻にかけていた。
でも、たしかに認められていた。
アホでイラつく性格をしていても、あいつがやってきたことは善行だ。
その始まりは打算であっても、あいつに救われたものは数え切れないほどにいる。
あいつを善役令嬢と慕うものは何人もいる。
転生者だか乙女ゲームだか何だか知らないが、あいつを頼りにしているものがこの国には大勢おり、それは紛れもない事実だった。
……アホであり、善役令嬢であり、俺の婚約者。
十五歳から十八歳になるまで。
俺はそうして善役令嬢のあいつと過ごした。
俺のことを「殿下氏」と呼ぶ、誰よりも真っ直ぐなアホの婚約者と過ごしてきた。
あいつを好きか嫌いか。
それに対する答えは、嫌いではない、だ。
あと、これからも一緒にいたいと思う俺がいる。
――そしていま現在。
舞台は王立学園の卒業を祝うパーティー会場。
俺は壇上に一人立ち、少し先にいるあいつを見下ろしている。
あいつはパーティーに参加している周辺諸国の要人たちと楽しそうに談笑している。
「セレナ様が考案なされた将棋は我が国でも流行っておりましてな。私も嗜んではいるのですが、いやはやなんとも奥が深いこと」
「それな」
「こちらの国では麻雀が流行っておりますのよ。私はその軽妙な響きからポンを好んでおりますの」
「わかりみが深い」
恐ろしく中身のない返答。
また、飲めないワイングラスを片手に笑顔で、なんとなくの雰囲気で外交をしている姿のなんて腹立たしいことだろうか。
見ているだけで頭痛がしてくる。
ともあれ、それはいま気にするところではない。
いまから一つ、あいつを心底驚かせてやろうと思っているからだ。
婚約破棄からの断罪ルートは潰えたと、すっかり油断しているだろうあいつを。
「セレナ・カートレット公爵令嬢! 貴様との婚約を破棄させてもらおうか!」
しんと、会場が静まり返る。
手筈どおり、楽団が奏でていた音楽もとまった。
パーティーを楽しんでいた誰もが俺の発言に驚き、みな揃ってこちらに注目している。
では当のあいつはどうかといえば――
「ぁ、ぁ、ぁぁぁっ……!」
面白いほどに取り乱していた。
いつか見たのに似た姿。
ずっと変わらないおかっぱ頭で、ずっと変わらない猫背で、やはり立ち上がったミーアキャットのように両手を前に構えていて、あごを引きすぎているせいで二重顎になった顔で、白目をむいて小刻みに震えていた。
……いや、気持ち悪っ。
瞬時に現れた丸眼鏡のメイドによって支えられてはいるが、彼女がいなければ後ろに倒れていたであろう動揺ぶり、その気持ち悪さたるや。
強烈すぎる。
背中を優しく押されてこちらに歩み寄ってくる姿は、ちょっと生理的に受けつけない気持ち悪さを醸し出している。
直視しているこちらの頭がおかしくなってしまいそうだ。
「……ああもうっ! 冗談だ、冗談! 婚約を破棄してまたすぐ婚約を申し込んでやっぱり結婚しましょうね、って流れの冗談だ! わかったらその気持ち悪い反応をやめろ!」
あまりにも見るに耐えないので白状してしまう。
散々苦労させられてきた仕返しにとばかりに計画した遊びだったが、ちょっと想像以上にキツすぎて話にならない。
あの姿を相手に小芝居を続けるのはさすがに無理がある。
「じょ、冗談……?」
「ああ、冗談だ」
「で、では予定どおり、某と結婚していただけるので……?」
「だからするって言ってるだろうが。さっさとこっちに来い」
計画は大幅に狂ってしまったが、最後にはみなに結婚式の日取りを発表する予定だった。
もはや仕方ない。
あいつを壇上にあげ、さっさと発表してしまうことにする。
正気を取り戻したあいつは丸眼鏡のメイドから離れ、壇上へと階段を上がってくる。
あと数段で壇上といったところで、その手を引くべくこちらの手を差し出し――
……なんだこれ?
なぜか手の代わりに、丸めた紙筒を右手で手渡された。
あいつが懐からさっと取り出したものだ。
あと、俺の隣に立ったあいつの左手には、同じような紙筒がもう一つ握られている。
「おい、これはなんだ?」
「皆様ご静粛に! これよりお嬢様が発表いたします!」
聞いたところで、これまた壇上にさっと上がってきていた丸眼鏡のメイドの大声によって打ち消されてしまう。
すると――バッと。
あいつは丸まっていた紙筒をバッと開いた。
一体なにが書いてあるのか。
前に回りこんでのぞいてみれば、そこには「勝訴」の二文字が。
墨をつけた毛筆でもって書かれた達筆な二文字があった。
また俺に渡されたほうの紙筒を開いて確認してみれば「敗訴」の二文字があった。
「某の勝訴なり!」
「お嬢様の勝訴でございます! おめでとうございます! バッドエンドの断罪回避、本当におめでとうございます!」
あいつは嬉しそうに「某の勝訴なり!」とひたすら連呼している。
丸眼鏡のメイドも「おめでとうございます!」と連呼しながら、狂ったように紙吹雪を派手に舞わせている。
俺を含め、パーティーの参加者一同はわけがわからず唖然としている。
「はぁ……」
あまりのアホさにため息が出てしまう。
好きか嫌いか。
こういうところは本当に嫌いだ。
好きだなんて口が裂けても言いたくなくなる。
それでも退屈はしない。
一緒にいてこれから先、退屈することはないと思う。
きっとなにをするにしても、あいつとなら面白おかしいものになるだろう。
昔、いつかの日。
俺は貴族らしからぬ純情可憐な乙女と恋に落ちるのだと聞かされた。
人に分け隔てなく接する優しい心をもった、誰よりも清い心をもった女性と恋に落ちるのだと聞かされた。
この世界のヒロインたる女の子と恋に落ちるのだと聞かされた。
まぁあながち間違ってなくもないんじゃないか。
アホの一言が抜けているだけで。
もちろん大甘に大目に見ての話ではあるが。
「正義は勝つ! 善役令嬢になれば対義語的に考えて断罪回避できるのでは? そう考えた某の勝訴なり!」
「はいはい、よかったな」
「はい! 殿下氏、笑顔の絶えない幸せな家庭を一緒に築きませう! なお某は一姫二太郎三なすびを所望いたします!」
「意味わからんわアホ」
昔もいまも。
このアホが俺の婚約者。
生涯の伴侶とし、ずっとそばに置いておく女だ。
「あれ、もしや一姫二太郎三なすびの意味をご存知でない? ほほほ、では教えて差し上げましょう。それは子供を産む順番について、一人目は女の子、二人目は男の子、三人目はなすびの子が好ましいという意味で――ん、なすびの子? なすびの子ってなんぞ……?」
ただしアホ。
もうどうしようもないくらいにアホ。
きっと死ぬまでアホ。
読了感謝です!